「ラーメン屋の墓場」と呼ばれた物件で、繁盛店「油そば 鈴の木」を運営。SNSでバズり続ける、独特なキャラクターの「りゅう社長」だが、今に至るまでに様々な苦労を重ねてきた。その挑戦を伺った(筆者撮影)

8年で11軒閉店、池袋の「ラーメン屋の墓場」

池袋駅西口から徒歩5分。駅から続く都道441号線沿いに、実に8年間で11軒ものお店が閉店した「ラーメン屋の墓場」と呼ばれた物件がある。

決して立地が悪いわけではないにもかかわらず、お店は続かない。毎年のように入れ替わり、時には「年に2軒」閉店することも……。

そんな“魔の立地”で快進撃を続ける1軒のラーメン店がある。「油そば 鈴の木」だ。


「油そば 鈴の木」の外観(筆者撮影)

このお店を運営するのが「りゅう社長」だ。小さなサングラス、奇妙な動きでおなじみのりゅう社長を、いちラーメン店主ながらInstagramやTikTokなどのショート動画、YouTuberの動画などでその姿を連日見ない日はない。

まさに「令和のラーメン店主」という今までになかったマーケティング手法で、池袋西口の人気店の名をほしいままにしている。

【画像】「埼玉時代は赤字」「豚丼屋は10カ月で閉店」「オープン前に6000件のアンチコメ」…今では大繁盛「油そば 鈴の木」。メニューや外観、りゅう社長の様子を見る(11枚)

看板メニューは「辛まぜそば」。極太麺に青ネギ、刻みタマネギ、フライドガーリックなどの具材を乗せ、特製の辛味噌ダレをかけたまぜそばだ。

麺の下にスープが敷いてあるのが特徴で、ピリッと感がありながらも今までなかなか食べたことのないまぜそばに仕上がっている。粉チーズやマヨネーズなどの卓上アイテムでカスタマイズしながら食べる。最後にご飯を投入して追い飯にするのも人気だ。


こちらが「油そば 鈴の木」の「辛まぜそば」(筆者撮影)

今回はそんなりゅう社長の快進撃の秘密に迫ってみたい。


(筆者撮影)

昔から将来の夢は「社長」

りゅう社長は埼玉県のさいたま市出身。小学生時代から父親に「お前は将来社長になるんだ」と言われ、昔から将来の夢は「社長」だった。

大学在学中に大宮で女性向けパウダールーム「キラ☆コレ」を開業。セルフでヘアメイクができ、しかもタピオカ屋を一緒にしたお店で、女性が集まるお店を目指して開業した。


大学時代に大宮にて、女性向けパウダールーム「キラ☆コレ」を開業。失敗に終わったが、マーケティングに興味を持つきっかけとなった(写真:「鈴の木」提供)

当時はSNSが今ほど盛んではなく、なかなかお客が集まらず、いいものを作っても情報が拡散されない悩みに苦しみ続けた。お店は残念ながら閉店に追い込まれたが、マーケティングや集客に強い興味を持つようになる。

その後はアルバイトをしながら何十カ国も海外を回り、飲食店や面白いお店を見て回った。

とある出来事がきっかけになり、すぐに始められる飲食店を開業することを決意し、後輩を誘って「油そば SUZUNOKI」のオープンに向けて動き始める。店名は、恩人がかつてやっていた喫茶店「すずの樹」の名前を継いだものだ。

「ラーメンを選んだ理由は、他のジャンルに比べて始めやすいことと、将来的に展開しやすいことです。カップ麺化や海外展開のことを考えるとラーメンに勝るものはないなと。

さらに油そばを選んだ理由は、もともと自分が油そばが嫌いで、嫌いだからこそ好きになれる一杯を作れたら自信が持てると思ったからです。嫌いを好きにさせる方が味の追求のし甲斐があるなと感じたんです。」(りゅう社長)


(写真:「鈴の木」提供)

こうして2017年4月に「油そば SUZUNOKI」を地元・さいたま市にオープン。

お店の内装をDIYで仕上げながら、レシピをYouTubeの動画とGoogleで調べて味づくりをした。近くの大宮市場に材料の買い付けに行き、鶏ガラの掃除、仕込みから学んでいった。後輩と2人で不眠不休で試作を重ね、背脂醤油、塩、バジル、辛味噌の4種の油そばを完成させた。

