エアラインへの補償や追加整備費用により、全体の損失額が最大70億ドル(約1兆円)に膨らんだPW1100G-JMエンジン(写真:エアバス)

重工大手・IHIの井手博社長は9月以降、日本各地にある工場を行脚していた。相次ぐ不祥事に、社内でかつてない動揺と不安が広がったためだ。

9月12日朝、機械式駐車場装置の談合を繰り返した独占禁止法違反の疑いで、公正取引委員会がIHIの子会社に立ち入り検査を実施した。

同日夕方、さらに衝撃的な発表が行われる。IHIが開発に参画する航空エンジン「PW1100G-JM」について、損失が大幅に膨らむ可能性が適時開示で示されたのだ。

この時点では「当社の当年度業績への影響を正確に評価することは難しい」としたものの、プロジェクトへの参画比率の高さから、過去最大級の損失が生じることは市場・業界関係者には明らかだった。「航空エンジン事業はIHIの最大の稼ぎ頭。当時は、会社が傾くかもしれないと思った」。IHIの社員はそう話す。

その後IHIは10月下旬、2024年3月期の営業利益計画を900億円の黒字から800億円の赤字に下方修正することを発表。最終損益は900億円の赤字で、過去最大の規模となる。

エンジン部品に異物混入が発覚

PW1100G-JMは、国際共同開発エンジンだ。

アメリカのエンジン大手、プラット&ホイットニー(P&W)の親会社RTX(参画シェア51%)を筆頭に、日本航空機エンジン協会(JAEC)を通じて日本の重工大手3社(同計23%)や、ドイツのMTUエアロ・エンジンズ(同18%)が主体となり開発。それぞれの頭文字(PW、J、M)をエンジン名に取っている。

低燃費と騒音低減を売りに、2016年から販売を開始した。エアバスの中小型機「A320neo」「A321neo」などに搭載されている。

だが、2015〜2021年に製造されたエンジンの部品にごくまれに異物が混入していたことが判明。今年9月にP&Wが技術検討を行った結果、検査・整備回数を急増させる方針となった。

その影響は甚大だ。約3000台のエンジンが検査対象となり、スペアエンジンが不足。エンジンの取り下ろしから取り付けまで250〜300日かかる見込みで、2024年上半期には、運行復帰できないエアバス製の機体が600〜650機に上るとみられている。


全日本空輸(ANA)は、PW1100G-JMエンジンを搭載する「A320neo」「A321neo」を計33機保有。羽田〜伊丹・福岡路線などで2024年1月〜3月に1日当たり約30便の減便を行う(写真:エアバス)

RTXが9月に公表した追加検査プログラムでは、世界各地でのエアライン会社への補償や追加整備費用により、全体の損失額が最大70億ドル(約1兆円)に膨らむことが明らかにされた。

同エンジン開発では、「RRSP(リスク&レベニューシェアリングパートナー)」方式が採用されている。これは各社の参画シェアに応じて開発・量産・販売に関する収入や費用が分配される契約で、今回の1兆円の損失も参画シェアに応じて各企業が負担する。

冒頭のIHIは、日本勢の中で最も大きい約15%のシェアで参画している。同社は今期、エンジン関連で約1600億円の損失を一括計上する。

次いで5.8%のシェアで参画する川崎重工業も580億円の損失を計上し、2024年3月期の営業利益計画を従来の780億円から400億円に半減させた。三菱重工業(シェア2.3%)は200億円弱の損失を計上したものの、影響は相対的に軽微で、通期の業績計画は据え置いた。

落ち度はなくても損失は負担

今回のエンジン損失をめぐって、ある重工の経営幹部は「(欧米のエンジンメーカーに)負担ばかり押し付けられるのは割に合わない。もっとエンジンプロジェクト全体の意思決定に入らないといけないが、それも難しい」と本音を打ち明ける。

エンジントラブルの最大の原因は、P&Wが手がける高圧タービン・コンプレッサーのディスク(回転盤)にあった。RTXのグループ企業が製造した粉末冶金(金属粉末を成型し高温で焼結することで精密部品を作る技術)素材に異物が混入していたためで、日本の重工各社が提供する低圧圧縮機モジュールやファン、燃焼器に問題は生じていない。

日本の重工企業が国際共同開発のエンジン事業で巨額損失を出すのはこれが初めてではない。ボーイング787向けにロールス・ロイス(イギリスが本拠)が開発を主導したTrent1000エンジンでも、内製していた中圧タービンブレードに不具合が発生し、参画していた川崎重工が2018〜2019年度に総額約200億円の損失を計上している。

なぜ近年、日本の重工各社の間で航空エンジン事業での損失が相次いでいるのか。

航空エンジンは20年以上をかけて投資コストを回収するプロジェクトだ。エンジン本体の開発投資や値引き販売がかさむため、販売後10年間は赤字。増産期に入って生産コスト低減が進み、スペアパーツの需要が伸びる11〜15年目でようやく単年黒字化が見える。そこからさらに10年で累計損益が黒字化する。

