「まち全体で1軒の旅館」として共存共栄を目指してきた城崎温泉(写真:Graphs/PIXTA)

新型コロナウイルスが流行し始めた頃、いち早く全旅館の一斉休業に踏み切った温泉地がありました。兵庫県豊岡市の城崎温泉です。なぜ城崎温泉は、まち全体で足並みを揃えることができたのでしょうか。

その理由として、本来ならば各々が独占していたいはずのデータを地域で共有し、公共財として活用したことが挙げられます。ここに新たなデータ活用のヒントがあると、地域マーケティングの専門家である久保健治氏は語ります。

※本稿は久保健治氏の新著『ヒストリカル・ブランディング 脱コモディティ化の地域ブランド論』から一部抜粋・再構成したものです。

長い歴史を持つ城崎温泉

歴史文化は地域ブランドの核となりえるものだ。だが、歴史を核にした地域戦略は、時として歴史とは真逆にすら思える、最新技術による地域イノベーションを促進させる可能性まで持っているようだ。兵庫県豊岡市で、それを示唆する動きが起こっている。

兵庫県豊岡市は2005年に合併で誕生した。但馬地域に位置しており、兵庫県で最も面積が大きい市だ。

城崎温泉を有する城崎、但馬の小京都といわれる城下町の出石、コウノトリと共生する日本屈指のカバン生産地豊岡、北前船の寄港地でもあった海を有する竹野、複数のスキー場を持つ神鍋高原がある日高、農業地域としてふるさとの面影を感じる但東。それぞれの個性を持つ地域が合併して誕生した。

城崎温泉は志賀直哉の『城の崎にて』が有名だが、そのはるか前である奈良時代の717年に、道智上人という僧侶が難病の人々を救うために1000日間にもわたる修行を行い、720年に温泉が湧きだしたのが始まりとされる。2020年には開湯1300年となった長い歴史を持つ温泉地だ。

一時期は国内観光客の減少に苦しんでいたが、近年ではインバウンド観光に力を入れており、外国人宿泊者数が6年で約45倍を達成。国内向けにもさまざまな施策を実施するなど、先進的な取り組みで注目されている。実際に、豊岡市のDMOである豊岡観光イノベーション(TTI)は第13回観光庁長官表彰を受賞している。

私は数年前からTTIのアドバイザーとして国内外向けの観光振興に取り組んでいる。もちろん、差別化戦略としてヒストリカル・ブランディングにも取り組んでいるが、データストラテジー株式会社の研究員としても関与しているので、デジタルマーケティングの実装についても一緒に活動している。

そこでは、歴史とイノベーション技術の接点も始まっている。

豊岡市が選んだ「攻め」の一斉休業

2020年、世界中を巻き込んだコロナウイルスによるパンデミック時に、豊岡市ならびにTTIはいち早く地域全体で対策を行った。例えば、感染拡大が深刻になってくると、城崎温泉は2020年5月末まで全旅館が一斉休業する思い切った対応を行っている。

緊急事態宣言とはいえ、「統一感」を出すことはかなり難しい。組合などがあったとしても、究極的には各旅館やホテルは一国一城であり、営業の自由はそれぞれに存在している。それらを規制することは法律では不可能だからだ。

しかも、城崎温泉の一斉休業は、ある意味では「攻めの休業」でもあった。6月1日からは開業するという目標を設定すると共に、休業している間に感染対応を行うニューノーマルの旅行受け入れ態勢を構築するため、その準備として城崎温泉の感染症対策ガイドラインの策定に動いたのだ。

ガイドライン策定に私もアドバイザーとして入ったが、単なる感染症対策ではなく、マーケティング的側面も考慮された地域としてのメッセージ性を含んでおり、「攻め」のガイドラインとしての特徴を持っている。

例えば、参考にしている基準は海外で展開するグローバルホテルに準拠しているのだが、これはインバウンド観光復活を意識したメッセージだ。

まずは城崎温泉からスタートしたが、もともと全市への適用も考慮していたため、すぐに豊岡市の感染症対策ガイドラインとして出石、竹野、日高、但東といった全市でも適用された(久保、2020)。

