「身近な人の死」とどう向き合えばいいのか。映画プロデューサーの叶井俊太郎さんと、スタジオジブリの鈴木敏夫さん他との対談集『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』(サイゾー)より一部を紹介しよう――。

■「膵臓がんで余命半年」叶井俊太郎に、鈴木敏夫が贈る言葉

【鈴木敏夫(以下、鈴木)】叶井も、もうちょっと生きるんじゃない?

【叶井俊太郎(以下、叶井)】そこは分からないですね。膵臓(すいぞう)がんはいちばん治らないっていうじゃないですか。オレはもう抗がん剤治療もしてないんですよ。

【鈴木】あぁ、僕の中学以来の友達も膵臓がんなんだけど、やっぱり抗がん剤治療はしてないと言ってたね。もうしんどいのは嫌だってことで、治療拒否したみたい。

【叶井】これも個人差あるけど、ほとんど寝たきりになっちゃうんですよね。

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「ほとんど寝たきりになっちゃうんですよね」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/wutwhanfoto

■「僕自身も4歳で死にかけているし」

【鈴木】今、僕の周りはがんだらけなんですよ。膵臓がんがもう一人いて、食道がんも一人いて。でも年を取ったからってわけじゃなくて、僕の妹は若くして病気で死んじゃったし、ひとつ上の親友も若い頃に自殺してしまって、わりと昔から死が周辺にあったんだよね。僕自身も4歳で死にかけているし。

【叶井】そうなんですか。鈴木さんの周りに死があるようなイメージは、まったくないですね。

【鈴木】実はそうなんだよ。4歳のときに大腸カタルになったの。医者の先生が「親戚の方を集めてください」と宣告して、これはもうダメだ、と。親父の故郷に行っていたときで、親戚が全員集まったの。

【叶井】じゃあ、お父さんお母さんも覚悟していたんですね。

■「おまえは普通の子じゃない」

【鈴木】もう諦めて覚悟していたみたい。どうにか治って「奇跡だ」と言われました。

だから僕は、おばあちゃんからずっと「おまえは普通の子じゃない」って言われてたんですよ。死ぬはずだったのに生き残った、特別な子なんだって。なんだか、そういうことが重なるんですよ。それから23歳のときにも……いや、オレの話をしてもしょうがないかもしれないけれど。

【叶井】聞きたいですよ。

【鈴木】会社に入ってすぐ、24歳の誕生日にお腹が痛くなったんです。右腹だから盲腸なんだけど、僕の家系には盲腸をやった人がいないのね。だから「なんでこんなに痛いんだろう」と思いながら電車に乗って、新橋の会社に着いた途端に動けなくなった。みんなが騒いで、近くの病院に連れて行ってくれたんです。そうしたら、そこの医者が「手遅れだ」って言ったの。それでオレ、急に力が出て「手遅れってなんだ!!!」って叫んだ。

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「電車に乗って、新橋の会社に着いた途端に動けなくなった」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/y-studio

■医者がお腹を触った瞬間「オペ」

【叶井】あはは、そりゃ医者もびっくりしますね。

【鈴木】医者が慌てて「いや、ここの施設では治療ができないって意味です」って言うんだ。それで「近くに慈恵医大があって、知ってる先生がいるから連絡します」となって、慈恵医大に行ったら、今度はそこの医者が僕のお腹を触った瞬間「オペ」って。

【叶井】早い!

【鈴木】人間というのは、深刻なときに滑稽なことが起こるんですね。それを聞いて僕は「(か細い声で)血液検査……」って言ったんです。まだ触っただけで、盲腸かどうか分からないだろうと思って。そうしたら医者が「馬鹿野郎!」って大きな声で言って、ほっぺたをバーンと叩かれた。

【叶井】そりゃそうですよ、先生はオペって言ってるんですから。

■「効かねぇなあ」麻酔なしでの盲腸手術

【鈴木】そこからまず体の前側に部分麻酔を打って、そこをつねるんです。僕が「痛い」って言ったら「効かねぇなあ」と。今度は背中から全身麻酔するんだけど、これも効かない。お腹が痛いから神経がいら立ってピリピリしてるんだよね。それで医者が「誰でもいいから、いるやつ全員呼んでこい」って命じて、16人が集まった。その人たちに「おまえは頭の真ん中、おまえは左耳、おまえは右耳、おまえは肩」って僕を押さえつけさせて、的確な指示をして「じゃあ切るぞ」と。

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「背中から全身麻酔するんだけど、これも効かない」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/JodiJacobson

【叶井】えー! 麻酔は⁉

【鈴木】ないのよ。「先生、勘弁して! 勘弁して!」「うるさい!」ブスッ!

