既存の仕組みを一気に破壊し、「いけ好かない偉そうな連中」を「ぎゃふん」と言わせてくれる強い人物を待望する空気が蔓延する背景とは(写真:sunafe/PIXTA)

階級や格差の固定化、社会的地位上昇機会の喪失がもたらす「新しいかたちの貴族制」を、シリコンバレーなどを取材し徹底分析した『新しい封建制がやってくる:グローバル中流階級への警告』(ジョエル・コトキン著)が、このほど上梓された。同書を、アメリカ政治思想史を専門とする井上弘貴氏が読み解く。

トランプの次期政権構想が始まっている

アメリカ大統領選挙を来年に控えた現在、共和党の最有力候補であるドナルド・トランプを支援する80以上もの保守系のシンクタンクや団体が結集し、共和党から大統領を出した場合の政権移行の構想づくりが動き始めている。


「プロジェクト2025」と呼ばれるこのプロジェクトは、アメリカを代表する保守系シンクタンクのひとつであるヘリテージ財団がとりまとめ役を担い、昨年の2022年から開始された。

今年2023年の4月には、同財団がレーガン政権誕生以来、共和党の大統領への移行時や政権奪取の期待がかかる際にとりまとめてきた『マンデート・フォー・リーダーシップ(リーダーへの指示書)』が刊行された。約900ページ、30章からなる同書を、「プロジェクト2025」に賛同する諸団体の論者たちが分担執筆している。

この2023年版指示書のなかには、さまざまな政策提言が書き込まれている。そのなかには、トランプ政権末期に大統領令で実施され、バイデン政権がすぐに撤回した、連邦政府の職員を大統領が容易に解雇できるように身分保障を外すという方針も含まれている。

トランプ政権で行政管理予算局長を務め、現在はアメリカ再生センターという団体を立ち上げているラス・ヴォートが中心に構想しているものであり、これはつまり、来るべきトランプ政権第2期において、第1期の教訓を踏まえ、政権運営にとって好ましくない連邦職員を政権発足直後に大量解雇することを意図したものである。

すくなくとも共和党支持者のなかで、トランプの人気は衰えることを知らない。この背景のひとつには、政府や巨大企業がアメリカの民衆の思いや利益に反したことをしているという不満や怒りが伏在していると言える。

陰謀論とひもづいた表現である「ディープ・ステイト」は、日本でもいまや書籍やインターネットで普通に見かける言葉になっている。一般の人びとの手の届かないところにいる少数の人間たちによってこの世の中の政治、経済、社会は牛耳られているという考えを深めているひとは、アメリカに限らず世界のあちこちで増えている。

そのような考えがもたらす閉塞感は、既存の仕組みを一気に破壊し、いけ好かない偉そうな連中をぎゃふんと言わせてくれる強い人物を待望する空気をますます生み出している。

ギグワーカーの大半は都市の下層労働者

先ごろ翻訳刊行されたジョエル・コトキンの『新しい封建制がやってくる――グローバル中流階級への警告』は、世界のさまざまな国や地域でのデータや実例に基づいて、多くの人びとが感じている直感的な考えが決して思い過ごしでないことを明らかにし、自由主義的な資本主義のもとで生み出されてきた社会の流動性と中産階級の厚みは今や過去のものとなり、階級の固定化によってもたらされる新しい封建制と言うべき社会状況が世界的に現われつつあることを指摘している。

コトキンが本書で、この新しい封建制の出現をハイテク封建制、あるいは(ガスパール・ケーニヒの言葉を援用して)デジタル封建制と表現しているように、現在の社会格差の増大の根底にあるのは、新たなテクノロジーの出現と、そのようなテクノロジーを基盤とするテックビジネスの台頭、そして利益がますます一部の人間たちによって独占されると同時に、従来の中産階級をやせ細らせ、多くの人びとを窮乏の淵へと追いやっている今日の政治経済の仕組みである。

コトキンが指摘するように、スマホを介して仕事を受注するギグワーカーの大半は、本業のかたわらの空いた時間で小遣いを稼ぎ、暮らしに潤いやちょっとした贅沢をつけ加えようとする人びとではなく、そのような仕事を自分のなりわいとして、かつかつの生活を余儀なくされている都市の下層労働者にほかならない。

