Bring Me The Horizon緊急カムバック 「絶対王者」が塗り替えた価値観と未来への視線
ブリング・ミー ・ザ・ホライズン(Bring Me The Horizon)が最新アルバム『POST HUMAN:NeX GEn』をサプライズリリース。今夏のサマーソニックでヘッドライナーを務める彼ら。文筆家・ライターのつやちゃんが、待望の新作を切り口にバンドの活動とその社会的意義を振り返る。
ついにブリング・ミー・ザ・ホライズン(以下、BMTH)が『POST HUMAN:NeX GEn』を公開した。出るか出るかと噂されたままリリースが延びていた新作が、4年ぶりのアルバムとして急遽ドロップされた形だ。近作ですでに顕在化していた方向性--「DiE4u」でのエモ/スクリーモへの傾倒、「LosT」でのハイパーポップ的アプローチ、さらに前作『POST HUMAN: SURVIVAL HORROR』で表出していたニュー・メタル風味など--が、よりスケールアップし、アルバムというフォーマットで練り上げられている。90年代以降のユースカルチャーを賑わせてきたあらゆる音楽が総ざらいされ、一つのBMTHワールドとしての集大成として築き上げられていることに興奮を禁じ得ない。これは、ヘヴィミュージックシーンの王者として君臨するBMTHしか成し得ない、リバイバル/再解釈の新たな一手として注目されるべき偉業だ。
『POST HUMAN:NeX GEn』というタイトルのもとアートワークや歌詞などでSF感を投影しながらも、今作ではエモの要素が強まり、切ない感情がそこかしこで爆発している点にも注目したい。これだけ新旧あらゆるジャンルの音楽の再定義を遂行するにあたって、BMTHは感情こそが最も大切だと宣言しているように聞こえる。ダリル・パルンボ(グラスジョー)に続きアンダーオースとコラボしているのはまさしくそういうことだろうし、「LiMOuslne」等の曲で見せるデフトーンズ的なムードは、感情の揺らぎを陰影ある形で映し出す。2000年前後に興っていたエモ/スクリーモ/ヘヴィロック/メタルコア/ポストハードコアといった音楽まで立ち返り、エモーションという観点で串刺し、一つのストーリーで描き切ってしまったのはさすがだ。しかし、なぜBMTHだけがそれほどの俯瞰的視点で、スケールの大きいことをやってのけることができるのだろう?
かつて、オリヴァー・サイクスは次のように語っていた。
「僕らはシーンにすら属せていないんだよ。なぜなら、もうロックのシーンがないんだから。そのシビアな認識があるからこそ自由になれるし、クールなものを消化して、自分たちの幅を広げていくことができる。当然、前例のないことをやるのは大変だしタフだけど、だからこそ楽しいしやりがいがあるんだよね」
この発言からも分かる通り、そしてすでに周知の事実となっている通り、BMTHは型にはまらないバンドである。彼らが主宰し、昨年大盛況だった全く新しいフェス「NEX_FEST」がまさしくそうであったように、多くのコミュニティをつなぐハブとなり型にとらわれない音楽を生み出してきた。ただ、その紹介はいささか正確さに欠ける。何度も形式を破壊してきたロックミュージックが今の時代に本当の意味で型にはまらないことなんて不可能だし、むしろいかにロックのフォーマットを活かしながら新たな実験を試みるかというムードが近年は優勢である。BMTHの音楽は、その点、メタルという最も型が重要視されるジャンルに立脚しながらもポップミュージックの様々な要素を吸収し、型を大切にしつつ柔軟に音楽性を広げていったという方が近い。いわゆるメタル的なギターフレーズやデスコア由来のボーカル技術を用いつつも、同時代のあらゆる音楽的語彙を取り入れ、ゲームやアニメといった他分野の手法も借りながらバンドとしてのメッセージを練り上げ発信していく。そのクリエイションは活動とともに次第にスケールを増していき、気がつけば時にロックという枠組みを超え、カルチャーとして、あるいは広く社会的意義のある試みとして壮大なものになっていった。BMTHの本質とは、メタルやヘヴィミュージックというルール重視のジャンル音楽に根ざしながらも、現代文化の領野に広がる様々な表現をインスピレーションとして、抜群の手さばきで作品を鍛え上げていく懐の深さにあるのだ。ヘヴィミュージックというレンズを通して世界を覗き、それをポップカルチャーとして成立させること――そんな芸当ができるのは、間違いなく彼らしかいない。
