婚活ブームがいつから始まったのかは諸説あるようですが、最も売れている婚活情報誌『ゼクシィ』が創刊されたのは、1993年5月25日でした。

 この日は、元横綱・貴乃花光司さん(当時は貴花田)とタレント・宮沢りえさんの結婚式がおこなわれる予定の日でした。今回は、約20年の長きにわたって婚活ブームを支えてきた『ゼクシィ』の創刊編集長で、現在、多摩美術大学広報部で働く宮下英一さんにお話を伺いました。

 宮下さんは、東京都港区出身。1984年にリクルートに入社し、教育機関広報制作部編集企画課に配属されました。就職情報誌『B-ing』『とらばーゆ』の編集を経て、1993年、『ゼクシィ』の編集長を任されました。

――『ゼクシィ』は、どのような流れで出版されることになったのですか?

「もともと、1992年のビジネスアイデアコンテストで、女性社員から出された企画でした。リクルートのビジネスモデルは、企業のニーズとユーザーのニーズを、メディアを通じてマッチングさせることです。本来、広告として出されていた情報を価値ある情報に変換することで成立しています。

 当初、結婚マーケットで収益が上がるのか、期待値はあまり高くなかったため事業化されませんでしたが、少子化や非婚化がニュースとなっていたので、必要とされている情報だろうと判断し、企画がスタートしました。

 しかし、広告収入だけで成立している『住宅情報』や『とらばーゆ』のように、原価に見合わないほど安価な100円、200円という価格で販売することはできません。販売収入でも利益をあげる必要がありました。

 最初は『出会い、つき合い、結婚を応援する』というコンセプトで、デート情報なども掲載していたのですが、デート情報に関しては『Tokyo Walker』などほかの雑誌もたくさんありましたし、やはり結婚情報が大半をしめていました。

 そのため、ステディーな2人のための生活情報誌といったコンセプトのほうがいいのでは、と提案したのです。イベントでは、渋谷・西武デパートの家具売り場で『2人のための新生活スタート応援 ゼクシィプラン』を作っていただいたりしました」

――世の中にまだ婚活という言葉がない時代でしたが、結婚情報が必要とされているのは明らかだったのですね。

「当初はインターネットもそれほど普及していなかったため、結婚式場の情報や料金などをまとめて見ることができませんでした。料金を紹介所に言われるがままに支払い、不本意な式を挙げていたカップルも少なくなかったようです。

 結婚式や披露宴について、女性は夢見がちな傾向があるのに対して、男性は、経済的な理由で現実思考にならざるを得なかったためか、『ゼクシィ』が役立ったというお礼メールが、男性からもたくさん届きました。具体的に何にいくらかかるという料金表を掲載したことで、たいへん喜ばれましたね」

――創刊号から売れたのですか。

「はい。宣伝がうまくいき、創刊号から10万部を上回る売り上げを記録しました。当時結婚した人の7〜8割が買っていた計算になります。

 実は、この背景で世の中の出来事が追い風となってくれていました。創刊準備をしていた1993年1月のことです。正月休みが明けて、1月6日に仕事初めで出勤すると、駅で見かけた日刊スポーツの1面が、貴・りえ破談のスクープだったのです。

 これにはショックを受けました。2人の結婚式が創刊号の出る日だったので、頭の中は大混乱になりましたが、翌7日の新聞の1面は、皇太子と小和田雅子さんのご婚約内定という大ニュースでした。神風が吹いたと思いましたね。

 ここから結婚ブームの到来です。三浦知良さんと設楽りさ子さんなど、大物カップルの結婚もこの後に続き、コメンテーターとしてテレビ番組に呼ばれることが多くなりました。それから20年にわたってブームが続いています」

――あの頃は独身者が生きにくい時代でした(笑)。婚活ブームのメリットとデメリットは何でしょうか?

「メリットとしては、結婚は一世一代の大イベントですから、ちゃんと式を挙げて披露宴を開催することで、これからいい生活にしようと決意できる点です。こだわりの結婚式が流行り、景気浮揚効果もあったと思います。

 ネガティブな面を言うと、結婚が目的になってしまっている人も多く見受けられることです。それでは、結婚できても長続きしないと思います」

――『ゼクシィ』を離れた後、『ディレクTV』や『新風舎文庫』で編集長をされたのですね。

「1997年、衛星放送の番組情報誌『ディレクTV』の編集長を受託。2003年、出版社・新風舎に転職し、文庫の立ち上げに成功しました。その後、『アクトオンTV』に関わるなど、紙・映像・ウェブとさまざまなメディアの制作に携わりました。『ディレクTV』では、来日したエリック・クラプトンのインタビューも担当しました」

――今後はどのような活動をされる予定ですか?

「2017年に総合企画部長として多摩美術大学に転職しましたが、来年3月で定年を迎えます。今後は仕事も続けながら、50歳から始めた音楽活動にも力を入れていこうと思っています。

 岡崎友紀さんが11月29日にニューアルバムを発売されますが、自分が作詞・作曲した曲を提供させていただきました。12月10日のライブ『岡崎友紀 70th ANNIVERSARY SUPER PREMIUM LIVE』ではドラムを叩かせてもらう予定です」

■人を動かすコンテンツのための3カ条

(1)自分がその立場だったらどう思うかを大事にする
「こういう人はこう考えるに違いない」という発想は失敗のもと。自分が面白くなければ、誰も面白くない。

(2)常識や既成概念を疑ってかかる
 当たり前のことだと思っていても、見方を変えれば新たな魅力や価値が発見できる。

(3)こちらが伝えたいことを相手のメリットに変換する
 言いたいことを言っても誰も聞いてくれない。相手が気になる情報に組み替えたら、進んで取りに来てくれる。

日下千帆
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も