「これ、ツチノコの死骸?」骨・皮・内臓は24年経った今も保管中「ツチノコ騒動」その正体は何だったのか
その「ツチノコ」らしきものは、24年前のきょう発見された
日本を代表する「未確認生物(UMA)」の代表格と言えば。。。何と言っても「ツチノコ」です。
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その存在を筆者が知ったのは、てんとう虫コミックスの「ドラえもん」9巻でした。1970年代に藤子・F・不二雄先生が描いた「ツチノコ」の愛らしいフォルムが物凄く印象的で、幼心に「家の近所にいるのでは?!」とワクワクしたものです。(【画像①】は可愛さのかけらもない「ツチノコ」イメージ図)
そのドラえもんの世界では、2045年の未来に「ツチノコ」は発見後に繁殖に成功したのか、1匹200円で販売されていました。しかし現実世界では、2024年の時点で「生け捕りにした!」などという話は耳にしていません。
そんなツチノコですが、「生け捕りにしたら2000万円以上の懸賞金」が出る場所をご存知でしょうか?それは、岡山県赤磐市の旧吉井町地区です。(【画像②】はザックリとした旧吉井町の地図)
時は折しも24年前のきょう、2000年5月21日のことでした。「ツチノコ発見騒動」が沸き起こったのです。当時は、東京からワイドショーのクルーも駆けつけ、大騒ぎになりました。
あれから四半世紀。現場はいまどうなっているんだろう?RSK山陽放送では昨年、夕方ワイド番組で「ツチノコ騒動のその後」を取材していました。
という訳で記念すべき節目のこの日に、改めて昨年取材して入手した「貴重画像」とともに「ツチノコ騒動」を振り返ろうと思います。(以下は、2023年3月放送の夕方ワイド番組の内容を記事化したものです)
「生け捕り」で懸賞金2023万円?!
「ツチノコといえば赤磐市」ということで、誰にも頼まれてはいないが、かつてツチノコ騒動に沸いた街が今どうなっているのか、調査することになった。
岡山県の旧吉井町、現在の赤磐市に向かう。かつての目撃現場に向かっていると。。。
(宮武将吾キャスター)
「あれ、看板分かる?看板があるね。ほら見て『ツチノコ発見現場』って書いてある(【画像④】参照)。
そして車を降りて住宅街を歩いていると、突如現れたのがイラスト付きの看板だ。(【画像⑤⑥】)
(宮武将吾キャスター)
「吉井町ツチノコ研究会って、比較的新しい看板。そして手配書って書いてある。『ツチノコ、生け捕り賞金2023万円!?』そんな価値あるの?まさかの懸賞金まで」
その手配書には「ツチノコ」の特長も記されていた。
・体長:30cm~80cm位
・体色:黒褐色・焦げ茶色・黒・灰色
・体型:ビール瓶くらいの胴から三角形の頭がちょこんとでている
・特長:いびきをかく・まばたきする・垂直に立つ・転がる・蛇行しないでまっすぐ前後に動く・ジャンプする(2m位との説あり)・春から秋(4~11月)に出没する
ヤバい…「特長」の文章を頭の中で映像化したら、めちゃめちゃ怖いぞツチノコ...。
すると一人の男性が現れた 左手にはまさかの…
するとその時、一人の男性が現れた。右手には「高枝切りばさみ」のような棒を持ち、左手には「まるっとした蛇のような形のもの」をブラブラと(【画像⑦】)。これってまさか?!
ーちょちょちょちょちょっと、何それ、ちょっとお父さん、なんしょん?
(男性)
「ツチノコを捕獲する練習です。これはツチノコ(【画像⑧】)この棒はイメージトレーニング用(【画像⑨】)」
ーこんなオモチャみたいなのでツチノコを捕れないでしょう、これ、木を剪定するためのものでしょ?
(男性)
「これちょっと工夫しまして、改良している」
オモチャのような道具を使って、オモチャのツチノコ(その正体はワニのゴム人形)を捕獲して見せるお父さん(【画像⑩】)。
「ツチノコおったで、、、イメージはこんな感じ」
手作りの捕獲器は、使い勝手も抜群のようだ。それはそうと、この方は一体誰なのだろうか。
ーあなたはいったい何者なんですか?