「最初は油とタレだけで作っていましたが、これにスープが入ると美味しくなることに気づき、スープを炊き始めました。スープの炊き時間も試行錯誤して7時間に固め、背脂とスープの入った油そばを完成させました。4種完成させるまでに1000杯近くは作ったと思います」(りゅう社長)

オープンから2日間は1杯500円セールを開催し、オープン日には地元客を中心に150人のお客さんが集まった。オープン前にシャッターに「味ができたらオープン」としばらく掲げておいたのが大きく、そこからオープン直前に「4月27日オープン」と書き換え、この日めがけてお客さんが集まった。

やがて赤字に転落、豚丼店も失敗に終わる

オープン景気は1カ月続いたが、その後はリピート客中心の地元密着店になり、赤字に転落した。

「売上はだんだん安定してきたものの、思い描いたものとは大きく違うと思いました。『ラーメンに場所は関係ない』とよく聞いていましたが、そうではなく、立地が関係なく繁盛店になれるのはほんの一握りなんだと感じました。『キラ☆コレ』と同じくまた集客に悩むのかと落ち込んでいました」(りゅう社長)


(写真:「鈴の木」提供)

8月には隣の物件で豚丼のお店もオープン。ここでも数々の企画を展開したが、SNSを上手く使いきれず、ネットがバズることはなかった。こちらはなんと10カ月で閉店に追い込まれた。

新規客が来ない悩みを抱えながらも、りゅう社長は「SUZUNOKI」を続けていく。30歳になったら勝負をかけるという何となくのビジョンを掲げながらひたすら耐え続けた。

そんな中でコロナ禍に突入。感染症のパンデミックは歴史を変えるレベルの影響を各所に及ぼし、ラーメン店もその在り方を問われた。ここでりゅう社長は一つの決断をする。

「ここを境にチャーシューを乗せることをやめました。コロナで世界中がパンデミックになるという予期せぬ出来事が起こり、これからは戦争なども起こる危険性も考えました。すると翌年2月にはロシアのウクライナ侵攻が始まり、一気に物価高騰になったんです。物価高騰を見越したうえでチャーシューをなくしておいて良かったと思っています」(りゅう社長)

リピーターで支えられていたということもあり、チャーシューがなくなってもそれほど批判は起こらなかった。

いわくつきの場所に移転を決意

その後りゅう社長に思わぬチャンスが舞い降りる。大宮の駅前にできるビルに出店しないかというオファーが来たのである。移転を決心し、契約書にハンコを押そうとしていたその日、東京・池袋の空き物件の話が舞い込んでくる。

池袋の西口に位置するその物件は、8年間で11軒のお店が閉店に追い込まれたといういわくつきの場所だった。その中には大手が手がけたお店もあり、今まで誰がチャレンジしても続かない物件だったのである。

りゅう社長は大宮の駅前ビルの契約を断り、池袋に移転することにする。

「難しいことにチャレンジした方が面白いだろうと思い、迷わず池袋を選びました。完全沈没する可能性もありましたが、後輩とここで失敗したら飲食業を辞めると誓い合い、出店を決意しました」(りゅう社長)


(写真:「鈴の木」提供)

店の前に「謎の仕掛人 この場所に新しいラーメンスタイルを創る男」という看板を掲げ、内装工事に入った。すると、オープン前から多数のネットアンチがネット上を騒がせ始めた。

「『こんな場所で独学素人が上手くいくわけがない』と2ちゃんねるや5ちゃんねるに大量にアンチコメントが書かれたんです。誰も上手くいかなかった物件だったこともあり、お手並み拝見という意味だったんだろうと思います。

なんとオープン前に誰一人うちの油そばを食べていないのに6000件のコメントが入ったんです」(りゅう社長)

2022年2月、「油そば 鈴の木」がオープンしたその日に、Googleのお店のページがすぐにでき、☆1が大量に書き込まれた。その後、どんどん口コミが悪くなり、3カ月目でさすがにこのままでは厳しいと判断した。

そこで4月、すべてのネットアンチの受け皿になるキャラクター「りゅう社長」を誕生させた。

小さなサングラスをかけたりゅう社長がSNSと動画を駆使して徹底的にネットアンチとやり合うスタイルを完成させた。さらに同時に「美味しくなかったら全額返金」企画をスタートさせ、池袋駅前で全額返金チケットをばら撒く作戦に出た。

