架線のない電化方式を採用しているフランス・ボルドーのLRT。富士山登山鉄道構想も架線レスLRTの導入を計画している(写真:bloodua/PIXTA)

富士山のふもとと5合目を結ぶ自動車道路・富士スバルライン上に軌道を整備して、富士山にLRT(軽量軌道交通)の車両を走らせるという「富士山登山鉄道構想」が山梨県で進められている。これに対し、スバルライン5合目の所在地である富士吉田市の堀内茂市長は「電気バスで十分」と反対、「そもそも地元への説明なしに進めているのがおかしい」と批判する。

合意形成を急ぐ長崎幸太郎知事は地元自治体向けの説明会を始めた。その第1弾は11月21日の山中湖村。さらに2024年1月にかけて忍野村、鳴沢村などでも開催する。とくに2回目の説明会となった11月23日は富士吉田市内で行われ、堀内市長も住民の1人として説明会に参加するとあって、がぜん盛り上がりを見せた。

富士山「世界遺産の地位喪失」の危機

当日、会場となったふじさんホールにやってきた住民の数はおよそ780人。会場はほぼ満席で後方には立ち見客も出るほど。説明会は定刻の16時にスタートし、冒頭から約45分は知事が登山鉄道構想について説明した。

知事はまず、かなり長い時間をかけて現在の富士山が置かれた状況について説明した。アメリカのCNN、フランスのAFP、イギリスのロイターといった海外メディアの報道を引き合いに、弾丸登山が登山者を危険にさらしていることや、登山道沿いの汚れたトイレやゴミの山で「世界遺産の地位喪失」の危機に直面しているとした。

こんなエピソードも紹介された。富士山は2013年に世界文化遺産として登録されたが、登録に際して「人が多く来訪者のコントロールが必要」とユネスコの諮問機関であるイコモスから注文を付けられていた。登録前年となる2012年のの5合目来訪者数は231万人だったが、2019年には506万人に増えた。来訪者は減るどころか2倍以上になった。イコモスが求めるコントロールがまったくできていない。

さらに、今夏にイタリアが気候変動やオーバーツーリズムからベネチアを守る努力が足りないとして、ベネチアを危機遺産に登録するかどうかをめぐって協議されたことも話題となった。「富士山がそうならないよう、私たちは最悪の場合に備えてあらかじめ手を打つ必要がある」(長崎知事)。

富士山の現状に関する説明に続き、知事は会場に2つの同意を求めた。「富士山が地元の宝、日本の宝であるということに対して、私たちの間に意識の違いはないと思う」、「富士山の世界文化遺産としての価値を後世に引き継がないといけないということに反対する人はいないと思う」。知事が会場に対して「これらの点において私たちとみなさんは共通している。いかがでしょうか」と問うと大きな拍手が起きた。

電気バスにも「大いに関心がある」

登山鉄道構想の反対派も拍手をしたかどうかはわからない。しかし、富士山が日本の宝であり、その価値を守らなくてはいけないという理念に反対する人はいないだろう。その点において、知事は登山鉄道構想の賛成派と反対派の共通認識を明確にすることには成功した。

「ではどうやって共通の目標を実現するか。その方法を議論したい」として、知事が「県の案」として持ち出したのが登山鉄道構想である。その内容は9月19日付記事(富士山「登山鉄道」、山梨県がこだわる真の理由)にあるとおりだが、それだけではなく、「LRTは街中にも延ばせる」として、富士山麓から河口湖方面などへの延伸の可能性についても付け加えた。1400億円とされる総事業費については、「すべて県が負担するわけではない」として、国の補助金や民間企業の参加を示唆した。


説明会で示されたスライドの一部。スバルライン道路上に架線レスの電車を走らせ、同時に地中に電気などのライフラインを整備する(画像:山梨県)

電気バスについては「大いに関心がある」としつつも、「ゆったりした眺望や会話を楽しめる座席空間、食事など車両でしか体験できないサービス、シンボル性」という点でバスよりもLRTのほうが優れているとした。最後に、知事は「あくまで提案であり、もっとよいアイデアはあるはず。ご関心のある人といっしょに考えて最善のアイデアを作り上げたい」と発言し、説明の内容を締めくくった。

