高校教諭2人に訪れた突然の転機 東洋大・酒井監督夫妻、「福島→埼玉」行きを決断した激動の3か月
東洋大学陸上競技部(長距離部門)酒井俊幸監督&瑞穂コーチインタビュー前編
大学陸上界では珍しい指導者夫婦がいる。箱根駅伝の常連校で通算4回の優勝を誇る東洋大学陸上競技部を2009年から率いる酒井俊幸監督と、監督補佐としてチームを支えながら18年から競歩選手を指導する妻の瑞穂コーチだ。今回の第100回箱根駅伝でも東洋大は下馬評を覆して総合4位となり、19年連続シード権を獲得している。夫婦揃って日本を代表する多くのランナーを育て、世界の舞台を見据えて指導を続けているが、インタビュー前編では08年12月に母校から届いた突然の就任要請から、決断に至るまでの激動の3か月を振り返る。当初は断りを入れ、就任に消極的だった夫の背中を押したのは、妻の東洋大に対する思いだった。(取材・文=牧野 豊)
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結婚して6年。ともに故郷・福島で高校教諭、また長距離、競歩の指導者としての生活が軌道に乗り始めていたが、2008年12月、東洋大学から酒井俊幸に最初の連絡が入る。翌年から母校・東洋大学陸上競技部の監督への就任を打診されたのだが、その時は即答で断りを入れた。
「私自身は実業団を退いて、学法石川高の教員になって4年目。当時、2年生の担任のクラスを持ち、部活でも自分が初めて勧誘した生徒たちが次年度に最終学年を迎える時で、生徒や彼らの出身中学校への責任がありました。私より教員歴の長い妻も県立高校保健科教諭として担任のクラスを持ち、競歩の指導者として県陸協の強化コーチとしても活動しており、それぞれ抱える役割があったからです」
私生活では長男が生まれ、建てて間もない注文住宅もあった。俊幸は当初、打診について瑞穂に伝えていなかったが、その後も大学から連絡を受ける過程で事情を説明。「断ろうと思う」と胸の内を伝えた。
しかし、瑞穂の答えは予想もしないものだった。
「その話、受けたほうがいいよ」
そして瑞穂自身も、正式採用の女性体育教員として積み重ねていたキャリアを捨て、一緒についていくという。「何を言っているのか。教員も辞めて、家も売ることになる」と夫に言われても、瑞穂は「母校の一助にならなければ、と説得し続けました」と振り返る。
思いつきで押したわけではなかった夫の背中
現実的に対応する俊幸とは一見対照的に見える瑞穂だが、決して思いつきで夫の背中を押したわけではない。
競歩の選手だった日本女子体育大学1年の時に知人を通して俊幸と知り合って以来、「シード権争いをしているが、ずっと箱根駅伝優勝をあきらめずに目指していたチーム」として東洋大学を応援し、自分の母校のように捉えていた。夫婦で選択を迫られている最中、そんなチームが箱根駅伝本戦で奮闘。67回目の出場の末に初めて総合優勝をつかみ取ったことも、夫の背中を押す力を強くした。2人と同じ福島出身で、のちに箱根史にその名を刻むことになる柏原竜二が5区で鮮烈な「山の神」デビューを果たした時だ。
「箱根の山では、私たちと同じ福島出身で交流のあった柏原の走りを目にしましたし、とにかく初優勝に感動して。だから、今後は東洋大学が強豪であり続けるために支えていければという思いが湧いていました。私の指導者としてのキャリアは、毎年指導してきた県内の競歩選手をインターハイ、国体に入賞させることもできていたので、これからは夫をサポートする立場で東洋大学を支えたいという気持ちのほうが強くなっていました」(瑞穂)
もう一つ、俊幸を近くで見ていたからこそ、想う部分もあった。
「夫は教員、指導者としてだけでなく、複数の校務の分掌や学校外の陸上関連の仕事など、いろんなことを頼まれやすいタイプで、受けたものは睡眠時間を削ってでもすべて責任を持ってやる性格なんです」
それゆえ、時に許容範囲を超えてしまうこともあった。大学では教員ではなく、陸上部監督としての専任業務となる。俊幸が一つのことに集中すれば、より力を発揮できるのではないか――。それが縁深い大学から請われる形で声をかけてもらっているならば、なおさらやり甲斐のある舞台になるのではないか。
「陸上を極めようとする指導者と選手が融合すれば、すごくいい結果が生まれるという思いがありました」
納得のいく事後環境を整え就任を決断
最終的に、俊幸が東洋大学の監督を引き受ける決断を下したのは、2月中旬。自身が納得のいく事後環境を整えることを条件に引き受けた。
2人は当時の福島県陸上競技協会会長をはじめ、国体の監督、それぞれの学校の校長先生などお世話になった方々に感謝とお詫びを伝える一方、俊幸の恩師である佐藤尚元監督や理事等、東洋大学の関係者が奔走し、俊幸の後任には、実業団選手を引退後に指導者の道を目指していた松田和宏が就任。松田は、学法石川高校を男女ともに全国の強豪チームに育て上げ、現在も指導を続けている。
俊幸と瑞穂は、「チームの伝統をつなぐこと」と「箱根駅伝優勝」という命題に応えるべく、東洋大学陸上競技部の拠点となる埼玉県川越市で、新たな生活のスタートを切った。(文中敬称略)
■酒井俊幸(さかい・としゆき)
1976年5月23日生まれ、福島県出身。学法石川高(福島)2年時に全国高校駅伝に出場。東洋大学時代は1年時から3年時まで箱根駅伝に出走し、2年時はシード権獲得に貢献。4年時は出走できなかったが、主将としてチームを引っ張った。卒業後はコニカミノルタに入社し、全日本実業団駅伝では2001年からの3連覇の中心選手として活躍を見せた。現役を引退し、2005年4月から母校である学法石川高の教諭に。2009年4月から母校・東洋大学陸上競技部(長距離)の監督となり、以来、箱根駅伝では総合優勝3回を含む10年連続総合3位以内の成績を残したのをはじめ、次回大会まで監督就任以来16年連続出場を継続中。学生三大駅伝の出雲駅伝(2011年)、全日本大学駅伝(2015年)でも大学史上初の優勝を飾っている。2017年まで指導していた競歩選手、長距離の卒業生を含め、五輪や世界陸上の日本代表選手を輩出している。
■酒井瑞穂(さかい・みずほ)
福島県出身。旧姓・佐藤。福島西女高(現・福島西高)時代には国体3000メートル競歩で6位入賞、日本女子体育大学では日本学生選手権5000メートル競歩で2年連続入賞を果たしている。大学卒業後は福島県で公立高校の教員となり、国体の福島県チームの強化スタッフを務めるなど、高校生選手の育成にあたり、教え子のなかには東洋大に進学した2003年パリ世界選手権20キロ競歩に出場した松崎彰徳がいる。2003年に結婚後も仕事を続けていたが、2009年に俊幸が東洋大学監督に就任すると、教員職を辞し、家族で埼玉へ。東洋大学では監督補佐の立場で、主に選手たちの日常生活の指導を担当。2018年からは競歩コーチの肩書きも加わると、東京五輪銀メダルの池田向希と世界陸上2大会連続メダル獲得の川野将虎(ともに現・旭化成)を指導し、現在まで指導者として国際大会でメダル8個を獲得している。
(牧野 豊 / Yutaka Makino)
牧野 豊
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「NBA新世紀」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。