【叶井】そんなのあります⁉

■2時間遅かったら死んでいた

【鈴木】そこで驚くべきことが起きた。痛くないのよ。「え? 今切ったんですよね? 痛くないんですけど」って聞いたら、「当たり前だ。中のほうがもっと痛いんだから、切ったって痛くないんだよ」って言うんだ。

【叶井】鈴木さん、普通にしゃべってたんだ。

【鈴木】4時間くらいかかったかな。単なる盲腸じゃなくて膿が出ちゃってたから、手術の途中でインターンを呼んできて「こんなケースは珍しいから、よく見ておけ。あと2時間だったな」って話してるんですよ。2時間遅かったら膿が心臓に達して死んでいた、と。僕が「先生、手術中に勘弁してよ」って言ったら「うるせぇ、歌でも歌ってろ」って言われて、しょうがないから歌ったの。

【叶井】そんなことあるんですか。意識がありながら手術って。

■髪の毛が全て真っ白に

【鈴木】宮さん(宮崎駿)に話したら、その医者は軍医に違いないと。だから麻酔もへったくれもないのよ。それで3日間絶対安静で水も飲めず寝返りも打てずに過ごして、4日目の朝に医者が来た。「ちょっと脅かすけど、びっくりするなよ。あらかじめ言っておくからな。中にはショック死するやつもいるから」って言うんです。「もったいつけないでくださいよ」って言ったら、手鏡渡されて「自分の顔を見てみろ」と。僕は見た。

【叶井】何、何、何?

【鈴木】全部真っ白。

【叶井】髪が?

【鈴木】そう。「手術中に黒が白になったんだよ」って。「3カ月もすれば元に戻るから」って言われたけど、あれは忘れられないね。

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髪の毛が全て真っ白に(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/aorphoto

■「死はずっと身近だったんだ」

【叶井】『あしたのジョー』ですね。ホセ・メンドーサだ。

【鈴木】だって麻酔なしでメス入れたんですよ。見せましょうか?(傷跡を見せる)

【叶井】うわ、結構えぐい! 50年以上前の傷がまだ残ってるんですね。

【鈴木】そういうわけで、なんだか死はずっと身近だったんだ。それこそ徳間康快の死にも立ち会ったし。

【叶井】高畑監督も亡くなっちゃったし。

【鈴木】高畑さんも、大塚康生も死んじゃった。当たり前なんだけどね、みんな死んでいくんですよ。

【叶井】人間、誰でも死にますからね。

■死を実感した「犬の心臓が止まる瞬間」

【鈴木】これは話そうかどうしようか迷っていたんだけど、しゃべっちゃうね。この間、知り合いから「犬を預かってくれ」って言われたの。名前はたおん。そのたおんが病気で余命がなくて、最期に良い医者に見せたいんだけど、その人は遠くに住んでるんだよね。恵比寿ならすぐ病院に行けるからってことで、ちょっと預かったんです。残念ながら持たなくて、この夏の猛暑のさなかに死んじゃったんですけど。

【叶井】預かってどれくらいで?

【鈴木】2週間。

【叶井】結構長かったですね。

【鈴木】それだけ一緒にいたら情も移るよね。僕はもともと犬好きだから。そのたおんが死ぬときに、生まれて初めての経験をするんですよ。飼い主とみんなで最期を看取るとき、まだ生きているたおんを触りながら、僕は思わず心臓に手を当てたんです。そうしたら、その心臓がね、ドクンドクンと波打っているのが突然、止まった。これは忘れないですね。そうやって死を実感したのは初めてでした。自分の親父でもおふくろでもそんなことはなかったから。死ぬっていうのは、こういうことなのかと実感した。

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死を実感した「犬の心臓が止まる瞬間」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/webphotographeer

■「この世にまったく未練がないなと思った」

【叶井】鈴木さんだったら、「余命半年です」って言われたらどうします?

