ネットで話題の「おばさん構文」本質は”女性から男性への性欲の暴走”…人気ライターが分析!突出して見られる「毒親感」

写真拡大 (全4枚)

 最近、X(旧Twitter)のトレンド欄で「おばさん構文」という言葉をよく見るようになった。おばさん構文とは、ミドル世代・シニア世代の女性が男性に対してLINEなどでメッセージを送る際に共通して見受けられる文体のことを指している。

 ライターのトイアンナ氏は、おばさん構文に共通する要素について「『毒親』が持つ精神性と女性が男性へと向ける『性欲』のハイブリッドだ」と喝破するーー。

あなたは「おばさん構文」を見たことがあるか

 あなたは、こんなメッセージ*1をもらったことがあるだろうか。

*1

 これは、「おばさん構文」と呼ばれる文章だ。かつては、「おじさん構文」と呼ばれる独特の文体が話題となった。それの男女逆転版が、おばさん構文である。おじさん構文には、こんな特徴が列記されている。

絵文字の多用 多すぎる句読点 見え隠れする下心

 おじさん構文については自動生成されるツールがあるので、そこから抽出した例文*2をご覧いただきたい。

*2

 こうして見ると、「おばさん構文」に少し似てはいるが、異なるものを感じていただけるだろうか。おじさん構文は、その見え隠れする「話しかける相手と、あわよくば体の関係を結びたい」という下心があいまって「気持ち悪い」とバッシングされた。

 では、「おばさん構文」はどうなのか。というのが、今回のテーマである。

トイアンナ「おじさん・おばさん構文はdocomoから生まれた」

 おばさん構文と、おじさん構文に共通するのが、

絵文字の多用 多すぎる句読点

 である。句読点の多さについては、私がライティング教室を実施していた観点から説明すると「作文初心者あるある」である。作文が苦手な人は、そもそも長文を読むことも苦手とする。そのため、句読点を文節ごとに入れ、英文のような隙間を作り読みやすくしているのだ。ただ、読む側からすると多すぎる句読点はかえって読みづらく感じてしまう。

 逆に、若い世代はLINEやInstagramのDMでメッセージをやりとりすることに慣れており、句読点を一切入れない傾向がある。オンラインでまとまった文章をやりとりすることに慣れている世代と、慣れていない世代のジェネレーションギャップといえる。

 絵文字も同じだ。もともと、おじさん・おばさんと言われる世代はメールからインターネットに触れた世代である。そうなると、いわゆる「、」「。」で末尾を締めくくるケースが多い。ところが、この文体で目下へ文章を送ると「怒っているみたいで怖い」と言われることがある。

 そのため、怖がられないようにとの配慮から、絵文字を選択する。だが、その絵文字の選択肢はいまの10代、20代と異なり、どこかレトロな雰囲気を醸し出す。というのも、おじさん・おばさん世代が慣れ親しんだ絵文字は、かつてdocomoが提供していたものをベースに選ばれるからだ。*3

*3

 その結果、今から見ると「ダサい」「古臭い」といわれがちな絵文字になってしまう。また、中年は絵文字が使えなかった時代に多用されていた顔文字も使いがちだ。そのため、さらにレトロ感がトッピングされる。

おじさん・おばさん構文が気持ち悪い理由

 ただ、単に古臭いだけで、おじさん・おばさん構文が気持ち悪がられることはない。この2つが忌避されるのは、文章に見え隠れする下心や、馴れ馴れしさだ。

 かつて、日本では上司から部下、教師から生徒など、目上から目下のコミュニケーションが馴れ馴れしい傾向があった。だが、令和の今は異なる。たとえ部下に対してでも敬語を使い、「さん付け」で呼ぶことが一般的だ。

 だが、その変化に乗り遅れる人もいる。未だに部下を「ちゃん、くん」付けで呼び、プライベートにずかずか踏み込んだ質問をする。

「○○くん、彼女はまだいないの?」

「だめだよ○○ちゃん、そんなんじゃ、嫁にもらってくれる人がいなくなっちゃうよ?」

 こういったコミュニケーションを、今の20代以下はセクハラだと受け取るだろう。だから、ネット上で見かけるおじさん・おばさん構文はハラスメントとして嫌がられやすいのだ。