『新しい封建制がやってくる』の初版の序文でコトキンが書いているように、本書は右派のものでも左派のものでもないというのは、そこにこめられた現代社会分析という面に限れば、正しいと言える。

たとえば、英国で学位を取得したギリシアの経済学者であり、左派ポピュリズムに立脚した急進左派連合(シリザ)の政権で財務大臣を務めたヤニス・バルファキスもまた、2023年の今年、『テクノ封建制』という本を書き、コトキンときわめて近い指摘をしている。

プラットフォームやクラウドにアクセスできなければ、ビジネスや労働のスタートラインに立つこともできない現状は、封建領主に収穫物の一部を収めた農奴と変わらない立場に大多数の人びとを置いている。

バルファキスは、クラウド資本を支配する現代の封建領主たちと、かれらに服従するクラウド農奴たちの世界として現在の状況を描いている。

右派と左派のどちらにも失望

ただし、本書は右派のものでも左派のものでもないと語るコトキンは、右派と左派のどちらにもながらく失望を感じてきた。

既存のアメリカの政党政治への懐疑が、コトキンに本書のような考察を促してきたのも事実である。

1952年生まれのコトキンは2014年のあるインタビューのなかで、民主党を支持してきた自身の過去について触れている。1959年から1967年にかけて、のちに大統領となるロナルド・レーガンの前にカリフォルニア州知事を務め、州の近代化に力を尽くした民主党選出のパット・ブラウンが、いかに自分にとって偉大な知事であるかをコトキンは語っている。

しかしコトキンは同時に、現在の自分は政治的なホームを見失ってしまっていることも告白していた。コトキンは、社会的保守は自分としては好ましいと思わず、他方でリバタリアンはあまりにも思考が抽象的で、自分たちの言っていることが多くの人びとに及ぼす影響をわかっていないと述べた。

その一方で、カリフォルニア州の民主党が、ヒスパニックの州民の若い世代の社会的上昇をまったく顧慮していないことへの失望を隠さなかった。

コトキンの失望と関連させるなら、トランプと対峙してきた元下院議長のナンシー・ペロシのサンフランシスコの選挙区(カリフォルニア第11下院選挙区)もそうであるが、カリフォルニア州の民主党の有力政治家が地盤としている選挙区には、裕福な有権者の多い地域が少なくない。

コトキンのカリフォルニア州に限れば、同州の民主党が労働者のための党ではなく、ベイエリアに住む大卒エリートたちのほうを向いているのではないかとコトキンが疑うのもわかる。

そのコトキンは、『デイリー・ビースト』のようなリベラルなニュースサイトにも寄稿を続けている一方、「プロジェクト2025」の賛同組織であり、親トランプの牙城のひとつであるクレアモント研究所のサイト『ザ・アメリカン・マインド』に今年、現在のカリフォルニア州知事であるギャビン・ニューサムを痛烈に批判する原稿を送っている。

ポストバイデンのひとりとも目されることがあるニューサムは、コトキンからみれば、新しい封建制に奉仕する、みせかけの注目株でしかないのである。

近年のリベラルの傾向に批判的な立場

『新しい封建制がやってくる』のなかでも、いくつかの章でとくに垣間見られるように、コトキンは、マイノリティの権利やソーシャル・ジャスティスを重視する近年のリベラルのなかの傾向に、かなり批判的な立場を堅持している。

批判的人種理論にたいする猛烈な批判者であるクリストファー・ルフォも寄稿する、保守系シンクタンクであるマンハッタン研究所のサイトの『シティ・ジャーナル』にも頻繁に寄稿しているコトキンは、その意味で現在、相対的に保守に傾斜していると言える。かれのこうした側面をどう評価するのかについては読者によって判断のわかれるところだろう。

ただ、コトキンの政治的変遷にかかわる側面を仮に差し引いたとしても、左派のバルファキスの近著との類似性に触れたように、本書からは読み手の立場の違いを問わず、得るものが多々あるはずである。

階級の固定化による新しい封建制の出現という事態を前にして、どのようにしたら社会の流動性を取り戻し、やせ細った中産階級の厚みを取り戻していくことができるのか。

解決のための特効薬はまったくないとはいえ、閉塞した状況を一気に壊してくれる者の出現を夢想することだけは、避けておいたほうがいいはずである。

(井上 弘貴 : 神戸大学大学院国際文化学研究科 教授)