経済学はミクロ経済学とマクロ経済学の2つの分野に分けられます(写真:ELUTAS/PIXTA)

経済学の分野で、革新的な業績をあげ続けているスーパースターのチームが、大学の学部生のために執筆した教科書がある。『アセモグル/レイブソン/リスト 経済学』だ(日本語版は入門経済学/ミクロ経済学/マクロ経済学の3分冊で刊行)。

一流の経済学者は、これから経済学を学ぶ初心者にどんなことを教えようとしているのか。その一部を、抜粋・編集して紹介しよう。

経済学の2つの分野

経済学はミクロ経済学マクロ経済学の2つの分野に分けられる。

ミクロ経済学は、個人、家計、企業、そして政府がどのように選択を行うかを研究する。


さらにその選択が価格、資源配分、そして別の経済主体の幸福にどう影響を及ぼすのかを研究する。

たとえば、ミクロ経済学者は公害を減らす政策を考える。

地球温暖化の原因の1つは、石炭、石油およびその他の化石燃料からの炭素の排出だ。ミクロ経済学者は、このような燃料の使用を削減する政策を設計する。

炭素排出量を対象にした「炭素税」はその一例だ。

炭素税を活用すると、化石燃料をより多く使う石炭発電のようなエネルギー源は、そうでない風力発電のようなエネルギー源に比べて、エネルギー単位当たりで高い税が課されることになる。

ミクロ経済学者は炭素税を設計する仕事や、このような税が家計や企業のエネルギーの使用にどのような影響を及ぼすのかを判断する仕事をする。

一般的には、経済全体の中の細かい部分を理解したいときには、ミクロ経済学者にお声がかかる。

マクロ経済学は経済全体を研究する学問である。

マクロ経済学者は、経済全体の現象を分析する。

経済全体の総産出量の成長率、一般物価の上昇率(インフレ率)、労働力人口の中で職を探しているが見つからない人の割合(失業率)などだ。

マクロ経済学者が考えていること

マクロ経済学者は「全体的」、別の言葉で言うと「集計された」経済のパフォーマンスを向上させる政府の政策を設計する。


マクロ経済学者はたとえば、マイナス成長が続いている経済(景気後退にある経済)を刺激するのに最善の政策は何かを考えている。

2007〜2009年の金融危機の時期には、住宅価格の暴落や銀行の破綻など、マクロ経済学者の眼前には課題が山積みになった。

経済が収縮している理由を説明し、経済が息を吹き返すような政策を提案するのが彼らの役目だった。

経済学のイメージは伝わっただろう。しかし、人類学、歴史学、政治学、心理学、社会学などのほかの社会科学とどこが違うのかという疑問を持った人もいるのではないだろうか?

すべての社会科学は人間の行動を研究する。その中で、経済学はどこが違うのだろうか?

経済学の3つの重要な概念

経済学には3つの重要な概念がある。

第1の原理とは

1. 最適化 ここまで説明してきたとおり、経済学は選択の学問だ。

人間のすべての選択を研究することは、壮大な課題であり、最初は不可能に見えるかもしれない。

そして、一見したところ、消費者がマクドナルドでダブルベーコンチーズバーガーを選ぶことと、企業幹部が5億ドルを投資してノートパソコンの工場を中国に建設する決定をすることには、何の共通点も見出せないように思える。

経済学者は、各経済主体が直面する広範囲の選択を統一的なものとみなす強力な概念を作り出した。その1つが、すべての選択には最適化という共通項があるということである。

最適化とは、人は実現可能な選択肢の長所と短所のすべてを、意識的または無意識に天秤にかけて、最善の選択肢を選ぶという考え方だ。

言い換えると、人は便益と費用の計算に基づいて選択を行う

最適化は経済学の第1の原理だ。経済学では、私たちの選択のほとんどは最適化で説明できると考えている。

これには、映画に誘われて、行くかどうかという小さな決断から、誰と結婚するかといった大きな決断まで含まれる。

第2の原理とは

2. 均衡 経済学の第2の原理は、均衡である。

経済システムは均衡に向かう傾向がある。均衡とは、そこから行動を変えることで便益を得る人は誰もいない、という状態のことである。

各経済主体が、別の行動をとっても自分の状況は良くならないと信じているとき、経済システムは均衡にある。

言い換えると、均衡とは、みなが同時に最適化している状態である

第3の原理とは

3. 経験主義 経済学の第3の原理は、経験主義である。

経済学はデータを使った分析、あるいは根拠に基づく(エビデンス・ベースの)分析だということだ。

経済学者は理論を検証したり、世の中で起きたことの要因を分析するためにデータを活用する。

合理的な行動とは

ではここで、第1の原理をさらに詳しく考えていこう。

経済学とは選択の学問であり、選択がどのように行われるかを示す理論である。経済学では、経済主体は最適化を試みると考える。

すなわち、経済主体は利用しうる情報をもとにして、「実現可能」な最善の選択肢を選ぼうとする、と考える。

ここで実現可能とは、予算の範囲内にあってかつ実際に選択しうる、という意味だ。財布に現金が10ドルしかなくて、クレジットカード、デビットカード、キャッシュカードのいずれも持っていないとしよう。

このとき、ランチに5ドルのビッグマックを食べるという選択は実現可能だが、50ドルの牛ヒレステーキを食べるという選択は実現可能ではない。

実現可能性という概念は、その経済主体の金銭的予算だけでは決まらない。それ以外の制約もたくさんある。

たとえば1日24時間を超えて働くという選択肢はとれないし、ニューヨークと北京の2つの会議に直接同時に参加するのも不可能だ

最適化の定義には、(選択時に)「利用しうる」情報をもとにして、という表現も使われている。


たとえば、サンディエゴからロサンゼルスまで車で移動しているときに、飲酒運転の車にぶつけられたとしよう。これは、運が悪かっただけであり、最適化に失敗したとみなす必要はない。

自動車事故はありうるという現実的リスクも考慮に入れて旅行の計画を立てたのであれば、あなたは最適化行動をとったことになる。

最適化とは、将来を完璧に予見することではない。最適化とは、意思決定の際に可能性のあるリスクを考慮に入れることである。

利用しうる情報をもとにして実現可能な最善の選択肢を選ぶとき、その意思決定者は合理的である、あるいは、合理的に行動したと経済学では表現する。

(ダロン・アセモグル : 米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授)
(デヴィッド・レイブソン : ハーバード大学経済学部ロバート・I・ゴールドマン記念教授)
(ジョン・A・リスト : シカゴ大学経済学部ケネス・C・グリフィン特別功労教授)