奇跡の36歳・戸田れいが語る初グラビアの記憶「週プレのグラビアでは手ぶらもTバックも解禁。ここで勝負しないと終わるって危機感がありました」【初グラビア物語】
『週刊プレイボーイ』に登場するタレント、女優、アイドルなど、各分野で活躍する女性たち。彼女たちの記念すべき「初グラビア」にフォーカスし、撮影にまつわるエピソードや当時の想いを綴る連載シリーズ、『初グラビア物語〜My First Gravure Story〜』。今回は奇跡の36歳と呼ばれるグラビアアイドル・戸田れいさんの前編。
戸田さんは2003年、高校生の時にグラビアデビュー。2005年にファーストDVD『必殺れいヮ〜ルド』がヒットとなりグラビアアイドルとしての人気を博します。
『週刊プレイボーイ』では2012年29号の袋とじに初登場。見事な美貌に加え、手ぶらやTバックショットなど体当たりのグラビアが大きな反響を呼びました。
現在はグラビアのほか、タレントとして活躍中。戸田さんに、芸能界に入った経緯から、初グラビアに至ったエピソードなどを聞きました。
戸田れい『週刊プレイボーイ』2012年29号(撮影/佐藤佑一)より
――戸田さんは現在、「奇跡の36歳」などと言われています。グラビアアイドル界でも屈指の美貌を誇っていますが、幼い頃から芸能界へ憧れはあったんですか?
戸田 いえ。もともとは保育士になりたかったんです。高校の頃マクドナルドのお客様係をしていて、中でも子供の世話がすごく楽しかったんです。子供と触れ合える仕事をしたくて、短大の教育学科にも進みました。とはいえ、芸能の仕事をするようになって、その夢は一旦保留にするんですけどね。
――芸能の仕事はどういう経緯で?
戸田 母の知り合いが芸能事務所の社長さんで、小学校4年生の時にその人のところへ入所しました。とはいえ滑舌のレッスンに通ったりはしたけど、何も仕事はしなかったです。10代の頃はギャルをやっていて、毎日のように友達と遊んでばかりいました。
――ギャルだったんですか?
戸田 はい。毎日のようにかなり濃いメイクをして、ルーズソックスを履いて出かけていました。小森純ちゃんに憧れていましたね。当時の写真を今見ると相当、ヤバいですよ(笑)。
――あははは。想像つかないです。初めての仕事は?
戸田 2005年にファーストDVD『必殺れいヮ〜ルド』を出したので、公式にはそれでデビューと言っているんですけど、じつは2003年、16歳の時に水着グラビアの撮り下ろしをやっていて、それが初仕事です。媒体名は忘れましたけど、成人誌だったと思います。
――グラビアは事務所から?
戸田 はい。「やってみない?」と声をかけられました。グラビアのことは全然わかってなかったけど、一度やってみようかなって。当時は浜田翔子さんが人気で、近い体型だったのでいいと思ってくれたのかもしれないですね。
で、確か伊豆に行ったのかな。ワンピース水着姿で川や旅館で撮ったり。スタイリストやヘアメイクがちゃんとついて、お姫様扱いしてもらえるのが嬉しかったですね。
――緊張は?
戸田 まったくしなかったです。水着になること自体、恥ずかしいとも思わなかったし。寒いのと虫がいてイヤだなって思うこと以外はなんとも。自分で言うのもなんですけど、初水着にしては肝がすわっていたと思います(笑)。
――2005年には、先ほどお話しされたファーストDVD『必殺れいヮ〜ルド』が発売されます。これも事務所から?
戸田 そうです。「沖縄、行けますよ」って誘われました(笑)。当時のアイドルDVDはいまみたいに台本がなくて、現地で遊んでいるところを撮るスタイルで。2泊3日のロケだったんですけど、ひたすら自由で楽しいしその上、豪華な食事ばかり出してもらえる。何これ! 最高だな!と思いました。
さらにその『必殺〜』が売れたみたいで、3ヶ月おきにDVDの仕事が入って、サードDVDはグアムロケ。自分は芸能人なんだぞって優越感に浸りましたね(笑)。でもその後、割とすぐに事務所を辞めちゃうんですけど。
――え? なんで?