昨年11月開催の「NEX_FEST」にて撮影(Photo by Masanori Naruse)
そのようなバンドとしての稀有な立ち位置を考えた際、ルーツのひとつにファッションがあるという点は重要だ。中心人物であるオリヴァー・サイクスはBMTH結成前、界隈では有名なファッション系インフルエンサーだった。当時はまだデジタルプラットフォームの黎明期で、アパレルに関心があった彼はTシャツを作りMySpaceにアップしたところ初日に5万枚が売れ、その後自身のブランド”DROP DEAD”を立ち上げることになる。これは、オリヴァーがメタルを出自に持ちながらも、隣接するパンク/ハードコア/エモといったジャンルのストリートファッション感覚を吸収していたからとも言える。事実、DROP DEADのデザインはヘヴィミュージックのあらゆるテイストを取り込んだもので、多くの支持を得た。いささか固定化されたドレスコードを持つメタルの世界だが、オリヴァーはそこにクロスオーバー的なファッション性を持ち込んだのだ。
”DROP DEAD”ホームページより
しかも、「たかが服」で終わらないのがオリヴァーの特異なところである。16歳の時に動物虐待のドキュメンタリーを観て以降、彼はベジタリアンを経てその後ヴィーガンを貫いているが、そういった思想を服作りにも生かしている。動物性の素材は使わずにスローファッションを提唱し、大量生産/大量廃棄に異を唱えた製品をプロデュース。地元シェフィールドにヴィーガンのバーを開くほどこだわりのある彼だが、服や食ひとつとっても、そこに社会的意義を反映する点に独自のスタンスが見て取れる。2010年代半ばにラグジュアリーブランドがモチーフに引用したこともあり今でこそメタルのデザインは至るところで観察できるようになったが、そう考えると、いかにオリヴァーが先駆的な試みをしていたかが分かるし、エシカル消費といった考え方についても同様のことが言える。オリヴァー自身「服を作っていても、今の方がもっと意味のあることをやりたいと思うようになったね。ちゃんとした目的だって持ってるし」と話している通り、彼は未来志向でナラティブ的に物事をとらえるような感性を持ち合わせている。
誰も答えを持たない現在と未来への批評
当然ながら、そういった時代の先を見据えた態度は作品にもいかんなく投影されている。オリヴァーが中心となり描くBMTHの作品は、常に社会的意義を内包し未来へと向けられる。その代表的な例が、近年展開してきた「POST HUMAN」シリーズ。2020年に『POST HUMAN: SURVIVAL HORROR』のリリースから始まったそれは、パンデミックによって引き起こされたパニックや恐怖をいかに乗り越えていくかという問いに対して、メタフォリカルな歌詞とフューチャリスティックな音楽性を駆使することで表現される。それは未だかつて誰も成し遂げてこなかった折衷と実験の連続であり、大きな衝撃をもって受け止められてきた。彼らにとっての転機でありながら最も物議を醸したのは、全英チャート1位、グラミー賞・BRITアワードに初のノミネートとなった2019年リリースの『amo』だろう。トラップミュージックのサウンド構造を導入しつつ、ダンスミュージックの持つカタルシスまでも追求した作品は、ふくよかな低域とグルーヴィなノリという2010年代のポップミュージックのセオリーを押さえながらも、ギターの音を快楽的に聴かせる機能性をも兼ね備えた一作となった。
また、そういったサウンドが、ライブでは作り込まれた世界観によってコンセプチュアルに演奏されるのも、このバンドの特徴だろう。そこにはある種の仰々しさが感じられつつも、一方で観客のシンガロングを引き出すような双方向性があるのが面白い。BMTHは常に高い志によってアートを創造しているが、決して作り手の中だけで完結するものではなく、インタラクティブな関係性のうえで楽曲の魅力を操作していく。それは、プログレッシブロックのような壮大さやアプローチの多彩さといった面を持ち合わせつつも、フロアの観客とともにステージを作り上げていくという点でハードコアやダンスミュージック的作法を内包しているとも言える。このあたりは、今年のサマーソニックの舞台が非常に楽しみだ。
