ベテランプレーヤーの矜持
〜彼らが「現役」にこだわるワケ
第2回:渡邉千真(SHIBUYA CITY FC)/後編


「点を取る」という自らの価値を追求し続ける渡邉千真。写真提供:SHIBUYA CITY FC

前編◆37歳・渡邉千真の今――>>

 Jリーグ史上15人目となる『J1通算100得点』を挙げるなど、得点を重ねることでプロサッカー選手としての価値を示してきた渡邉千真だが、特筆すべきは彼が"点取り屋"でありながらも、決してエゴイストではなかったことだろう。彼の言葉にもあるとおり、FWとして点を取りたい、取らなければいけないという意識を強く持ち合わせてきたことに嘘はない。だが、同時に「周りに(点を)取らせることも考えてきた」のも事実だ。

「学生時代も含めて、常に点を取りたいとは思っていたけど、それはあくまでFWの役割として、というか。チームのなかで自分に求められる仕事を心掛けてきた結果、たくさんのゴールを刻むことができた。

 でも、いつもいつも『自分が取らなきゃ』とか、『俺にボールを寄越せ』とは思っていなかったというか。FW(のポジション)を預かることが多かったし、シュートが得意だと自負していたから、自然と点を取ることに気持ちが寄っていたけど、根本的にサッカーはひとりでするものではないと思っていたからこそ、そこまでエゴイスティックに点を取ることばかりを考えてきたわけでもなかった」

 その言葉を象徴するシーズンが、ヴィッセル神戸での2016年だ。シュートレンジの広さを武器に、前年度も3トップの真ん中や、2トップの一角はもちろん、サイドMFとして機能しながら10得点を挙げた渡邉はこの年、開幕から左サイドMFでプレー。キャリア初のキャプテンという責任にも背中を押されながら、チームの勝利を第一に据えた献身性を示して攻撃を加速させる。2トップのレアンドロ、ペドロ・ジュニオールとの連係もよく、レアンドロの"得点王"を後押しするだけではなく、自身も33試合出場12得点と活躍した。

「いろんな指導者の方にお世話になりましたけど、神戸時代のネルシーニョ監督の影響はすごく大きかったです。最初にサイドハーフを任された時は戸惑いもあったけど、求められることにトライし続けていくうちにプレーの幅が広がっていく気がした。当時は守備もして、"(パスを)出す"仕事もして、点も取って......と、今となっては考えられないくらいいろんな仕事をしていましたけど、それらが全部リンクして自分を勢いづけている感覚もあった。

 また、いろんなポジションを預かったことで、結局僕は、"取る側"の選手だと確認できたのも、自分にとっては意味のあることだったと思っています。ちょうど30代に突入するくらいの時期でしたけど、FWである自分がこの先もプロの世界で生き残っていこうと思うなら、どのポジションをするにしても、やっぱり明確な結果が必要だとリマインドできたのは、以降のキャリアを過ごすうえでも大きかった」

 その時々でチームメイトとして戦った、さまざまな選手との出会い、学びも、力に変えて。

「たくさんのチームで、いろんな選手と一緒にプレーできたことも、すごく大きな財産だったと思っています。横浜F・マリノス時代のオグリさん(大黒将志)のクロスボールへの入り方とか、ボンバー(中澤佑二)のプロサッカー選手としての振る舞いとか。FC東京で国見高校の先輩たち、(徳永)悠平さんや、(平山)相太さん、(中村)北斗さんらと再び同じチームで戦えたのもすごくうれしかった。

 横浜FC時代のカズさん(三浦知良)やシュンさん(中村俊輔)、(南)雄太さんもそうですが、ポジションに関係なく、その時々でいろんな人のスペシャルなプレー、生き様を見て、吸収してきたから、今の自分がいる」

 加えて言うなら、ステージや所属チームに関係なく、変わらない温度で自分の体と向き合い、いろんな角度から点を取ることを模索し続けているのも、今のキャリアを語るうえで欠かせない要素だろう。言うまでもなく、年齢が上がるほど自身の体に対する準備やケアがより必要になる一方で、戦う環境はより過酷になっていく現実はあるが、それを理由に練習の強度を調整することもないという。SHIBUYA CITY FCでも、だ。