戸田 事務所が映画の制作もやっていたので、エキストラなどもやったんですけど、DVDの仕事も含め、ほとんどお金にならなくて。あと同世代の友人と会った時、「毎月、家にいくら入れてる?」みたいな話になったんですけど、私だけ一銭も入れてないことがわかったんです。それがものすごいショックで。
これはいけない、もっと稼いで、生活をたて直さなきゃって。それで事務所を辞め、母子家庭で幼い頃から料理が得意だったので、近所のフレンチでアルバイトを始めました。
――立派ですね。その後、芸能活動を再開したのはどんな経緯で?
戸田 また別の事務所が誘ってくれたんです。しかも納得いく条件を提示してくれて。やっぱり未練もありましたし、フレンチと並行して芸能活動も再開することにしました。それが2009年、22歳の時ですね。
すぐにDVDから始めて、また何枚か連続してリリースさせてもらって。だけどその先になかなかいけない。自分の実力不足といえばそうなんですけど、だんだん悩むようになって。そもそも雑誌の撮り下ろしグラビア自体、ほとんどしていませんし。
――撮り下ろしがない? でも雑誌でたまに見かけましたよ。
戸田 それはほとんどDVDのパブ(DVDの宣伝用に撮影したグラビアを誌面流用すること)なんです。撮り下ろしがあるとしても1ページ程度で。それこそもうデビューして20年経ちますけど、いまだに『FRIDAY』さん、『FLASH』さんの撮り下ろしグラビアは一度もありませんしね(笑)。
――それは意外! 当時、戸田さんと近いタイプのグラビアアイドルといえば、瀬戸早妃さん、小林恵美さん、橋本マナミさん、矢吹春奈さんあたりですかね。
戸田 そうですね。打ち合わせに行って参考に見せられるのは、まさにそうした方々でした。皆さん先輩なんですけど、自分も色々と研究させていただきましたね。
――戸田さんが復帰した2009年以降といえば、グラビア界ではAKB48人気が高まっていた時期。雑誌のグラビアはアイドルが席巻していました。その影響もあったんじゃないですか?
戸田 そうかも。枠自体が減っているのは確実に実感しましたから。とはいえ、それでも活躍するコはいるわけで。事務所の後輩にもグラビアで活躍するコがいて、そのコを見ては羨ましい気持ちでいっぱいになって。自分の活動が発展しないこととあわせて、モヤモヤしていましたね。
――そんな中、『週刊プレイボーイ』2012年29号(7月17日発売)に初登場します。タイトルは「はだかの夏。」。全8ページの袋とじで、誌面はヌーディなカットばかり。初登場にしてはインパクト十分なグラビアです。
戸田 そのグラビアにはちょっと経緯があるんですよ。
――経緯? 一体、どんな?
戸田 あるテレビのバラエティでグラビアアイドル数名とゲームをして、『少年マガジン』さんのグラビア出演の権利を勝ち取ったんです。
そうしたら撮影してくれたカメラマン・佐藤佑一さんが私を気に入って、週プレの編集さんを紹介してくださったんです。で、撮り下ろしも決まりました。佐藤さんにはお礼しても足りないです。
――初の週プレのグラビア。撮影に気合いが入りました?
戸田 もちろんです。これまでDVDでもやったことのなかった手ぶらもTバックも解禁しましたから。当時、年齢も25歳だったし、ここで勝負しないと、グラビアアイドルとしては終わるって危機感もありましたし、相当な覚悟を持って出させていただきました。
――雑誌が出た時は買いに行きました?
戸田 コンビニに行って買いました! 見つけた瞬間は人生でそれまでないくらい嬉しかったです。自分がグラビアに出られないから、コンビニの雑誌コーナーにはあまり近寄らないようにしていたんですよ。でもこの時は堂々と行きました。心のモヤモヤがちょっとだけ晴れましたね。
★後編⇒奇跡の36歳・戸田れいが語る初グラビアの記憶「『30歳でグラビアやってますけど何か?』と開き直れるようになりました」【初グラビア物語】
●戸田れい(Rei TODA)
1987年2月9日生まれ 東京都出身
身長161cm B83 W59 H88
趣味=ゴルフ 特技=料理
公式ファンクラブ『れいちぇるんち。』
公式X(旧Twitter)【@toda_rei】
公式Instagram【@rei_toda】
戸田れいデジタル写真集『甘い夢のように』撮影/中村和孝 価格/1,100円(税込)
取材・文/大野智己 撮影/荻原大志