その後は、会場の参加者との質疑応答に移った。すべての質問は知事が自ら回答した。堀内市長が会場から質問することはなかったため、知事と市長の直接対決を見たかった人は肩すかしをくらったことになるが、県と市は富士山のオーバーツーリズム対策で協力関係を築いていることもあり、あからさまな対決は避けたのだろう。大人の対応だ。

地元住民「本当の議論をしていない」

気になった会場からの質問とそれに対する知事の回答をいくつか挙げてみる。たとえば、LRTの運賃が1万円というのは高すぎるという質問が出た。知事は「県民は1万円でなくてもいい。無料にすることも考えられる」と回答した。しかし、国費投入を想定するプロジェクトであることを考えれば、山梨県民が無料でそれ以外の日本国民が1万円というのは虫がよすぎる。あくまで地元向けのリップサービスと理解したい。

世界文化遺産登録が抹消されたらどんな影響があるかという質問もあった。知事は「想像もつかない。調べてみる」と回答した。登録抹消とは世界中から「富士山の価値を守っていない」と非難されることを意味するのだからそれを望む人はいないだろう。しかし、世界遺産登録が富士山の来訪者増に拍車をかけたのは間違いなく、登録が抹消されると登山者数は減り、オーバーツーリズムの問題も解消されるかもしれない。その意味では問題の本質を突く”怖い”質問だった。

「地元には反対意見が多いと思う。それは本当の議論をしていないからだ」という地元住民からの発言もあった。これはまったくそのとおり。県はあらゆる交通モードを比較検討してLRTが最善だと判断を下したというが、その過程で地元への説明が行われていなかった。それだけに、なんの議論もなくいきなりLRTという案が出てきたことに不信感を抱く地元住民は少なくない。知事は「今日は議論の始まりだ。LRTはあくまで1つのアイデアだ」と返した。

数多くの質疑応答の中でも、知事は「これからみなさんといっしょに考えていきたい」と何度も繰り返した。その意味で「鉄道ありきではない」ことを宣言する説明会だったともいえる。

ところが、水面下では大学教授、JR職員など専門家による「富士山登山鉄道構想事業化検討会」が設けられており、事業面、技術面の課題を洗い出し、構想を事業化レベルまで引き上げるための検討が進められている。その第1回の会合が10月30日に都内で行われた。今後も議論を重ね、今年度末をめどに報告書をまとめる予定だ。


10月30日に行われた富士山登山鉄道構想事業化検討会(記者撮影)

本当に「鉄道ありきでない」のか

第1回会合の後、県で富士山登山鉄道推進事業を担当する和泉正剛知事政策局次長に「登山鉄道構想の事業化に関する研究を進めているということは、結局のところ”鉄道ありき、LRTありき”ということなのか」と尋ねると、「LRTありきではない。現実的かつ具体的な提案が出れば検討する」という返答があった。とはいえ、「登山鉄道構想事業化検討会」という名前の検討会で、委員が電気バスなど鉄道以外の交通モードについて提案するということは考えにくい。

また、知事が今後行う説明会の質疑応答の場で会場からほかの交通モードの検討を求める発言があったとして、知事がそれを「現実かつ具体的な提案」と認めるかどうか。知事は地域住民と「議論をしたい」「いっしょに考えていきたい」というが、それはどのような形を指すのだろう。少なくとも今回のような説明会で議論をしたり、いっしょに考えたりすることは難しい。

LRTと電気バスのどちらがふさわしいのかはさておき、知事が「鉄道ありきではない」というなら、今後についてはそれを前提に進めていくべきだ。山梨県の組織図を見ると、知事政策局の中に「富士山登山鉄道推進グループ」という部署がある。こういう部署があること自体、「鉄道ありきではない」という発言と矛盾している。本当に知事が「鉄道ありきではない」と考えているなら、この部署名を変えることが先決だろう。


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(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)