全日本選抜に選ばれた25歳の菅野洋佑【写真:永塚和志】

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アメフトの国際試合「Dream Japan Bowl」全日本選抜に選ばれた25歳の菅野洋佑

 アメリカンフットボールの国際試合「Dream Japan Bowl」が1月21日、東京・国立競技場で開催される。国内トップリーグ・Xリーグの選手を中心とした全日本選抜と、米アイビーリーグ選抜チームによるこの対戦は昨年に引き続き2度目の開催となる。9日、この試合に臨む日本選抜の60名のメンバーが発表されたが、今回の日本チームにはXリーグも日本の大学フットボールも経験していない毛色の違う選手が含まれている。

 2023年シーズンまで本場アメリカの高校、大学フットボールで計7年間プレーした、25歳の菅野洋佑だ。

 兵庫県明石市出身で関西の名門、関西学院高等部でプレーしていた菅野は、同校のアメリカ遠征時に同国でのプレーができるという自信を得たことで留学を決意。その対戦相手の高校に入学し、その後、大学へ進学して最終的にはアメリカ大学スポーツ主要リーグの1つ「アトランティック・コースト・カンファレンス(ACC)」所属校のシラキュース大大学院(ニューヨーク州)でフットボールをしながら修士の学位を取得した、文武両道の選手だ。

 現アメリカ大統領のジョー・バイデン氏が、シラキュース大法科大学院で法務博士を取得している。スポーツでは、アメリカンフットボール、男子バスケットボールの双方で全米王者となったことがあり、アメリカンフットボールでは伝説的ランニングバックのジム・ブラウン氏(元クリーブランド・ブラウンズ)やスーパーボウル出場経験のあるクオーターバック、ドノバン・マクナブ氏(元フィラデルフィア・イーグルス)など数々の名選手をNFLへ輩出している。

 他の多くの選手と同様、菅野も当初はNFL入りを夢見、彼にとってのアイドルでプロフットボール殿堂入りも果たしているマイケル・ストレイハン(元ニューヨーク・ジャイアンツ、ポジションはディフェンシブエンド)にあやかってシラキュース大の前に所属したセントフランシス大では背番号「92」をつけていた。

 だが菅野は、現実が甘くないことを「早い段階でNFLは無理だなと痛感した」と語る。シラキュース大では2年間で計5試合の出場と出番が限られコーチから転校を進められるなど、苦しみもあった。

 では、はるばる海を越えて渡米しながらスポーツで思うような道をたどることができなかったとしても、菅野は自身のたどってきた道には自負を持つ。上述のように異国の高校、大学、大学院を経験し、修士を取得した彼に負い目を感じていない。

 しかも、セントフランシスでの4が満点の平均評定で約3.6という優秀な成績だった菅野(しかも「戦略的コミュニケーション」と「デジタルメディア」の2つを専攻していた)は、シラキュース大大学院へ進むにあたって学業で奨学金(学費の半分を大学が出してくれる形)を得ている。これは日本人のスポーツ留学の例としては珍しい例かと思われる。

スポーツ留学を考える若者へ「すべての努力の点と点はいつか先になってつながる」

 菅野が言う。

「アメリカは学生に対して手助けのシステムがめちゃめちゃしっかりしているので、自分自身が能動的に勉強をしなければならないと思う環境にもっていってくれますし、学ぶことが将来のために大事だと思わせてくれる環境です」

 菅野がシラキュース大大学院で専攻したのは教育学部のInstructural design, development and evaluation(教育設計、開発評価)というもので、平易に言えば組織等で出てくる課題や問題を分析し、どう解決すべきかを学ぶものだ。

「簡単に言うと、例えばフットボールチームという組織で『こういう問題が起きていますよ』となった時に、その問題を分析してどういうインストラクション(指令、指示)をそのチームに落とせば問題を解決できるかというようなことを学びます」

 この日本ではなじみの薄い専攻について菅野はこう説明する。

 選手を終えてからもフットボールの指導者になることを視野にいれていた菅野は、大学院からの助言でこの専攻に決めている。アメフトが前提にあったということだ。

 関学高等部在籍時には英語が「欠点」で当時は大学院へ進学することなど考えもしていなかったという菅野だが、スポーツをしながら外国語で海外で修士の学位を取得するのは、大抵の努力ではままならなかったはずだ。アメリカでのどのような壁にぶつかったかと問うと彼は、アメフトと学業の両立するための「タイムマネジメント」だったとする。

「カレッジのスポーツをやることっていうのはフルタイムジョブをやるのと一緒だというのはよく言われていることで、まわりでみんながパーティーをしたり遊びに行ったりしている中、自分は練習をして、午後クラスに行って、宿題もいっぱいあってという日々を過ごしていました」

 華やかなキャンパスライフの日々というわけにはいかなかった様子の菅野だが、アメリカという異国で文武両道に励んだことからこそ得られたものを、これから海外の大学などでスポーツ留学を考える日本人の若者たちにも伝えていきたいと考えている。

「アスリートの寿命は短く、人生全体を考えた時に学位を取ることや大学で何かを学ぶことというのは絶対、将来につながること。アメフトに限らず、日本の選手たちには人生が長いことを理解し、かつプロへ行く道はすごく狭いものだとをわかった上で、すべての努力の点と点はいつか先になってつながるので、これからの日本でもそういう価値観が芽生えていったら嬉しいなと思っています」

スポーツと学業の両立に挑みながら人間としての自身のスケールを大きく

 12月に修士を取得し、アメリカでの学生生活を終えた菅野は、アメフトとは人生を通じて関わっていきたいと話す。もっとも、選手としての引退はまだ先の話で、今後はXリーグやCFL(カナディアン・フットボール・リーグ)への挑戦とそこでのプレーを目論んでいる。そのためにも、今回のDream Japan Bowlは彼にとっての大事なアピールの場となる。

 昨年に引き続き今年のDream Bowlの日本選抜にもXリーグのアメリカ人選手が加わる形になるものの、今回のような日本の選抜チームがアメリカのチームに勝利を収めたことはこれまで1度もないという。

 それでも、試合へ向けての菅野の鼻息は「試合に勝つことは大前提だ」と、荒い。

「チームの先頭に立って引っ張るのは高いレベルを経験してきた自分自身だと思っているので、それを達成するためには、まず試合の中で複数のサック(相手のクオーターバックにタックルを決めること)、さらに(相手のパスを)インターセプトして、誰がどう見ても『菅野が今日のMVPだったな』と言われるような試合をすることが、当たり前にやらなければいけない最低限のレベルかなと思います」

 最初は本場のアメフトに挑戦するために渡米した男は、いつしかスポーツと学業の両立に挑みながら人間としての自身のスケールを大きくした。

 Dream Bowlでは、菅野洋佑という異色の「文武両道プレーヤー」の活躍ぶりに注目したい。

(永塚 和志 / Kaz Nagatsuka)