【鈴木】何もしようがないよね。普通にしていたい。そうはいっても実際に宣告されたらジタバタするんだろうけれど。

【叶井】いや、意外にしないんじゃない? 僕は全然ジタバタしてない。「余命半年」って言われて、この世にまったく未練がないなと思ったもん。もう終わらせてもいいな、って。

【鈴木】なんで? 居座ったらいいんじゃないの。死んじゃうってつらいですよ。親友が亡くなってしまったって、さっき言ったでしょう。そのとき僕は30歳だったんだけど、身代わりとして生きなきゃいけないなって気分はどこかにあるんですよ。そいつにはいろいろ夢もあって、何かをやってのけたい人だったの。僕なんかは本当のことを言うと、そんな気持ちはまったくなくて、そいつのそばにいて「そんなこと考える人がいるんだな」と思っていたら死んじゃった。そこで何か託されたような気がしてね。少しは頑張らなきゃって思ったのは間違いない。

■「坂本龍一の死」が重く迫ってきた

【叶井】なるほど。僕は仲いい人が死ぬ経験がまだ、あんまりないので分からないですね。

【鈴木】節目節目でそういうことがあった。で、年を取るとね、少し変わってくるんだよね。そんなに親しかったわけじゃないんだけど、ひょんなことで坂本龍一さんと仲良くなったんです。

彼から声をかけられて、映画音楽について2人で話すイベントをやって、予定が1時間のところを2時間しゃべったのかな。ものすごく楽しい時間だったんだよ。その後もコンサートに呼んでいただいたり、メールのやり取りをしたりしていて、もう少し会って話したいなと思っていたけれど亡くなってしまった。

そのときに何かが襲ってきたんですよね。彼の死が重く迫ってきた。そういうことは今まで経験がなかったから「年かな」って思いました。年を取ると当然そういうことが増えますよ。高畑さんは「やりたいことがまだいっぱいあるんですよ」って言いながら死んでいった。

【叶井】そうだったんだ。

■「宮崎駿なんか見ていると、やっぱりしぶといよね」

【鈴木】やりたいことがある人は無念だろうなって気がする。宮崎駿なんか見ていると、なんていうんだろう、やっぱりしぶといよね。

写真=AFP/時事通信フォト
宮崎駿監督(2015年7月13日撮影) - 写真=AFP/時事通信フォト

【叶井】宮崎監督は次回作も何か考えていたりするのかな。

【鈴木】この映画次第だと思う。『君たちはどう生きるか』(23)がヒットしたら、かな。

【叶井】もうヒットしてるじゃないですか!

【鈴木】いや、あの人は欲張りだから。

叶井俊太郎『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』(サイゾー)

【叶井】興行収入100億円いく勢いじゃないですか。もう大ヒットだと思いますね。どのくらいまでいったらヒットなんでしょうか?

【鈴木】分からないけど、ヒットしたと自分で思えたら、またやりたいんじゃない? だからヒットしなかったらやめちゃう。たぶんそうだと思います。

【叶井】宮崎監督の中でヒットの基準があるんだね。でも、すでに社会現象に近いじゃないですか。

【鈴木】おかげさまで、ありがたいです。

【叶井】それにしても、まったく宣伝しないって手法はすごかったですね。

【鈴木】年取ったからさ……。

【叶井】あはは、めんどくさかったんですか?

【鈴木】(顔をしかめる)

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叶井 俊太郎(かない・しゅんたろう)
映画プロデューサー
1967年東京都生まれ。フランス映画『アメリ』のバイヤーとして知られ、『いかレスラー』『日本以外全部沈没』などの企画・プロデューサーとして日本映画界の発展に貢献。現在は、映画配給レーベル・エクストリームの宣伝プロデューサーを務める。2009年9月に漫画家・倉田真由美と入籍。22年6月、膵臓がんで余命半年の告知を受けるが、23年10月現在、笑いながら存命中。著書に『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』など。
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鈴木 敏夫(すずき・としお)
スタジオジブリ代表取締役プロデューサー
1948年、愛知県名古屋市生まれ。徳間書店で『アニメージュ』の編集に携わるかたわら、1985年にスタジオジブリの設立に参加、1989年からスタジオジブリ専従。以後ほぼすべての劇場作品をプロデュースする。著書に、『ALL ABOUT TOSHIO SUZUKI』(KADOKAWA)、『ジブリの文学』(岩波書店)、『南の国のカンヤダ』(小学館)、『仕事道楽 新版――スタジオジブリの現場』(岩波新書)など多数。新著に『読書道楽』(筑摩書房)がある。
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(映画プロデューサー 叶井 俊太郎、スタジオジブリ代表取締役プロデューサー 鈴木 敏夫)