初の歴史小説で「知の巨人」に挑む――『われは熊楠』(岩井圭也) Book Talk/最新作を語る
近著が山本周五郎や推理作家協会賞にノミネートされる等、いま最も注目を集める若手作家の一人、岩井圭也さん。その岩井さんによる待望の最新長篇『われは熊楠』が2024年5月15日に発売になりました。
新作を発表するたびに作家としての新しい一面を見せてくれる著者が、初めて挑んだ実在の人物をモデルにした歴史小説にかけた意気込みを語ってくれました。
『われは熊楠』(岩井 圭也)
いま注目の若手作家のひとりである岩井圭也さんは、デビュー六年で十五作以上の作品をものし、青春小説から山岳小説、社会派ミステリなど、書くたびに新しい挑戦を続けていることでも知られている。そんな著者の新作は、やはり初の試みとなった歴史小説。描いたのは南方熊楠の生涯である。
「作家になる前から、いつか書きたい人物でした。熊楠の出身地・和歌山は私の両親の出身地でしたし、彼が研究した菌類は大学院時代の私の研究テーマでもありました」
博物学や民俗学などの分野に偉大な足跡を残し、「知の巨人」として知られる南方熊楠は、洋行が珍しかった時代にアメリカ、イギリスなどに渡り、海外の学術雑誌に論文を発表しながら、生涯に渡り在野を貫いた孤高の人物。一方で、気に入らない相手にはゲロを吐くなど、数多の奇天烈なエピソードも残している。いかにも小説向きの人物に思えるが……。
「面白いエピソードはたくさんあるんです。でも、それをただ繋げるだけなら評伝を読めばいいし、小説としてどう料理したらいいのか、悩みました」
そんな執筆において物語の鍵の一つとして立ち上がってきたのが、熊楠を献身的に支えた弟・常楠の存在である。兄に代わり家業を継いだ常楠は、芽の出ない研究ばかりで全く稼ぎのなかった兄を経済的・精神的にも支えた。二人の絆は物語のひとつの大きな読みどころである。しかし後年になると、金銭トラブルを契機に良好だった関係に決定的な亀裂が生まれる。
「史実として金銭トラブルは実際にあったのですが、不仲の原因は果たしてそれだけか? そここそが小説では想像力を働かせて書けるところ。試行錯誤を経て、自分でも腑に落ちる展開にできたと思います」
その他、終生献身的に支えてくれた妻との出会いや最愛の息子との別離など、周囲の人物との関わりを経て、研究に邁進し、己の世界を深めることだけに専心していた熊楠の心境に次第に変化が訪れる。
「描きたかったのは、熊楠も自分たちと同じ生身の人間であること。だからこそ、彼が経験した学問的な栄光も挫折もより深く理解できるのではないかと思います。初めての歴史小説に挑んでみて、大変さと面白さを実感できました。史実という制約があってしんどかったのは事実ですが、制約があるからこそ生まれたシーンが幾つもあった。これからも書いていきたいと思っています」
次はどんな手札で我々を楽しませてくれるのか。目が離せない。
いわい・けいや 一九八七年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。二〇一八年『永遠についての証明』でデビュー。二三年『完全なる白銀』で山本周五郎賞候補に。
(「オール讀物」6月号より)