ご子息の結婚式に参列した比留間直子さんと、細山理恵看護師。遠方の結婚式でも、ツアーナースがいることで参加が可能になる場合がある(写真はケアミックス提供)

ツアーナース(旅行看護師)と呼ばれる看護師たちの存在をご存じでしょうか?

「最期の旅行を楽しみたい」「病気の母を、近くに呼び寄せたい」など、さまざまな依頼を受け、旅行や移動に付き添うのがその仕事です。

連載第1回は、高次脳機能障害を持ち、車いすで生活する70代の女性に付き添い。遠方で開催されることになった息子さんの結婚式へ送り、一緒に参加したエピソードをお送りします(本記事は「日本ツアーナースセンター」の協力を得て制作しています)。

旅の可能性を広げるツアーナースという仕事

朝の9時過ぎに病院を出て、タクシーと新幹線を乗り継ぐ約3時間の行程。比留間直子さん(72)は当初、この旅に少し不安を感じていた。それでも、美容スタッフによるメイクと髪のブローが仕上がると、ぱっと華やいだ表情になった。


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ツアーナースの細山理恵看護師はこの瞬間をいつも楽しみにしている。

「素敵に仕上がりましたね」

細山看護師が声をかけると、直子さんは「そうね、ありがとう」と笑顔になり、美容スタッフに向かって小さくお辞儀をした。

2022年10月某日。直子さんはこの日、ご子息の結婚式に参列するため、長野県軽井沢のとある結婚式場に来ていた。彼女は脳卒中の後遺症による高次脳機能障害を持っており、車いすでの生活だ。1人で行動することはできない。

旅の全行程に張り付き、体調の管理から身の回りの世話を一手に引き受けるのがツアーナースの仕事だ。


美容スタッフによるメイクも細山看護師が見守る(写真はケアミックス提供)

「親戚の皆さんがいらっしゃる場所にいきましょう」

細山看護師は、直子さんが座っている車いすのブレーキを解除し、手押しハンドルを握った。車いすを押し、式場に集まっている新郎新婦の親戚たちの輪に直子さんをアテンドする。病気のために、自分から立ち歩いて行動することができない直子さんは、式場で孤立するかもしれない。細山看護師はそうしたことがないように、式のスケジュールを見ながら直子さんがその場になじむように行動する。

また、そうした配慮をしながら途中、トイレに立ち寄り、排泄介助もする。結婚式が始まると、しばらく中座できないので、事前に済ませておくのだ。

高次脳機能障害は、さまざまな症状が見られるのだが、人によっては尿意や便意を感じにくくなる。本来は尿意を感じてもいいくらいの状態であっても、「トイレに行きましょうか」とストレートに問いかけると、「いや、今は大丈夫」と断られ、後々の失敗につながることもある。

そのようなことを見越して、細山看護師は何気なく直子さんを、トイレに誘導したのである。これもツアーナースのテクニックの1つだ。

病気や障害があっても、人は旅に出る権利がある。状況が許すのであれば、どこへでも出かけて行き、好きなように過ごしたい。ツアーナースはそうした人たちをサポートし、理想の旅を支える。

また、学校の修学旅行や課外活動などに付き添って、生徒たちの体調管理や急病・ケガの対応を行うのもツアーナースの大切な仕事だ。

ただ、現在もツアーナースの認知度は高いとは言えない。その存在を知らずに、旅行や外出の機会を逃している人は多いはずだ。前出の比留間直子さんは、ご子息である比留間翔さんのたっての希望により、入院先の病院から結婚式場までの日帰り旅行が実現した。翔さんがツアーナースの存在を知ったのはちょっとした偶然からだった。

結婚を機に、ツアーナースの存在を知った

母子家庭で育った比留間翔さん(30)は、就職後は転勤族で、母親の直子さんとは長く離れて暮らしていた。2019年の年末に、地元の東京都に戻って来ることになったのだが、折り悪くその年、直子さんは脳卒中を起こし、救急搬送される。

ようやく近くに住むことができるようになると思っていた矢先の出来事だった。

その後、症状はある程度安定したが、新型コロナの流行が追い打ちをかけた。面会を制限され、入院中の母親を見舞うこともままならない。

また、担当医の話では、脳卒中の症状は安定しているものの、後遺症の1つとして、高次脳機能障害が出ているとのこと。時々、今自分がいる場所や時間帯などが混乱することもあるという。在宅での一人暮らしは難しいだろうとの判断だった。

翔さんは、仕事の合間に、直子さんのような既往歴のある人を受け入れてくれる介護施設を探すことになる。とはいえ、若い翔さんに老人ホームの知識はない。関東を中心に展開する施設紹介会社ケアミックスに相談を持ち込んだ。

母親の人となりや症状を細かく伝え、安全、快適に過ごすことができる施設をピックアップする。同時に、その頃の翔さんにはもう1つ大きな仕事があった。結婚が決まり、その準備も進めなければならなかったのである。