なぜ、まち全体で一体感のある取り組みが実現できたのか。ヒントになる言葉が城崎温泉観光協会の高宮会長(2020年当時)のコメントにある。

「本来、すべての旅館が一斉に休業するのは簡単なことではない。しかし城崎温泉は小さな旅館が集まった街で、昔から『まち全体で1軒の旅館』という考え方を持って共存共栄を図ってきた。だからこそ、一斉での休業が決断できたのではないか」(ダイヤモンド・オンライン、2020)

「共存共栄」という発想である。

伝統的な「外湯」をめぐる内部対立を経て

実は、この考えは城崎のみならず、豊岡の地域経営哲学ともいえる概念として語られている。この経営哲学は何の問題もなく引き継がれたものではない。

むしろ、何度もまちとしては試される拮抗状態が続くなか、都度、それぞれの時代に改めて価値として認められ、言語化され、引き継がれてきたものだ。その最も大きな契機は、1925(大正14)年の北但大震災における被災からの復興と内湯訴訟だと言われる。

北但大震災からの復興では、防災上の観点からいえば、城崎であれば、すべての旅館をコンクリートなどに建て替える方が合理的でもあった。外湯という伝統から内湯に変更することもできただろう。

だが、城崎は木造建ての景観という自分たちの歴史を選択した。外湯もまったく同じ場所に復興させている。このことは、組合のWEBサイトのみならず、各旅館が更新するブログにも城崎の共存共栄の象徴として語られている。

内湯訴訟は、まちを二分するほどの熾烈な対立関係を生み出すものだった。これは、外湯文化であった城崎温泉で、ある旅館が自分の旅館に温泉を引く形で内湯をつくろうとしたことを巡って起きた。当時の法律的な結論としては、近代的な法概念に基づいて、内湯は敷地内における私的財産として合法的とされた。

反対派はどのようにこのロジックに立ち向かったのか。訴訟で反対派が提示した根拠は、外湯とはまちの公共財産であるということを記した歴史的文献資料だった。歴史が根拠になったのである(神戸新聞但馬総局、2005)。

重要なのは、共存共栄という経営哲学を確立するうえで、城崎の人たちは自分たちの歴史をそのよりどころにしたということだ。

「公共財」としてのデータ活用

さて、ここで話を過去から今に切り替えよう。いま、新しい時代の公共財について検討が行われている。それがデータである。

豊岡は観光におけるデータ活用を極めて重視しており、実際にTTIでは自らの手でデジタルマーケティングを実施している。私自身も毎週の定例会議に参画しているのだが、毎週上がってくる観光データを基にして、広告や方針について参加者が討議している。

報告をして終わりではない。TTIには役場、観光事業者、地元IT企業といった多様な専門家が参画しているので、それぞれの流儀は厳密には異なるが、全員のアイデアがデータに基づいて議論されるため「空中戦」になりにくい。

TTIはこういった観光におけるデジタルやデータ活用を地域事業者の競争力に転換するべく、IT普及などにも積極的に行動している。

近年、観光においてDXは大きなテーマとなっているが、それを実現するためにはデータ活用が欠かせない。

DXは単なるIT活用による作業の効率化ではなく、デジタル技術による生活の変革を志向するものであり、既存の価値観を覆す技術革新が期待されるものである。見方によっては「歴史」を破る側に見えるかもしれない。だが、どうもそうではないようだ。

豊岡市が示す、新たな「価値観」

豊岡市は、DX実現に向けて動きを開始しており、具体的な試みに「まち全体が1軒の温泉旅館」というものがある。観光庁や経済産業省などから観光DXの先進事例としても紹介されている。


そのデータの取り扱いについて示唆深い話がある。

旅館等の宿泊事業者にとっては、本来データは自分たちだけで秘匿したい情報である。データの共有は競合事業者を利する可能性もあると考える方が一般的だろう。けれども、まち全体が1つの旅館とする、共存共栄という自分たちの経営哲学からは「公共財としてのデータ」という発想が生まれている。

つまり、豊岡は「地域の公共財としてのデータ」と「私企業の機密情報としてのデータ」という矛盾を、共存共栄という地域の歴史が育んできたコンセプトで突破しようとしているのだ。

今後、どのような結論になるのかは分からないが、既存の価値観を破壊するイノベーション的改革のよりどころが、まちの歴史から読み解かれようとしているのだ。

(久保 健治 : ヒストリーデザイン代表)