「戦略的放任子育て」を提唱する成田修造氏。家庭でどんな教育を受けてきて、どんな子育て論を持っているのでしょうか(写真:yosan/PIXTA)

初の著書『逆張り思考』が好評の起業家・成田修造さん。兄・成田悠輔さんは東大卒のイェール大学助教。鋭い視点と学識で、YouTubeなどで大人気の論客です。一方の弟・修造さんはビジネスの世界に進み、起業家として活躍。史上最年少で上場企業役員となり、会社を業界No.1に押し上げた立役者の一人としても知られています。

異才を放つ2人は、家庭でどんな教育を受けてきて、どんな子育て論を持っているのでしょうか。2人の子育て中であり、著書『逆張り思考』の中で「戦略的放任子育て」を提唱する成田さんに聞いてみました(本稿は主に書籍からの抜粋をもとにした記事です)。

子どもの潜在能力を引き出す親とは?

ぼくの兄・成田悠輔は東大に進学し、その後マサチューセッツ工科大学に留学して博士号を取得。現在はイェール大学の助教を務めています。

ぼく、弟の修造は、慶應大学時代にベンチャーに参画したり、自分でも起業したりした後、(株)クラウドワークスに参加して史上最年少で上場企業役員となり、全事業を統括する立場にもなりました。現在はクラウドワークスを卒業し、起業家・エンジェル投資家として後進を育てつつ、新たな事業の準備を進めています。

こういった経歴から、たまに兄やぼくが「お坊ちゃん育ちだった」と思われることがあるのですが、実際には真逆もいいところ、なのです。

生まれたのは東京都北区。4歳上の兄、成田悠輔が「ゴキブリが出てきて朝起きるみたいな、もうダメダメの典型みたいな家庭」と話したことがあります。ワンルームに家族4人。お金がないどころか借金まみれ、生きていくのがギリギリの底辺生活でした。

父は働くことを嫌って定職には就かず、いつもプラプラ。哲学や文学に通じた知識人でありながら、パチンコ、麻雀、酒、タバコに目がない人でした。ギャンブルをしては負け込んで、消費者金融からお金を借りることを繰り返していました。

あげくに、ぼくが14歳のときに失踪します。「人生をやり直したい」という衝撃的なひと言と、多額の借金を残して。

さらに母が脳出血を起こして倒れました。ぼくが17歳のときのことです。母は一命を取りとめたものの、右半身不随となりました。

そんな家庭でサバイブしてきたぼくに、教育について語る権利があるのか? と思う人もいるかもしれません。ですが、両親の影響は間違いなく大きく、今のぼくたちを創るもととなりました。また、そうした「普通」とは違う家庭環境だったからこそ、「子ども(人)を育てるとはどういうことか」「才能を伸ばし、幸せな人生を創造する力を育てるにはどうしたらいいのか」といったことを考え続け、学び、実践と修正を繰り返してもきたのです。

親は、子を縛ってはいけない。子は、親に縛られてはいけない

父からの影響。その一つは、「自分の目で見て、自分の頭で考える力」だったと思います。父は博識で、書棚には多種多様な書籍が並んでいました。そして、物事をまっすぐに見ない人でした。

とくにメディアのあり方には懐疑的で、「テレビで放送されていることが真実だと、どうして思うんだ? 間違っている可能性もあるのだから、たやすく同調してはいけない」と教えられました。父の影響を受け、ぼくにも世の中を斜めに見るクセ、人の意見を真に受けないクセが身についていました。小学校でも「先生の言うことを聞かない問題児」で、先生からは「態度が悪い」「反抗的」と怒られてばかり。

先生から「成田、おまえはもう、しゃべるな」と叱られたときは、ささやかな反抗を試みました。書店で買ってきた『日本国憲法』を開いて、「憲法では言論の自由が保障されているので、先生の主張はおかしいと思う」と反論したのです。今思うと、本当に面倒な小学生でした。