ケアミックスの相談員との雑談の中で、翔さんはこんなことを語った。

「転勤になった時にも感じたのですが、家族といつでも会えるというのは当たり前の事じゃない。結婚式のタイミングを逃したら、ひょっとして、もう会えないかもしれない。なんて思ってしまうんですよね」

聞いていた担当者が、次のように提案した。

「うちは社内で、ツアーナース派遣の事業会社(日本ツアーナースセンター)もやっているんですよ。もしよかったら、おつなぎしましょうか」

こうした経緯があり、比留間直子さんは、翔さんの結婚式にツアーナースを伴う形で参列することになったのである。

病院と連携し、確実に目的地まで送り届ける

そんな経緯がありながら、迎えた結婚式当日、朝の9時30分。入院中の直子さんを迎えに病院まで行く。今回のミッションは、ご子息の結婚式へのアテンドだ。往復の付き添いはもちろん、式に参加する直子さんの見守りなども任されている。

ツアーに出る前、細山看護師は事前に旅の大まかな計画を立てる。そのために、患者の状態を知っておくことは必須だ。本来は同行する患者の状態や既往歴、性格や食の好みなどは病院側から事前に提供される診療情報提供書や、看護サマリーから詳しく知ることができる。細山看護師はこれに目を通し、患者の状態に則したツアーの全体像を組み立てておく。

ツアー当日の朝には、病院で担当ナースからの直接の申し送りも受けることができた。血圧や脈拍数などのバイタルサイン。食事の制限の有無……などなど、短いが行き届いた報告があり、それらを完結にまとめたメモも用意してくれていた。 


新幹線で軽井沢へと向かう(写真はケアミックス提供)

今日の目的地は長野県の軽井沢だ。病院から東京駅まではタクシーである。最近では車いすごと乗り込み可能なタクシーも増えているが、直子さんは短い距離なら歩くこともできる。ただ、左の膝関節に小さな障害があり、左足を少しだけ引きずるような歩き方をする。もちろん、これも病院の担当ナースからの申し送り事項の1つだ。

細山看護師は直子さんの左側に立ち、エスコートするように支えながら、タクシーへの乗り込みを支援した。駅の窓口で声を掛け、しばらく待つと案内の職員がやってきた。JR側にも連絡を入れているので、この日のオペレーションも滞りがない。新幹線の乗り口まで、車いすを押して案内する。

新幹線の指定の席に移乗し、車いすは畳んで所定の位置に固定した。サポートがあるとはいえ、直子さんは入院中の患者だ。長距離の移動はそれだけで体力を消耗する。新幹線の中ではいすを少しだけ倒し、リラックスした状態で軽井沢に向かった。

ツアーナースはあくまで黒子、何も起きないことが一番いい

この日、直子さんは病院で朝食を済ませ、外出着に着替え、タクシーと新幹線を乗り継いで結婚式場に到着した。直子さんは遠出をすることに不安も大きい。

高次脳機能障害には、先の目標を設定したり、計画を立てたり、効率的に行動したりすることが困難になる「遂行機能障害」という症状がある。

細山看護師は直子さんの表情や顔色、言動にも注意を払いながら、少しでも不安のない旅を演出する。

式場の控室に入り、本番はこれからだ。式に参列するための、ドレスチェンジもひと仕事である。細山看護師は直子さんの両方の脇に腕を差し込み、車いすから立たせて、着替えるのを手伝う。

胸元を飾るコサージュの位置や、真珠のネックレスなどにも気を配る。そして、化粧とヘアメイクが完了すると、直子さんはぱっと明るい表情になった。細山看護師は言う。

「比留間直子さんは、始めはこの旅に少し不安を感じていらっしゃったんです。病気のこともあるし、車いすですから、本当にたどり着けるのかとか、でもメイクをしている間に、患者から新郎の母に変わっていく、その様子がとても素敵なんです」


ご子息から直子さんに送られたメッセージカード(写真はケアミックス提供)

当日は、直子さんの体調の事も考えて、披露宴には出席せず、式だけの参列だ。それでもやることは多い。神父の話を聞いている間も、ライスシャワーのためのコメを握り、新郎と新婦を待ち構える時も、家族そろっての記念写真などのシーンでも、細山看護師は直子さんに寄り添い、立ち座りのサポートや、洋服の乱れなどに目を光らせる。

「でも、私はあくまでも黒子なんです。あまり目立たないように、新郎新婦やご家族の邪魔にならないように行動します。そうした配慮をしながら、体調や表情、その時々のお気持ちに変化がないことに気をつけ、お世話をするのが私たちツアーナースなんです」(細山看護師)

この日は大きなハプニングもなくツアーを終えることができた。どんな状態の人であっても、旅する権利を奪いたくない。細山看護師はいつもそうした気持ちで、仕事に向き合っている。(編集:國友公司)

(末並 俊司 : ライター)