ロックバンドらしからぬフットワークの軽さで様々なコラボレーションを果たしていくBMTHだが、中でもその包括性と未来志向が最も引き立つのが、いわゆる身体性とアイデンティティに対する問いをテーマにしている音楽家たちとの共作ではないだろうか。たとえば、グライムスとの「nihilist blues」(『amo』収録)では、 ”Im the ashes in the plume Im a beggar in the ruin(俺はプルームに混じった灰、 俺は廃墟の中の物乞い)”と歌い、迷宮の中に迷い込んだ自身についてEDM的シンセをサイバーに処理することで身体が浮きあがるような不安定さを描く。あるいは、トランスジェンダーのアーティスト、アノーニ「Drone Bomb Me」のカバー(Spotify限定配信)では、エレクトロニック音を違和感のあるままユーフォリックに鳴らすことでBMTH像を解体するような前衛性をちらつかせる。そもそもグライムスやアノーニとの共作やカバーが成り立つこと自体に彼らのジャンル越境性を感じずにはいられないし、やはりヘヴィミュージックの文法に立脚しながらもここまで様々なものを参照し新たな問いを提示する力量には驚いてしまう。
そう考えると、最新作『POST HUMAN:NeX GEn』でエモへのアプローチを強め、感情をテーマにしつつポップにまとめ上げているのは、先述したこれまでの蓄積をもとにBMTHが一つのアンサーにたどり着いた結果のようにも思える。そしてもちろん、実は継ぎ接ぎだらけの音がここまですんなりと耳に入ってくるのは、彼らがリファレンスとなっているジャンルの表層だけを掬うのではなく、そのサウンドを構造レベルにまで分解したうえで自分たちのものにしているがゆえ。聴いたことのある音を繋ぎ合わせながらも、針の穴を通すようなコントロールを効かせることで、結果的に”まだ誰も聴いたことのない”一枚のアルバムとしての印象を感じさせている。
BMTHとは、存在自体がポップカルチャーそのものであり、誰も答えを持たない現在と未来への批評だ。音楽はどこまで社会を鋭く反映し得るのか、人間とは何かというテーマに対していかに答え得るのか――。そこには、未知や謎を楽しんでいくという彼らの純粋な好奇心が宿っている。NEX_FESTで新たな場を創った彼らは、『POST HUMAN:NeX GEn』で一つの答えを示した。次は、サマーソニックのヘッドライナー。周知の通り最新作にはDAIDAI(Paledusk)も参加しているし、日本のリスナーは長きに渡ってこのグループと相互に影響を与え合いながら、ともにBMTHの世界を創り上げてきた歴史があるはずだ。未来は、BMTHと私たちが創る。8月が楽しみでならない。
ブリング・ミー ・ザ・ホライズン
『POST HUMAN:NeX GEn』
再生・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/NeXGEn
SUMMER SONIC 2024
2024年8⽉17⽇(⼟)18⽇(⽇)
東京会場:ZOZOマリンスタジアム & 幕張メッセ
⼤阪会場:万博記念公園
※ブリング・ミー ・ザ・ホライズンは東京2日目、大阪1日目に出演
公式サイト:https://www.summersonic.com/
ついにブリング・ミー・ザ・ホライズン(以下、BMTH)が『POST HUMAN:NeX GEn』を公開した。出るか出るかと噂されたままリリースが延びていた新作が、4年ぶりのアルバムとして急遽ドロップされた形だ。近作ですでに顕在化していた方向性--「DiE4u」でのエモ/スクリーモへの傾倒、「LosT」でのハイパーポップ的アプローチ、さらに前作『POST HUMAN: SURVIVAL HORROR』で表出していたニュー・メタル風味など--が、よりスケールアップし、アルバムというフォーマットで練り上げられている。90年代以降のユースカルチャーを賑わせてきたあらゆる音楽が総ざらいされ、一つのBMTHワールドとしての集大成として築き上げられていることに興奮を禁じ得ない。これは、ヘヴィミュージックシーンの王者として君臨するBMTHしか成し得ない、リバイバル/再解釈の新たな一手として注目されるべき偉業だ。
かつて、オリヴァー・サイクスは次のように語っていた。
「僕らはシーンにすら属せていないんだよ。なぜなら、もうロックのシーンがないんだから。そのシビアな認識があるからこそ自由になれるし、クールなものを消化して、自分たちの幅を広げていくことができる。当然、前例のないことをやるのは大変だしタフだけど、だからこそ楽しいしやりがいがあるんだよね」