これをSNS総フォロワー数100万人の「東京コスパグルメ」がInstagramで取り上げ、800万再生と大バズリ。

「バズリ続けるしかない」と気づいた

ついにこの日が来たとりゅう社長が安心したのも束の間、一度増えた客数はすぐに落ち着いてしまい、安定しないことに気づく。客数をうなぎ登りに増やしていくには、バズリ続けるしかないことに気づいたのだ。


コンビニ商品が持ち込みOKなのも実にユニークな企画だ(筆者撮影)

ここからりゅう社長は「キャラクター」×「企画」を回し続ける戦略に出る。「美味しくなかったら全額返金」に続き、「コンビニ商品持ち込みOK」「美味しかったらもう一杯」「ゾロ目が出たら1万円」「トゥクトゥクで無料送迎」など奇想天外な企画を次々に打ち出し、「東京コスパグルメ」と“癒着”して企画をバズらせ続けた。

「バズり続けても正直1年間は赤字でした。バズって2週間だけは1日100〜150人に伸びましたが、その後すぐに70人ぐらいに落ち着いてしまうんです。酷い時は40人という時もありました。暗いトンネルでしたね」(りゅう社長)

りゅう社長は周りの人気ラーメン店の前に一日中張り込み、集客状況と客層を徹底的に調査した。

大手の手がけるラーメン店が流行っていた池袋西口エリアにおいて、りゅう社長は個人店でしかできない企画を次々に繰り出していった。


(筆者撮影)

「バズることが使命だった」と語るりゅう社長。ひたすらもがき続けた23年6月についに転機が訪れる。「東京コスパグルメ」に加え、「令和の虎」「SUSURU TV.」でも取り上げられ、一気に客数が伸びたのである。りゅう社長はこの「令和の虎」の動画ではじめて「声」を発した。

「他のラーメン界のキャラクターに勝つにはどうしたらいいか考えました。小さいサングラスで目元のインパクトを出すのと同時に、1年間は絶対に動画で“しゃべらない”と決めていました。これまで文字や言葉で勝負をする店主はいましたが、動きや動画を上手く使っている人はいませんでした。

日本語を話してしまうと海外の人たちはついてこないと思ったので、本当のチャンスが来るまでは声を発さないと決めていたんです」(りゅう社長)

パントマイマーのような感覚で、1年間は動きだけで表現してきた。これが若い層に受けて、他のラーメン店にない客層を獲得していく。

動画の製作よりも店づくりや味づくりに集中したい


(筆者撮影)

6月に大きくバズったことで、1日の客数も200〜300人から多い日で400人を記録する日も出てきた。動画を見た小中学生も多く集まり、最近では修学旅行生が団体で訪れることも多いという。

実はりゅう社長はYouTubeチャンネルを持っていない。YouTubeの動画を自分で編集してアップすることもない。すべて他のインフルエンサーによる撮影や取材でバズリ続けている。それはなぜか?

「飲食経営者としては動画の製作よりも店づくりや味づくりに集中すべきです。自分は凝り性で、一度始めたら動画に時間を費やしてしまいそうなので、であれば、再生数を伸ばせる人に撮りに来てもらおうと思いました。インフルエンサーに撮りに行きたいと思わせられるキャラクターと企画を磨き続ければそれは可能なんです」(りゅう社長)

今年2月の2周年の時には「値上げ」を行った。


「2周年を記念して値上げします」という動画は、「値下げ」と見せかけて「値上げ」というその話題性で、翌日には長い行列ができた。りゅう社長は「大変申し訳ありませんが値上げさせていただきます」とは言わないのである。値上げしたにもかかわらず、「動画が面白かったので来ました」とお客を集められるお店はなかなかないのではないだろうか。

なんと昨年12月には全国各地の「ドン・キホーテ」でりゅう社長コラボ商品の「ブラボーサングラス」が発売。この6月には「りゅう社長スクイーズ」の発売も決定している。やはりりゅう社長は単なるラーメン店主ではなく「キャラクター」なのである。

「今は『日本一アンチのいるラーメン店』として認知されていますが、このキャッチフレーズもいずれはなくしていくつもりです。バズにも潮目があるので、スベる前にどんどん新しいものに書き換えていくことが大事だと思っています」(りゅう社長)

オープン当時エリアで最下位だった客数も今やトップレベルに。快進撃を続けるりゅう社長に今後も期待したい。


(筆者撮影)


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(井手隊長 : ラーメンライター/ミュージシャン)