37歳・渡邉千真の今――J1から数えて「7部」にあたる舞台でのプレーを選択したわけ
ベテランプレーヤーの矜持
〜彼らが「現役」にこだわるワケ
第2回:渡邉千真(SHIBUYA CITY FC)/前編
その選手は、SHIBUYA CITY FCが練習場のひとつとして利用している渋谷区スポーツセンターの人工芝グラウンドにいた。
クラブハウスはない。グラウンド脇に置かれているベンチに荷物を置いて着替えを済ませ、練習が終われば、練習着は自宅に持ち帰って洗濯する。スパイクを含め、自分が使う用具はすべて個人で管理しているそうだ。
その部分だけを切り取ってもわかるとおり、これまで在籍してきたJクラブの環境とは大きく違う。だが、「サッカーをすることやゴールを決める価値はどのチームでも同じ」だと笑った。
渡邉千真。プロキャリアをスタートした横浜F・マリノスをはじめ、在籍したJクラブはFC東京、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、横浜FC、松本山雅FCと6チームにのぼる。その彼が今シーズン、新天地に選んだのはJ1リーグから数えると、7部リーグにあたる東京都社会人リーグ1部のSHIBUYA CITY FCだった。
今季から東京都社会人リーグ1部のSHIBUYA CITY FCでプレーする渡邉千真
「山雅を契約満了になったタイミングでは、正直、J3リーグ以上でのプレーを描いていたんですけど、プロサッカー選手はいくら自分が『やりたい』『やれる』と思っても、クラブから求められなければできない職業だから。
簡潔に言うと、Jクラブからはオファーがなかったので、カテゴリーを広げて移籍先を探っていたんです。自分としてはまだプレーヤーでいたいって思いも強かったし、体的にもどこか痛い箇所があるわけでもなく、自信を持ってやれる、戦える状態だったので、まずは自分の気持ち、思いを優先しよう、と。
そのなかで、F・マリノス時代のチームメイトであり、同い年の田中裕介を通してSHIBUYA CITYからオファーをもらい、チャレンジしてみることにしました。このクラブに関わるすべての人たちが愛情を持ってクラブ、チームを育てながら高みを目指していることにも惹かれました」
加入に際し、1月末には2日間だけ練習参加をしたものの、自身のなかでほぼ気持ちは固めていたという。これまでとは大きく違う環境下でのプレーを強いられることへの覚悟もできていた。
「Jクラブに在籍していた時は、基本的には天然芝でプレーしていましたからね。山雅では人工芝でやっていたこともあったけど、練習も試合も常に(人工芝で)、というのは早稲田大学時代以来、15〜16年ぶりかな。しかも、クラブハウスもないし、日によって練習場も変わりますしね。
正直、最初は『お〜、なかなかキツいな〜』とは思ったし、慣れるまでは大変でしたけど、やると決めた以上は、目の前にある環境がすべてだと受け入れたというか。Jクラブでプレーしていた時もそうだけど、環境って求めすぎるとキリがないし、結局、環境に適応できるかは、自分の考え方次第だから。変わらないことをあれこれ思うより、自分が考え方を変えてその環境を当たり前にすればいい。
だから、ここが自分の戦う場所だと受け入れて、やるべきことをやるだけ。実際、加入して約2カ月がすぎたけど、慣れてしまえば人間って意外と何にでも適応できるんだなって思っています」
渡邉の言う「やるべきこと」の最上位は当然、点を取ることにある。チーム最年長選手として、これまでの経験を伝えることやチームを引っ張ることを期待されているのは百も承知だが、それだけではプロサッカー選手として生き残れないからだ。それは、キャリアを積み上げるほど、強く感じてきたことだという。
「この世界は、結果を残さないと評価されないし、生き残れない。プロになった時から自覚していたことではあるけど、ベテランになるほど、そこはマストになっていくということは30歳をすぎた頃からより意識するようになりました。僕自身は38歳になろうとしている今も現役をさせてもらっていますけど、近年は特に、30歳代になった途端にプレーする場を失う選手が増えましたからね。