この発言からも分かる通り、そしてすでに周知の事実となっている通り、BMTHは型にはまらないバンドである。彼らが主宰し、昨年大盛況だった全く新しいフェス「NEX_FEST」がまさしくそうであったように、多くのコミュニティをつなぐハブとなり型にとらわれない音楽を生み出してきた。ただ、その紹介はいささか正確さに欠ける。何度も形式を破壊してきたロックミュージックが今の時代に本当の意味で型にはまらないことなんて不可能だし、むしろいかにロックのフォーマットを活かしながら新たな実験を試みるかというムードが近年は優勢である。BMTHの音楽は、その点、メタルという最も型が重要視されるジャンルに立脚しながらもポップミュージックの様々な要素を吸収し、型を大切にしつつ柔軟に音楽性を広げていったという方が近い。いわゆるメタル的なギターフレーズやデスコア由来のボーカル技術を用いつつも、同時代のあらゆる音楽的語彙を取り入れ、ゲームやアニメといった他分野の手法も借りながらバンドとしてのメッセージを練り上げ発信していく。そのクリエイションは活動とともに次第にスケールを増していき、気がつけば時にロックという枠組みを超え、カルチャーとして、あるいは広く社会的意義のある試みとして壮大なものになっていった。BMTHの本質とは、メタルやヘヴィミュージックというルール重視のジャンル音楽に根ざしながらも、現代文化の領野に広がる様々な表現をインスピレーションとして、抜群の手さばきで作品を鍛え上げていく懐の深さにあるのだ。ヘヴィミュージックというレンズを通して世界を覗き、それをポップカルチャーとして成立させること――そんな芸当ができるのは、間違いなく彼らしかいない。
昨年11月開催の「NEX_FEST」にて撮影(Photo by Masanori Naruse)
そのようなバンドとしての稀有な立ち位置を考えた際、ルーツのひとつにファッションがあるという点は重要だ。中心人物であるオリヴァー・サイクスはBMTH結成前、界隈では有名なファッション系インフルエンサーだった。当時はまだデジタルプラットフォームの黎明期で、アパレルに関心があった彼はTシャツを作りMySpaceにアップしたところ初日に5万枚が売れ、その後自身のブランド”DROP DEAD”を立ち上げることになる。これは、オリヴァーがメタルを出自に持ちながらも、隣接するパンク/ハードコア/エモといったジャンルのストリートファッション感覚を吸収していたからとも言える。事実、DROP DEADのデザインはヘヴィミュージックのあらゆるテイストを取り込んだもので、多くの支持を得た。いささか固定化されたドレスコードを持つメタルの世界だが、オリヴァーはそこにクロスオーバー的なファッション性を持ち込んだのだ。
”DROP DEAD”ホームページより
しかも、「たかが服」で終わらないのがオリヴァーの特異なところである。16歳の時に動物虐待のドキュメンタリーを観て以降、彼はベジタリアンを経てその後ヴィーガンを貫いているが、そういった思想を服作りにも生かしている。動物性の素材は使わずにスローファッションを提唱し、大量生産/大量廃棄に異を唱えた製品をプロデュース。地元シェフィールドにヴィーガンのバーを開くほどこだわりのある彼だが、服や食ひとつとっても、そこに社会的意義を反映する点に独自のスタンスが見て取れる。2010年代半ばにラグジュアリーブランドがモチーフに引用したこともあり今でこそメタルのデザインは至るところで観察できるようになったが、そう考えると、いかにオリヴァーが先駆的な試みをしていたかが分かるし、エシカル消費といった考え方についても同様のことが言える。オリヴァー自身「服を作っていても、今の方がもっと意味のあることをやりたいと思うようになったね。ちゃんとした目的だって持ってるし」と話している通り、彼は未来志向でナラティブ的に物事をとらえるような感性を持ち合わせている。
誰も答えを持たない現在と未来への批評
当然ながら、そういった時代の先を見据えた態度は作品にもいかんなく投影されている。オリヴァーが中心となり描くBMTHの作品は、常に社会的意義を内包し未来へと向けられる。その代表的な例が、近年展開してきた「POST HUMAN」シリーズ。2020年に『POST HUMAN: SURVIVAL HORROR』のリリースから始まったそれは、パンデミックによって引き起こされたパニックや恐怖をいかに乗り越えていくかという問いに対して、メタフォリカルな歌詞とフューチャリスティックな音楽性を駆使することで表現される。それは未だかつて誰も成し遂げてこなかった折衷と実験の連続であり、大きな衝撃をもって受け止められてきた。彼らにとっての転機でありながら最も物議を醸したのは、全英チャート1位、グラミー賞・BRITアワードに初のノミネートとなった2019年リリースの『amo』だろう。トラップミュージックのサウンド構造を導入しつつ、ダンスミュージックの持つカタルシスまでも追求した作品は、ふくよかな低域とグルーヴィなノリという2010年代のポップミュージックのセオリーを押さえながらも、ギターの音を快楽的に聴かせる機能性をも兼ね備えた一作となった。
