1945年1月25日、ドイツ海軍の旧式戦艦「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」が退役しました。この艦は第二次大戦の始まりを告げた船でもありました。

実は第一世界大戦以前から残っていた戦艦!

 第二次世界大戦末期の1945年1月25日、ドイツ海軍の戦艦「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」が戦線復帰不可能と判断され、閉塞艦として沈められるべく退役となりました。この艦は、第二次世界大戦の勃発を告げる最初の砲弾を撃ち込んだことで知られています。


近代改修直後の「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」(画像:連邦公文書館)。

 同艦は、ドイッチュラント級戦艦の5番艦として、1908年7月6日に就役。その後、第一次世界大戦中の1916年5月31日に発生したユトランド沖海戦に参加。敗戦後はドイツ革命により創設された共和国海軍の常備艦6隻のひとつとして、解体や賠償艦としての引き渡しを免れました。

 1926年には改修作業を終えた同艦は、副砲が新型のものに換装され、4 本の 50 cm 魚雷発射管が主甲板の前後に取り付けられました。1936年には一線を退き練習艦として運用されましたが、1939年9月1日、自由都市ダンツィヒ(現:ポーランド領・グダニスク)にあるヴェスタープラッテ・ポーランド軍輸送基地に砲撃を加え、第二次世界大戦の口火を切ることとなりました。

 なぜ、同艦が開戦を告げる艦砲射撃を行ったかというと、海軍士官候補生の練習艦として扱われていたことも影響しています。ドイツ海軍は砲撃に先立つ1939年8月25日、第一次世界大戦で沈んだ巡洋艦「マクデブルク」を追悼する表敬訪問の名目でダンツィヒ(グダニスク)港へ入港していました。

 しかし練習艦であるというのは見せかけで、砲は実弾がいつでも撃てる状態。甲板の中には完全武装した海軍突撃歩兵中隊の将兵225人が潜み、砲撃と同時に艦から真向いにあるヴェスタープラッテの防御陣地を急襲する計画を立てていました。

第二次大戦勃発! ポーランド軍の施設を担ったのは…

 1939年9月1日の早朝4時47分頃、「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は突如として砲撃を開始。同時に海軍突撃歩兵中隊も上陸し、陣地を制圧しようとしましたが、初日の攻撃はポーランド軍の頑強な反撃に会い、後退することとなってしまいました。

 その後、4日に再開した攻撃では、増援としてやってきたドイツ陸軍の歩兵と工兵を支援すべく激しい砲撃をポーランド軍に加え、上陸を援護。同艦の主砲は旧式戦艦ということで40口径28cmでしたが、敵艦ではなく地上目標相手ならば問題はなく、十分な威力を発揮できます。結局、激しくなる攻撃に耐えきれず、同地のポーランド軍は7日に降伏します。

 ヴェスタープラッテでの戦闘後も、同艦はポーランド領の沿岸にある軍事施設に砲撃を行い、1940年4月にドイツがデンマークへ侵攻した際には、ニュボー及びコアセーの占領作戦の支援を担当しました。

 その後は、宿泊船としてゴーテンハーフェン(現:ポーランド領・グディニア)に繋留されましたが、燃料に石炭ボイラーを使用している旧式艦であるため、重油よりも燃料確保が容易であることから1934年末に再就役することが検討され、1944年2月1日、士官候補生訓練艦として復帰します。

 しかし、戦局はさらに悪化の一途をたどっており、海上でのんびりと訓練している訳にもいかなくなり、1944年9月には対空砲を増設され、ゴーテンハーフェンで浮き砲台として利用されることに。その後、12月18日にイギリス空軍の爆撃機の攻撃を受け、3発の爆弾が命中、湾内に着底しました。12月20日には火災を起こし、沈んでいなかった艦の兵装も使用できなくなり、前述の通り1945年1月25日、正式に退役となりました。


「シュレースヴィヒ・ホルシュタイン」と同型艦の「シュレジエン」、右奥はブラウンシュヴァイク級戦艦「ヘッセン」(画像:アメリカ海軍)。

 退役後は閉塞艦としてマリーエンブルク(現:ポーランド領・マルボルク)の港の入口に曳航され自沈した同艦でしたが、その直後に同地はソ連軍に占領され、ソ連海軍はこの船を修理し、フィンランド湾で訓練目標として使用しました。なお、船の残骸はまだ存在しており、海中に横たわっているそうです。