「日本人が知らないスイスの製造業の実態」をご紹介します(写真:guni/PIXTA)

スイスという国についてどんなイメージをお持ちだろうか。永世中立国で富裕層向けの金融や観光業などが中心だと思っている人が多いのではないだろうか。そしてスイスの製造業といえば、せいぜい「高級時計」と「高級チョコレート」くらいしか思い浮かばない人もいるだろう。しかし、それは本当のスイスの姿なのだろうか。

ベストセラー『世界経済を破綻させる23の嘘』などの著書がある経済学者のハジュン・チャン氏の最新刊『経済学レシピ:食いしん坊経済学者がオクラを食べながら資本主義と自由を考えた』から、「日本人が知らないスイスの製造業の実態」について一部抜粋・編集のうえお届けする。

チョコレート大国スイスの正体


多くの人から、スイスで生産されているのは高級チョコレートだけ、そのほかにはせいぜい、超高級腕時計(新興財閥の創業者か、銀行家か、スポーツのスター選手くらいしか買えない腕時計)があるだけだと思われている。ものをほとんど作らず、もっぱらサービス業で生きている国というのが、世界に広まっているスイスのイメージだ。

これは悪くいえば、スイスは第三世界の独裁者から預かったブラックマネーを秘密の口座で管理し、鳩時計とカウベルのような安っぽい土産物(最近はきっとそれもすべて中国製だろう)をお人好しの米国人や日本人の観光客に売ることで生計を立てている国ということになる。

よくいえば(こちらのほうがいわれることが多いが)、製造業ではなく金融や高級志向の観光といったサービス業で繁栄するスイスは、脱工業化経済のお手本ということになる。

1970年代に登場した脱工業化論の出発点をなしているのは、人々は裕福になるにつれ、より洗練されたものを欲するようになるという単純ながら説得力のある考えだ。ひとたび人々の腹が満たされると、農業は衰退する。

服や家具など、ほかの基本的なニーズが満たされれば、電気製品や自動車など、さらに洗練された消費財が求められるようになる。世の中の大多数の人がそれらを手に入れると、消費者の需要はサービスへと向かう。外食、演劇、旅行、金融商品といったものだ。この時点から、工業は衰退し始め、それに代わってサービス業が経済の主役になる。ここに脱工業化時代が始まる。

この脱工業化論が勢いづいたのは、世界じゅうの富裕国で、生産高と雇用の両面で、製造業の重要性が薄れ、サービス業の重要性が高まった1990年代だった。

とりわけ中国が世界最大の工業国として頭角を現すと、脱工業化論の支持者たちは、製造業は今後、中国のような人件費の安い、ローテクの国で行われるものになり、富裕国では金融やIT(情報技術)やコンサルティングといった高度なサービス業が産業の中心になるだろうと論じた。

この議論の中で、サービス業への特化で高い生活水準を維持できることを証明した国として、しばしば引き合いに出されてきたのがスイスとシンガポールだ。

インドやルワンダなど、途上国の中には、脱工業化論やスイスとシンガポールの事例に刺激を受け、工業化の段階をある程度飛ばして、最初から高度なサービス業に特化した輸出国になることで、経済発展を遂げようと取り組んでいる国もある。

スイスは世界一の工業国

しかし脱工業化論者にはあいにくだが、現実には、スイスは世界一の工業国だ。スイスの国民ひとり当たりの製造業生産高は世界で最も高い。

確かに「メイド・イン・スイス」の製品はあまり見かけないかもしれない。しかしそれはひとつには国の規模が小さいからだし(人口わずか900万人程度)、またひとつには、一般の消費者の目に触れない、経済学でいうところの「生産財」(機械、精密設備、工業用化学物質)の製造に重点を置いているからでもある。

興味深いことに、世界第2位の工業国はどこかというと、脱工業化の成功例としてスイスとともに語られることの多いシンガポールなのだ。スイスやシンガポールを脱工業化やサービス経済化の手本に使うのは、ビーチでのバカンスを宣伝するのにノルウェーやフィンランドを使うようなものではないだろうか。

生産性の変化が原動力に

脱工業化論の支持者たちは、最近の経済に起こっている変化の本質を、根本的に見誤っている。脱工業化の主な原動力になっているのは、生産性の変化であって、需要の変化ではないのだ。

このことは雇用面に着目すると、わかりやすい。製造工程がどんどん機械化されているので、同じ製造業生産高を達成するのに必要な労働力は減っている。機械や産業用ロボットの助けを借りれば、今の労働者は親の世代に比べ、何倍も多くのものを生産できる。

半世紀前、富裕国では製造業に携わる人が労働力人口の約40%を占めていた。しかし現在では、労働力人口の10〜20%で、同じか、ときにそれ以上の製造業生産高を実現している。

