写真は3人の住民が亡くなった砲撃現場。2月18日、ドネツク州クラマトルスク(写真:筆者撮影)

ロシアによるウクライナへの侵攻から2年。現地を拠点に活動する写真家によるレポートです。

2月17日、現地時間2時3分。ウクライナ軍参謀本部のフェイスブックページに「ВАЖЛИВО(重要)」の大きな文字とともに声明文が投稿された。

発信者はウクライナ軍のシルスキー総司令官。「アウディーイウカ周辺の作戦状況に基づき、私はわが部隊を撤退させ、より有利な地点での防衛に移ることを決定した」、と書いてあった。

空襲警報が響く長い夜

その夜、アウディーイウカから64キロメートル北にあるドネツク州のクラマトルスクと、筆者の自宅があるスラビャンスクに砲撃が相次いだ。最初の一発は19時半ごろ。筆者は子犬の散歩中で、爆発音に驚いた近所の犬とともにアパートへ駆け込んだ。


アウディーイウカが陥落する直前、ウクライナ軍の拠点となったコークス工場で撮影された写真(写真提供:ウクライナ兵、ブイコ氏)

その後1時間にわたって10発弱の着弾音が聞こえた。「アウディーイウカが陥落したら、この街にも影響が及ぶ」。そう聞かされていた住民たちは、窓から光が漏れないようカーテンを閉め、空襲警報が響く長い夜を過ごしている。

【地図:狭まるアウディーイウカの包囲網】


左上より2月1日、右上が2月14日、左下が2月17日(10:03)、右下が2月17日(14:32) (地図:DeepStateMapより)

プーチン大統領が目論むドネツク州の完全制圧に向けて、要衝と位置づけられたアウディーイウカ。人口3万5000人、面積29平方キロメートルの工業都市は、2014年に勃発したドンバス紛争以降、最前線になってきた。親ロシア派が支配する州都、ドネツク市から北へわずか15キロメートルのところにあるからだ。

昨年、ロシア軍に対する反転攻勢が失敗したウクライナ軍は、アウディーイウカを死守するため兵力を集めた。先鋭部隊の第47独立機械化旅団は、ザポリッジャ州に展開していた最新型の戦車、レオパルト2とともにアウディーイウカへ移動した。

前線で負傷した兵士の応急措置をする野戦病院のスタッフも移動を求められた。筆者が所属する人道支援団体「マリウポリ聖職者大隊」のユーリ・イワノビッチ(48)もその一人だ。


アウディーイウカの野戦病院。中央がユーリ。昨年12月24日(写真提供:ユーリ・イワノビッチ)

昨年6月の反転攻勢開始以来、ユーリはザポリッジャ州のロボティネ付近にある野戦病院で医療補助のボランティアをしていた。アウディーイウカの野戦病院に着任したのは昨年の12月17日。仮設の治療室には5台の手術台があり、心拍数を表示する機器や点滴が配置されていた。

ユーリから届く凄惨な現場の動画

連日、医師とボランティア十数人で負傷兵の治療にあたった。ピークを迎えたのは12月24日。ユーリから届く動画には、ウクライナ兵のうめき声が記録されている。幾人もの兵士の腕や足首から血が滴る。ロシア軍が打ち込んできたロケットの破片が当たり、裂けた傷口のようだ。

その頃、ユーリは筆者にこんなメールを送ってきた。「戦線が非常に近いので、負傷して間もない兵士が運ばれてくる。戦況はとても厳しい。誰もが疲れている」。


ボランティアのユーリ・イワノビッチ(写真:筆者撮影)

次にユーリがアウディーイウカで活動したのは1月22日から1月29日。運ばれてくる負傷兵は少ない日でも20人、多い日だと30人に増えたという。ケガの状況も変化していた。マシンガンの砲弾が直撃し、スネからふくらはぎに向けて貫通した兵士がいる。腕の前側から後ろ側に向けて射抜かれた兵士もいる。アウディーイウカの市街で、ウクライナの部隊がロシア軍の歩兵と正面から対峙していたことが想像できる。

4カ月にわたる激戦の終盤、ロシア軍は長距離砲を使った戦法から、戦車と歩兵を組み合わせた接近戦に移行した。野戦病院で応急措置を受ける兵士の傷跡に、追い込まれたウクライナ軍の状況が見てとれる。

2月に入り、アウディーイウカの野戦病院は撤退を余儀なくされた。ロシア軍に北東南を包囲されながら、わずかに口があいていた西側が徐々に侵攻されてきたからだ。

その頃、アウディーイウカに派遣された兵士がいる。ハルキウ州の開放などに貢献した第3独立強襲旅団のブイコ(42)だ。


アウディーイウカで戦った第3独立強襲旅団の兵士、ブイコ (写真:本人提供)

「これは工場で撮影したんだ」と言って見せてくれたのは、アウディーイウカの北西部にあるコークス工場から廃墟と化した街を撮った写真だ。最後まで街に残ったウクライナ兵、数千人のうちの多くが籠城していた工場だった。

激戦地バフムートの戦線からアウディーイウカにやってきたブイコは、戦況の違いについてこう話す。

「バフムートの前線は横一線で、敵と向きあう形で戦えた。しかしここは、左からも正面からも右からも敵が攻撃をしかけてくる。弾を避けられないんだ」

アウディーイウカで撮影されたブイコのセルフィー写真を見ると、鼻の左側にかすり傷があった。2月16日、ブイゴはロシア軍に包囲される寸前のところで撤退した。


ウクライナ兵のアレクサンドル・バレリエビッチ (写真:筆者撮影)

その日、筆者とつきあいのあるウクライナ兵、アレクサンドル・バレリエビッチ(47)についての情報が知人から届いた。「アレクサンドルがアウディーイウカの"隠れ家を調べている"」とのメールだった。どうやら隠れ家とは、コークス工場のことのようだ。彼はそこを「調べて」、ウクライナ兵全員を無事に撤退させる任務についたのだ。

開戦直後、マリウポリで結成された内務省傘下の部隊、アゾフ連隊に入隊したアレクサンドル。昨年はスナイパーとしてバフムートの周辺で戦った。戦闘中に倒れた仲間に鉤縄を投げ、たぐり寄せた体験を筆者は聞いていた。

戦闘で命を落としたウクライナ兵は3万人を超え…

脱出経路が限定されたアウディーイウカで、友軍を救出する作戦は困難を極めた。CNNの報道によると、重傷を負ったウクライナ兵が取り残され、ロシア兵に殺害されるケースもあったという。避難車両も砲撃を受け、アウディーイウカ周辺の道にはウクライナ兵の遺体が多数あったそうだ。


ドネツク州の前線地帯。塹壕を出たウクライナ兵が榴弾砲の発射準備を始めた。(写真:筆者撮影)

2月22日、アレクサンドルと会うためアウディーイウカから40キロメートル離れたポクロフスクに向かった。ここは脱出した兵士の避難先となった街の一つだ。道は車両であふれている。店には兵士の姿が目立つ。リサーチャーがアレクサンドルに電話すると、彼はこう話したという。

「いまアウディーイウカの近くで活動中だ。具体的な場所は言えない。精神的にまいっている」

ロシアによるウクライナへの侵攻から2年。ウクライナの市民団体が調査したところ、戦闘で命を落としたウクライナ兵は3万人を超え、負傷者は10万人に上るという。ロシア軍の捕虜になった兵士は、アウディーイウカの陥落で1000人近く増加した。


尾崎孝史氏によるウクライナのレポート。過去一覧はこちら

(尾崎 孝史 : 映像制作者、写真家)