正直、自分のキャリアを振り返ると、30歳くらいの頃が、一番心身ともに充実していたという実感があるだけに、世の中が考える現役のピーク年齢みたいなものがどんどん低くなっているのは厳しいなって思うところはあります。でも、異を唱えたところでどうにもならないから(笑)。
結局、それに抗おうと思うならピッチで証明するしかない。実際、それができている選手は、30歳をすぎてもプロとして戦っていると考えても、現役に拘りたいならその力を自分につけていくしかないと思っています」
その思いがあるからだろう。取材の3日前に行なわれた東京都社会人リーグ1部の第2節、Criacao Shinjuku Procriar戦で移籍後初ゴールを決められたことに安堵の表情を浮かべていた。
「3点のリードを奪った状況での出場でしたけど、どのカテゴリー、どのチームでも、シーズンが始まってできるだけ早くゴールを決められたほうが気持ち的にラクになるので、早い段階で1点目を取れたのはよかったです。与えられた時間のなかで求められた仕事をいかに結果で表現できるかによって、自分の価値も変わっていくはずだから」
今年でプロ16年目。これまでも、ゴールを取ることで自身の価値を証明してきた。2009年に、横浜F・マリノスでプロキャリアの第一歩目を踏み出した時からだ。先発メンバーとして起用されたサンフレッチェ広島とのリーグ開幕戦、開始わずか3分で挙げたプロ初ゴールが「FWとしての原点」だと言う。
「今の時代もそうですが、高卒でプロになるのと、大卒でプロになるのとでは周りの期待値も全然違いましたからね。即戦力になれないと、すぐにプロキャリアが終わってしまうんだろうなという危機感もあった。
しかも、F・マリノスの錚々たる顔ぶれのなかでルーキーなのに9番をつけさせてもらったとなれば、何がなんでも結果を残さなければ、という思いは強かったです。外国籍選手はもちろん 、すばらしい日本人選手も多かったなかで、今以上に数字へのこだわりも強かった気がするし、『それを残せるかどうかでキャリアが変わる』くらいに思っていました。
そしたら、開始3分で点を取れて......正直、あれには自分でも驚いた(笑)。覚えているのは、点を取ったということと、2−4で負けたということくらいだけなんですけど。ただ、個人的にはあの1点があったから少し肩の力が抜けて、その後も点を重ねられたんだと思っています」
事実、この年のJ1リーグで渡邉はチーム最多の13得点を挙げて存在感を示す。ルーキーとしてはJリーグ史上2人目のシーズンふた桁得点だ。新人の年間最多得点記録を更新したこの数字は、以降のJリーグの歴史においてもいまだ破られていない。
さらに、2012年から在籍したFC東京では、2013年にキャリアハイとなるシーズン17得点をマーク。2015年から在籍したヴィッセル神戸では、2015年、2016年と初めて2年連続のふた桁得点を実現する。それらが積み重なって、2018年夏に加入したガンバ大阪においては、2020年のJ1第10節・サガン鳥栖戦で、Jリーグ史上15人目となる『J1通算100得点』を達成した。
それらに代表されるメモリアルなシーズンに限らず、彼が戦ったJリーグでの15シーズンすべてで得点を決めてきたのも、彼のFWとしてのプライドを誇示するものだろう。戦うチームが変わっても、ステージが変わっても、それがシーズン途中の加入であろうと、渡邉は得点を重ねることで自身の価値を証明してきた。
渡邉千真(わたなべ・かずま)
1986年8月10日生まれ。長崎県出身。国見高から早大に進学。大学卒業後、2009年に横浜F・マリノス入り。新人ながら開幕スタメン出場を果たし、J初ゴールもマーク。同シーズンにはルーキーとしての最多得点記録(13点)も樹立した。2012年にFC東京に完全移籍。以降、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、横浜FC、松本山雅FCに在籍し、各クラブで得点源として活躍した。そして2024シーズン、SHIBUYA CITY FCに加入。東京都社会人リーグ1部でプレーしている。