「このチームは若い選手が多いし、マスさん(増嶋竜也監督)の練習は結構ハードなので、当然キツいんですけど(笑)、基本的に練習はフルでしっかりやりきることを自分に求めています。監督も元プロ選手なので、コンディションを気遣う言葉を掛けてくれることもありますが、それに甘えてしまうと、どんどん体が休むことを覚えて、プレーにブレーキが掛かりそうな気がするから。

 もちろん、体のどこかに痛みを感じている時はセーブもしますけど、そうじゃない限りは、自分で限界を作りたくない。じゃないと、一緒にプレーするチームメイトにも失礼だし、信頼も得られないですしね。何より、そんなふうに調整するようになると、ピッチでの結果を求められなくなる気がするから」

 そうした考え方も、横浜FCでともにプレーしたベテラン選手たちの姿から学び取ったものだという。先にも名前があがったカズや中村俊輔らは、身を以てプロサッカー選手としての在り方を示してくれた。

「30代も半ばに差し掛かるくらいの時に、横浜FCでシュンさんやカズさんと一緒にプレーできたことは本当に大きかったです。キャリアの過ごし方、終え方はひとつじゃないと考えられるようになったのも、彼らの姿を見てきたからこそ。

 自分にとっての正解が何なのかを軸に据えて、真っ直ぐにサッカーと向き合う姿を間近で見せてもらったからこそ、僕も自分なりの正解を求めたいと考えるようにもなった。だって、自分のキャリアだから。人にどう思われようと、自分の気持ちに従って、自分が正解だと思う道を進みたい。

 それが全うできれば、納得して次のキャリアにも進めるはずですしね。ただ、何度も言うように『自分ができる』と思うだけでは自己満足でしかないからこそ、クラブに求められる、監督に必要とされるための結果と、評価が必要なんだけど」

 もちろん、いつかは訪れる引退が、身近に迫っていることは自覚している。近年は同世代の選手が引退を決断することも増え、「否が応でも意識せざるを得なくなった」そうだ。だが、かといって彼らと自分を比べることはしない。あくまで自分は自分のキャリアを突き進むのみだ。

「この年齢だから、仲間が引退したから、『自分もそろそろかな』とは考えないです。それよりも、自分の体と向き合って、やれると思うのか。点を取る、ピッチでの結果を残すことにこれまでと変わらない熱量で向き合えるのかがすべて。

 キャリアを積んでも、自分の価値は変わらずにそこにあると思うからこそ、点を取り続けたい。今はそう思っています」

 そう言って目を輝かせる渡邉に、取材の最後に尋ねてみる。

「たくさんのゴールを決めてきましたが、理想のゴールというのはあるのでしょうか?」

 そこに、ストライカーとしての矜持がある気がしたからだ。それに対し、しばらく考えを巡らせた彼は、直近で決めたSHIBUYA CITY FCでのファーストゴールを例に挙げ、表情を緩めた。

「ここで最初のゴールを決めた時、チームメイトのみんなが僕のファーストゴールをすごく喜んでくれたんです。決めたこと以上に、それが僕としてはすごくうれしくて。『ああ、みんなの思いをゴールにつなげられてよかったな』って。

 と同時に、改めてこれからもチームメイトやファン・サポーターの方、支えてくれている家族や仲間を笑顔にするゴールを取りたいなって思いました。結局、僕はそんなふうに周りの人たちが喜ぶ姿を見たいだけなのかも」

 そう言える彼だから、チームメイトもまた、彼のところまでボールをつなげてきてくれたのだろう。そしてその幸せを味わうために、エゴイストではない点取り屋――渡邉千真は今もゴールを目指し続けている。

(おわり)

渡邉千真(わたなべ・かずま)
1986年8月10日生まれ。長崎県出身。国見高から早大に進学。大学卒業後、2009年に横浜F・マリノス入り。新人ながら開幕スタメン出場を果たし、J初ゴールもマーク。同シーズンにはルーキーとしての最多得点記録(13点)も樹立した。2012年にFC東京に完全移籍。以降、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、横浜FC、松本山雅FCに在籍し、各クラブで得点源として活躍した。そして2024シーズン、SHIBUYA CITY FCに加入。東京都社会人リーグ1部でプレーしている。