ですが、唯々諾々と他者の意見や見方に同調せず、自分自身で考え、行動を起こすことは、自分の力を発揮するうえで、最も基本となるものだと思います。

そんなぼくに対し、母はいつも、おおらかでした。必要以上に責めたり、縛ったり、抑えつけたりすることはなく、ぼくの意思や意見を尊重してくれました。母は、自分の両親を反面教師にしていたのだと思います。

母から、「あれはダメ、これはダメ」と押しつけられたことはありません。正直、「母から(いわゆる)教育を受けた」という実感さえありません。

ですが、母がぼくを抑えつけずあえて放任したからこそ、ぼくは父の失踪後も、自我(自分で考えて生きていく力)を失うことがなかったのだと思います。母がぼくを縛りつけていたら、母と同じように依存心が強くなっていたかもしれません(母は父と共依存関係にあったと思っています)。

親のひと言が子どものあり方を左右する

子どもの性格形成は、親に大きく左右されます。だから親は、

「子どもに、自分の価値観を押しつけてはいけない」

「子どもに、余計なひと言を言ってはいけない」

と思います。

「いい大学に入りなさい」「誰もが知る大企業に入社しなさい」「安定した仕事に就きなさい」……。親が「ああしなさい、こうしなさい」と押しつけると、子どもは自分の意思にふたをするようになります。そうしないと、叱られるから。親に認めてもらうには、「親の理想通りに生きる」しかないからです。

これこそ、最も「子どもの潜在能力」を発揮させない悪手でしょう。

親の時代は、子どもからすれば「30年古い」わけです。「良い」とされる価値観も当然違う。大事なのは、「その時代時代で、自分の頭と体で感じ、学び、行動する」ことです。その力さえあれば、子どもは自然に伸びていくでしょう。

子どもにあえて何も言わない、黙って子どもの自由意思に任せるという、親の「戦略的放任」こそが大事なのです。

親の役割とは?

親の役割は、子どもの個性と自主性を育む支援をすること。ぼくは、そう考えています。言いかえると、「親は子どもに気づきを与える装置」であると考えているのです。

「ああしろ、こうしろ」「あれはダメ、これはダメ」と強制するのではなく、


「世の中には、こういう考え方もあるんだよ」

「世の中には、こんなにおもしろいものがあるんだよ」

「世の中は、変えることができるんだよ」

「目標を持ったほうが、人生は楽しいよ」

などと肯定的な言葉を刷り込み、気づきを与えていくのが親の務めです。

一方で子どもは、親に「ああしなさい、こうしなさい」と押しつけられても、「必ずしも、従う必要はない」と思います。

そもそもぼく自身には、「親の考えに従おう」とか、「親の期待に応えよう」という発想がありませんでした(たぶん兄にもないでしょう)。

もちろん、親を悲しませるようなことはしたくありません。だからといって、親の期待に応えたいとは思わない。なぜなら、「親を悲しませないこと」と、「親の言うことを聞くこと」はイコールではないからです。

親の言っていることが「一理あるな」と思えば、参考にすればいい。

「違う」と思えば、自分の頭で考えればいい。

親の意にそわなくても、子どもが自立心を持って人生を楽しんでいれば、心ある親ならば悲しむことはないはずです。

「自分は何をしたいのか?」

「何をしているときが幸せなのか?」

「どうすれば納得できる人生を送ることができるのか?」

を自分で考える。

誰かに決めてもらうことは、自分の思考を止めることです。大切なのは、「自分の人生を自分でつくっていく」ことです。

ぼくにも2人の子どもがいます。ぼくは、子育ては「子どもが『やりたい』と思える目標を見つける旅」に同伴することだととらえています。そのための機会は提供するし、支えもします。ですが、考えを押しつけたり叱りつけたりしないように心がけているのです。

(成田 修造 : 起業家、エンジェル投資家)