日本へ来る外国人の看護師候補者が減っている(写真:ピクスタ)

コロナ禍で人手不足があらわになったケア労働者。2040年には医療・介護の担い手は96万人不足すると推計される。外国人を看護師や介護職として受け入れる制度があるが、実情と制度にずれが生じている。

『週刊東洋経済』12月2日号の第1特集は「外国人材が来ない!」。経済大国日本には発展途上国の若い労働者がいくらでもやってくる――そんな時代は終わりつつある。


フィリピン人のAさんは2019年、5年間勤めた日本の病院を辞めて帰国した。「日々の仕事が忙しく、バーンアウトし(燃え尽き)てしまいました」と話す。

Aさんは、EPA(経済連携協定)に基づく外国人ケア労働者の受け入れ制度で来日した。2008年から始まったEPA制度は、インドネシア、フィリピン、ベトナムから看護師・介護福祉士の候補者が来日。候補者たちは施設で働きながら国家試験の合格を目指す。試験に合格すると就労ビザに変わり、定住や家族帯同も可能になる。

民間の人材紹介が介入する技能実習や特定技能といった在留資格に比べ、EPAは公的機関が一元的に受け入れ事務を担うため、候補者に仲介料や前借り金が一切かからないというメリットがある。

しかし近年、看護師候補者は受け入れ定員に及ばず、頭打ちになっている。


最長で4年という在留期間内で、病院で働きながら日本人と同じ条件の国家試験に合格することはハードルが高く、合格率は14%ほど(直近10年間の平均)だ。なぜEPA候補者は減り続け、国家試験の合格者も伸び悩んでいるのだろうか。

不十分な病院でのサポート

EPAでの受け入れは経済連携の強化であり、目的は「労働力不足対策ではない」とされている。候補者を受け入れる施設には、資格取得のための支援が義務づけられている。だが、人手不足が深刻化する実際の現場では、十分な勉強時間が与えられていないケースがある。

冒頭のAさんは2014年に来日し、関西地方の病院で働き始めた。試験対策としては、1日に1時間の勉強時間が与えられるだけだった。「合格者が多い病院では、半日は勉強の時間が取られていた」(Aさん)というように、施設間で支援体制にばらつきがある。

在留期間中に試験に合格できなかったAさんは、看護師よりも試験が易しい准看護師の資格を取得し、同じ病院で働き続けることになった。

EPAは在留期間内に合格できない場合は原則帰国することになっている。だが、准看護師の資格を取得して就労ビザに切り替えることで、さらに最長4年間雇い続けるという施設が現れた。病院からしても、せっかく育てた候補者を帰国させるのは惜しいのだ。

ところが、准看護師になれば日本人と同等の看護人材として雇用するため、病院側のサポート義務もなくなる。Aさんは残業時間が増え、試験勉強の時間がさらに取れなくなる。1年後、病院から引き留められながらも、帰国する道を選んだ。

こうしたことは珍しくない。

「日本人でも難しい医療専門用語を短期間で習得し、働きながら国家試験に合格するのはそうとう難しい。教材と自習時間を与えるだけの施設もあり、こうした独学に近い状態では合格率は低い」と、候補者の試験対策を支援する朝戸サルヴァドール千鶴さんは言う。

応募条件の緩和が必要

15年前の制度設計が実情にそぐわなくなっているとの指摘もある。EPAの候補者になるための応募条件としては、母国での専門教育や病院での就労経験など、日本人の受験資格では求められない要件までもが課せられている。

例えばフィリピンの場合、看護師候補者として来日するには、本国での看護師資格の取得が必要なうえ、さらに本国の病院でも3年間の就労経験が必要だ。

介護福祉士の候補者になるのも条件が高い。日本人が介護福祉士を受験するには学歴の要件がないが、外国人には本国での看護学校修了や大学の学位などが課せられている。

過度な学歴や就労経験の要件が課せられたのは、当時「外国人の非熟練労働者の受け入れを認めない」という政府の方針があったからだ。ところがこの間、こうした政府の方針と労働者不足を埋めたい現場とのずれが、しだいにあらわになった。2019年に創設された特定技能は単純労働の業種にも広がっている。

しかし、EPAの要件は見直されないままだ。例えば、EPAの看護師候補者は国家試験の受験が4回までに制限されるなど、厳しい要件がいまだに緩和されていない。

外国人看護師問題に詳しい静岡県立大学国際関係学部の米野みちよ教授は、「コロナ禍を経て、アメリカをはじめ他国では急速に外国人ケア労働者の応募条件を緩めている。日本の応募条件や在留期間を実情に合わせて見直さなければ、他国に取られ、応募者自体がいなくなってしまう」と語る。

10年がかかりで試験に合格

国家試験に合格した外国人看護師は、医療現場で欠かせない存在になっている。

フィリピン人のBさんは、2011年にEPAの看護師候補者として来日。その後准看護師としても働くも、在留期間中に国家試験に合格できず、2018年にいったん帰国した。帰国後、前出のサルヴァドールさんに出会い、受験のサポートを受けながら試験勉強を続け、2021年についに試験に合格。来日から10年後のことだ。

帰国前に働いていた病院からも戻ってきてほしいと要望があったが、勤務体系が柔軟な有料老人ホームで看護師として働き始めた。Bさんは現在、夫と子どもを日本に招き寄せて家族で暮らしている。

「フィリピンの看護学校の同級生たちはアメリカで働きたいという人が多いけど、私は日本で働きたかった。日本人は優しいし、日本が大好きだったから」とBさんは笑顔で話す。

カナダやアメリカではケア労働者を好条件での受け入れる政策が進み、世界的な人材の奪い合いが加速している。Bさんのようにあきらめずに日本で看護師を目指す人もいるが、魅力的な受け入れ条件のある国に流れていく人もいるだろう。日本で育てた貴重な候補者たちの定着を図るためにも、制度を見直す時だ。


(井艸 恵美 : 東洋経済 記者)