生産高の動向はそれよりいくらか複雑だ。確かに、富裕国の経済では製造業の重要性が低下し、サービス業の重要性が高まっている。しかしそういうことが生じているのは、脱工業化論者たちがわたしたちに信じ込ませようとしているのとは違って、絶対値でサービスの需要が工業製品の需要以上に伸びているからではない。

サービスの価格が相対的に工業製品より高くなっているのがその理由だ。なぜ高くなっているかといえば、製造業の生産性の上昇率がサービスの生産性の上昇率を上回っているからだ。

コンピュータや携帯電話の値段が、過去20〜30年間でどれほど安くなったか、それと比較して理髪や外食の値段はどうだったかを考えてほしい。そのような相対的な価格の変化の影響を差し引いたら、国内の生産高に占める製造業の割合の低下は、ほとんどの富裕国(英国以外)で微々たるものであり、一部の国(スイス、スウェーデン、フィンランド)では逆にその割合は上昇さえしている。

製造業は技術革新の源泉

脱工業化論でいわれているのとは違い、工業製品を生産する能力に競争力があるかどうかは、今も、一国の生活水準を左右する最も重要な要素だ。

製造業に取って代わると考えられている生産性の高いサービス業─金融、運輸、業務サービスなど(例えば、コンサルティング、エンジニアリング、デザイン)─の多くは、製造部門がなかったら、存在しえない。

製造業がその主要な顧客だからだ。それらのサービスが「新しい」ように見えるのは、かつては製造業の企業内で手がけられていたものが(したがってその生産高は、製造業の生産高に計上されていた)、最近は、専門業者によって提供されるようになったからにすぎない(したがってその生産高は、サービス業の生産高に計上される)。

スイスやシンガポールなどのように、製造業が強い国はサービス業も強いのはそのためだ(ただし、サービス業が強いからといって、製造業も強いとは限らない)。

加えて、製造業は今も技術革新の大きな源泉だ。米国と英国では経済生産高に占める製造業の割合はわずか10%前後でありながら、研究開発の60〜70%が製造業部門で行われている。ドイツや韓国など、もっと製造業の比重が大きい国ではその数字は80〜90%にのぼる。

現在を脱工業化の時代と捉えるのは、米国と英国にとってはとりわけ有害だ。1980年代以降、両国は製造業部門をおろそかにしてきた。特に英国はそうだ。

その背景には、製造業の衰退は自国経済が工業化社会から脱工業化社会へ移行しようとしているよい兆候であるという幻想があった。この幻想は、製造業の衰退に対して無策だった政策立案者たちに、都合のいい言い訳を与えた。

代わりに、過去20〜30年のあいだ、米英の経済は金融部門の過度な発展に支えられてきた。2008年の世界的な金融危機で経済が崩壊したあとの、弱々しい経済回復の土台になったのも(以来、経済学者のあいだでは「長期停滞論」も語られている)、やはり別の金融(と不動産)のバブルであり、それを可能にしたのは歴史的な低金利と、中央銀行の主導によるいわゆる「量的緩和策」だった。

2020年から22年にかけての新型コロナウイルスのパンデミックでは、米英の金融市場が実体経済と無関係であることが明らかになった。パンデミックの最中、両国の株式市場は史上最高値を記録した。実体経済はどん底の状態で、一般の人々が失業や収入の減少に苦しんでいたときにだ。米国流の表現を使うなら、ウォールストリート(金融界)とメインストリート(実体経済)とは、もはや互いに交わらないまったく別々のものになっているということだ。

メイド・イン・スイスの力

今までに買ったことのある「メイド・イン・スイス」の製品がたとえチョコレートだけだったとしても(スイスに行ったことがなければ、たいていそうだろう)、そのことに惑わされてはいけない。

スイスの成功の秘密は、世界最強の製造業部門にある。多くの人が思っているように銀行や富裕層向けの観光にあるわけではない。

そもそも、スイスのチョコレートが世界的な名声を博しているのも、製造業部門の創意工夫があったからだ(粉ミルクの発明、ミルクチョコレートの開発、コンチング製法の考案)。サービス産業の競争力のおかげではない。

例えば、銀行が板チョコの購入者のために便利な支払い方法を編み出すとか、広告代理店が洗練されたチョコレートのマーケティングキャンペーンを展開するとか、そういう能力のおかげではない。

脱工業化論では自説に都合のいいようにスイスがロールモデルとして使われているが、そのような議論は、よくても世の中に誤解を広めるだけだし、悪くければ、実体経済を損ねるだろう。わたしたちは今、そういう議論を信じることで、みずからを危険にさらしている。

(翻訳:黒輪篤嗣)

(ハジュン・チャン : ロンドン大学経済学部教授)