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「旧吉井町には『ツチノコ研究会』がありまして、そこの事務局長をもう何年もしています。前回『ツチノコが発見されてから』ずっと」
この方は、「吉井町ツチノコ研究会」の青山さん。2000年5月に目撃騒動が起きて以来、ずっと変わらず事務局長を務め続けているという。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「23年間ずっと探してる、おったらええなと」
そもそも「ツチノコ」は誰がどんなところで見つけたのか
日本におけるツチノコブームは、1970年代が最初だと言われている。以来、各地で目撃情報があるたびに捜索が行われてきた。23年前、この街で何が起きたのだろうか。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「ここですわ。ここが発見されたところ、ここで見つかった。これが丸まった状態で、その溝の中に流れていた、こんな感じで」(【画像⑫⑬】が見つかった現場)
この場所が、発見現場なのだという。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「そこのおばちゃん姉妹が2人で発見して、発見者が言うには、一輪車=猫車があるけど、あれのタイヤのように見えたんだって。上から見るとまるでタイヤのように見えたって」
それは、引き上げてみると『蛇に似た、胴の太い不思議な生き物』だったという。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「そこのおばさんが、『結構蛇好きな人』だったんです」
ー蛇好き...珍しい人おるもんですね?
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「もうかわいそうだから埋めてあげようと。この石の下に埋めてあげたんですわ」(【画像⑮】)
旧吉井町には今でも「ツチノコ」の「骨・皮」が保管されている!
一旦は埋められた死骸。しかし、その話を聞いた住人が「あれはツチノコだったのでは」と考え、しばらくしてもう一度掘り起こしたのだという(【画像⑯】掘り起こされた「ツチノコ」とみられる死骸)。
ーで、どうなったんですか?死骸は。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「死骸はあります、骨とか皮とか内臓とか」
なんと集会所に、当時見つかった死骸があるという。取材班が集会所に足を運んでみると、そこにあったのは。。。
(宮武将吾 アナウンサー)
「骨や!」
骨が綺麗に残っていた(【画像⑰】)。
その他、皮も内臓も大切に保管されている(【画像⑱】)。
(宮武将吾 アナウンサー)
「皮に見える。でも蛇が脱皮した後にも見える。。。」
実は青山さんもその死骸を当時見ていたという。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「蛇にも見えない、何かよくわからない。結構こんなでっかいんですよ」
ーこれ、お腹の部分?普通の大きさじゃないですよね。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「蛇でこんなに太いったらなかなかですよね。日本じゃ見ないんじゃないかっていうぐらいのね」
大学で鑑定してもらったところ、その結果は...
ツチノコ騒動に沸いた旧吉井町、当時は全国からハンターが詰めかけたという。しかし、その騒動は思わぬ結末を迎えることに。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「レントゲン撮ったりCT撮ったり、最終的には先生に見てもらって」
掘り起こした死骸の鑑定を、大学に依頼したのだ。その結果。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「そのときは『ヤマカガシ』になったんです」
ーヤマカガシって、なんですか?
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「蛇、ですね」
生物学的にはツチノコではなく、蛇だという結果に。
ーこの地域の皆さんはどう思ってますか。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「本音で言うと、中には『おらんおらん』いう人もいるし、いや『おるけん探そう』という人も。自分で見てないから信じれん、いうところがあるんですけど」
「おってほしい、いう思いもかなりあるんです。見つけた方からの思いは聞いてるわけですよね。『あれは違う、普通の蛇なんかじゃねぇ』って」
諦めきれない地元の人たち 懸賞金はキャリーオーバー中!
無慈悲な鑑定結果にも町は諦めず、「きっとツチノコはいるはずだ」と懸賞金を出すことを決めた。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「ちなみに今はもう予算、一応市の予算にも上がっている」
ーそうなんですか?
「はい、年々懸賞金も上がってるってこと。そう年号通りに上がって」
これは全国的にもかなり珍しいことだという。
(吉井町ツチノコ研究会 青山敏夫 事務局長)
「また 見つかったらいいけどね」
ツチノコ騒動に沸いた街は今でもそこにロマンを求めている。いつしかその存在が確認できることを願いながら…。
この取材から1年、改めて2024年5月20日に赤磐市政策推進課に問い合わせたところ、懸賞金は1万円増え2024万円まで上がっていて、「今後も見つかることがあれば懸賞金を出します!」とのことでした。
さらにこの5月18日に封切りされたばかりの、岐阜県東白川村のツチノコ騒ぎを描いた映画「おらが村のツチノコ騒動記」にも旧吉井町がちょこっと出ているんだそうです。
赤磐市では、記念すべききょう5月21日、特にイベントなどは予定していませんが、国道374号を通った際に「ツチノコ発見現場」の看板を目にしたら、ちょっとツチノコに思いをはせてみるのもいいかも知れません。