巨額の開発投資が必要な一方、資金回収までの期間が長い。だからこそ、リスクを分散するRRSP方式の契約が結ばれる。


PW1100G-JMエンジンは先進ギヤシステムを適用した GTF (ギヤードターボファン ) 形態を採用し、高い推進効率を実現。燃費、排ガス、騒音が改善されている(写真:P&W)

航空エンジン市場は、アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)とP&W、ロールス・ロイスの欧米3社が事実上独占している。ビッグ3は中核技術を手放さない一方、それ以外の部位ではグローバル水平分業を積極的に推し進め、日本の重工各社の高い技術力を取り込んできた。

実態は対等なパートナーにあらず

PW1100G-JMエンジンでは、重工3社で設立したJAECが「プログラムパートナー」として2割以上の高シェアでプロジェクトに参画、P&Wと対等な立場で開発・販売を進めてきた。

だが、前出の重工幹部は「パートナーと言うと一見対等な関係のように聞こえるが、実態はまだまだビッグ3の下請けやサプライヤーに近い」と話す。

「参入障壁が高い事業で、プロジェクト終盤には多くのリターンを得られるものの、近年はLCC(格安航空会社)の台頭や脱炭素への対応もあり、新型エンジンは安くて燃費がよいものが求められる。とくに(ビッグ3が手がける)高圧部分での開発リスクは相対的に高く、RRSP方式で損失を押し付けられるケースが増えている」(同)

川崎重工はコロナ禍での収益悪化を機に、非航空ビジネスの収益力強化へ舵を切った。2021年に分社化したモーターサイクル事業(バイクやオフロード4輪車など)が短期間で稼ぎ柱に成長。今回のエンジン損失で航空部門は深い痛手を負ったものの、2023年度通期での黒字は維持する。

一方、参画シェアが高く、航空エンジンやスペアパーツが稼ぎ頭のIHIの経営への打撃は大きい。2023年度上半期(4〜9月)は1375億円の最終赤字に沈み、自己資本比率は2022年度末の22%から14%に低下。企業財務の健全性を示すデットエクイティレシオ(負債資本倍率)は同1.14倍から1.98倍に急悪化した。焦眉の急は財務の改善だ。

「“豊洲の大家さん”じゃないとあの経営判断はできない。びっくりした」

別の重工幹部がそう語るのは、IHIの配当政策だ。川崎重工は年間配当を80円から40円に減配する一方、赤字になったIHIは「一過性の損失である」として、年間100円配の期初計画を維持した。

財務が悪化する中でも強気の安定配当を維持できるのは、IHIに不動産があるからだ。

本社を置く豊洲では、造船工場跡地をオフィスや商業施設として開発。豊洲地区の投資用不動産で約2300億円、それ以外で約1100億円の計約3400億円を所有する(時価ベース)。帳簿価格は低く、約2000億円の含み益があり、過去の業績悪化時も不動産売却でしのいできた。


IHIの本社近くの豊洲2丁目では、三菱地所と共同で最後の大規模オフィス開発が進む。2025年6月に竣工予定(記者撮影)

コスト削減や一部投資の見直しを最優先に行うほか、今回も「固定資産(不動産)の売却も視野に入れている」(IHIの福本保明・取締役財務部長)。しかし、本業で損失を出すたびに不動産売却で補填し続けるのは、健全な経営とは言いがたいだろう。

福本氏は、「エンジンプロジェクトに15%で参画する会社として、パートナー間での連携が十分だったのか、いまの資本は十分なのか、しっかり考えていかないといけない」と語る。

対等なパートナー関係を築けるか

今年2月、三菱重工がスペースジェット(旧MRJ)の開発中止を発表したことで日の丸ジェット実現の可能性は潰えた。日本企業の航空事業部門での成長戦略は見えづらくなっている。

航空機産業のビジネスに詳しい立命館大学経営学部の山崎文徳教授は、「欧米企業が市場を独占する構図の中で、 日本企業にとって航空機やエンジンの完成品プログラムに参画して欧米航空局の認証取得に取り組むことや、コア技術に入り込んで対等な交渉ができるパートナー関係を築けるかが重要だ」と指摘する。

コロナ禍がようやく落ち着き、航空機産業は暗いトンネルを抜けた。航空エンジンは年3%の成長を続ける有望市場であることは間違いない。

IHIの井手社長は「今回の事案は設計ミスではなく、技術的チャレンジの中で発現したもの。リスクをどう分散するか考えていく必要はあるが、航空エンジンの成長性にはなんら変わりはない」と強調する。

日本企業が航空機ビジネスの操縦桿を握る日は来るのか。重工各社の再起が待たれる。

(秦 卓弥 : 東洋経済 記者)