おばさん構文に突出して見られる「毒親感」

 ただ、おじさん構文とおばさん構文では、大きな相違点が2つある。

 まず、おばさん構文では「私はあなたの気持ちをわかっています」という文章が多い。

「○○くんの気持ち、とってもわかる。そうなのよね。試合前は緊張しちゃうもんね」

「○○くんの心の痛み、私も、同じ経験がある……」

 上記のように、相手へ勝手な共感を示すものが見られるのだ。

 これに対して、おじさん構文は以下のようになる。

「いま、オジサンは○○しているよ!○○ちゃんはどうかな」

「オジサン、今日は○○に来ています」

 このように、自分の近況を勝手に垂れ流す文章が多く、その独特な文体から「メルマガ」とも揶揄される。

 おばさん構文は自分語りをしない。その代わりに、自分がいかに相手をわかっているかを語りたがる。実は、この「私はあなたを分かっていますアピール」が、子どもへ勝手に親の気持ちを押し付ける毒親の振る舞いに似ているということで、嫌がられる原因になっている。

おばさん構文が否定したい「性欲」

 そして、おばさん構文ならではの特徴として「性欲の否認」がある。以下は、実際におばさん構文を援護する声を、個人情報を守るため一部改変したものだ。

「おばさん構文って下心っていうより親心? って感じ。別に気持ち悪くないよ」

「おばさん構文の何がいけないの? 優しさや気遣いのあらわれでしょ」

 そう、女性の書き手は自分が対象へ性欲を抱いていることを、頑なに否認したがるのだ。だが、冷静に考えてほしい。全く性欲を、みじんも感じない相手へ毎日毎日、「あなたのことを、私は分かっています」アピールまでする文章を送るだろうか。

 男性が女性アイドルに対し、性欲を全く持たず応援することはめったに無いだろう。同様に、女性が男性アイドルを追いかけるとき、性欲がゼロとは言いづらいはずだ。相手が性的魅力のかけらもない外見でも応援するだろうか。「容姿が性的に魅力的だから応援したい」というのも、本音の一部であるはずだ。たとえ、後から相手の努力する姿勢や性格を知って、それらも含め応援したくなったとしてもである。

 だが、女性は「性欲」がそこにあることを決して認めない傾向にある。これは親心に近いものである、推し活をしているだけ、といった言葉で、ハラスメントを援護してしまう。だが、もし本当に親心だとして、子どものTwitterへ毎回「私、あなたのことわかる。そうだよね」と返信している行為は、ホラーではないか。

 親心でなく推し活だったとして、推しの気持ちを無視して、相手に「あなたの気持ち、とってもよくわかる」と押し付けるのも、ハラスメントではないか。そういう精神性が、おばさん構文の援護者からはごっそり抜け落ちているのだ。おばさん構文の援護者は、「だって性欲が暴走してこうなってしまっているんだもの」と認めたくないがために「親心」「推し活」といった言葉を使うからである。

 だが、下心を隠すのは難しい。推しへの性欲が漏れ出ているからこそ、周りはおばさん構文を見るたびに「セクハラの目撃者」と同じ気持ちになっている。また、実際にこういった女性ファンのメッセージに恐怖を感じ、活動停止してしまったアイドルもいる。実際にハラスメントであると受け取られているにも関わらず「これはハラスメントではない!」と加害者側が言うのは、滑稽を通り越して暴力だ。

女性にも性欲があり、暴走することを認めていく

 2020年代になり、ようやく「女性もセクハラの加害者になることがある」と認められやすくなった。2017年には強制性交罪の要件に、女性から男性へのレイプも含まれるようになっている。こうして男性が被害を訴えやすくなったことで、おばさん構文の弊害もようやく認められるようになったのだろう。

 一方、女性が頑なに「これは性欲ではない」と言いがちなのは、女性に性欲があることを長年恥とする文化があったためだろう。だが、女性にも性欲はある。そして、性欲はときに理性を無視し、暴走してしまうことがある。いま、女性にも性欲があり、暴走することを認めるべき時代がやってきた。性欲そのものは、良くも悪くもない。まずは「ときめきとは、性欲のことだ」「私は性欲から○○さんを推しているのだ」と認めるところから、始めてみてはいかがだろうか。