また、そういったサウンドが、ライブでは作り込まれた世界観によってコンセプチュアルに演奏されるのも、このバンドの特徴だろう。そこにはある種の仰々しさが感じられつつも、一方で観客のシンガロングを引き出すような双方向性があるのが面白い。BMTHは常に高い志によってアートを創造しているが、決して作り手の中だけで完結するものではなく、インタラクティブな関係性のうえで楽曲の魅力を操作していく。それは、プログレッシブロックのような壮大さやアプローチの多彩さといった面を持ち合わせつつも、フロアの観客とともにステージを作り上げていくという点でハードコアやダンスミュージック的作法を内包しているとも言える。このあたりは、今年のサマーソニックの舞台が非常に楽しみだ。
ロックバンドらしからぬフットワークの軽さで様々なコラボレーションを果たしていくBMTHだが、中でもその包括性と未来志向が最も引き立つのが、いわゆる身体性とアイデンティティに対する問いをテーマにしている音楽家たちとの共作ではないだろうか。たとえば、グライムスとの「nihilist blues」(『amo』収録)では、 ”Im the ashes in the plume Im a beggar in the ruin(俺はプルームに混じった灰、 俺は廃墟の中の物乞い)”と歌い、迷宮の中に迷い込んだ自身についてEDM的シンセをサイバーに処理することで身体が浮きあがるような不安定さを描く。あるいは、トランスジェンダーのアーティスト、アノーニ「Drone Bomb Me」のカバー(Spotify限定配信)では、エレクトロニック音を違和感のあるままユーフォリックに鳴らすことでBMTH像を解体するような前衛性をちらつかせる。そもそもグライムスやアノーニとの共作やカバーが成り立つこと自体に彼らのジャンル越境性を感じずにはいられないし、やはりヘヴィミュージックの文法に立脚しながらもここまで様々なものを参照し新たな問いを提示する力量には驚いてしまう。
そう考えると、最新作『POST HUMAN:NeX GEn』でエモへのアプローチを強め、感情をテーマにしつつポップにまとめ上げているのは、先述したこれまでの蓄積をもとにBMTHが一つのアンサーにたどり着いた結果のようにも思える。そしてもちろん、実は継ぎ接ぎだらけの音がここまですんなりと耳に入ってくるのは、彼らがリファレンスとなっているジャンルの表層だけを掬うのではなく、そのサウンドを構造レベルにまで分解したうえで自分たちのものにしているがゆえ。聴いたことのある音を繋ぎ合わせながらも、針の穴を通すようなコントロールを効かせることで、結果的に”まだ誰も聴いたことのない”一枚のアルバムとしての印象を感じさせている。
BMTHとは、存在自体がポップカルチャーそのものであり、誰も答えを持たない現在と未来への批評だ。音楽はどこまで社会を鋭く反映し得るのか、人間とは何かというテーマに対していかに答え得るのか――。そこには、未知や謎を楽しんでいくという彼らの純粋な好奇心が宿っている。NEX_FESTで新たな場を創った彼らは、『POST HUMAN:NeX GEn』で一つの答えを示した。次は、サマーソニックのヘッドライナー。周知の通り最新作にはDAIDAI(Paledusk)も参加しているし、日本のリスナーは長きに渡ってこのグループと相互に影響を与え合いながら、ともにBMTHの世界を創り上げてきた歴史があるはずだ。未来は、BMTHと私たちが創る。8月が楽しみでならない。
ブリング・ミー ・ザ・ホライズン
『POST HUMAN:NeX GEn』
再生・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/NeXGEn
SUMMER SONIC 2024
2024年8⽉17⽇(⼟)18⽇(⽇)
東京会場:ZOZOマリンスタジアム & 幕張メッセ
⼤阪会場:万博記念公園
※ブリング・ミー ・ザ・ホライズンは東京2日目、大阪1日目に出演
公式サイト:https://www.summersonic.com/