「愛されたことがないから、人を愛する気持ちがわからない」親の虐待が人生に及ぼす影響の大きさを遠野なぎこさんに聞く

児童相談所が対応した2022年度の虐待件数は21万9000件余りで過去最多となった。幼少期から母親の虐待や育児放棄に遭い、成人後もそのトラウマに苦しんできた俳優の遠野なぎこさんに、時事YouTuberで笑下村塾代表のたかまつななが話を聞いた。

鼻血が出るまで殴られた幼少期

ーー幼少期からお母さまからの虐待や育児放棄に遭っていたとのことですが、いつ、どのような虐待を受けていたんですか。

遠野なぎこ(以下、遠野)物心ついたときには、母親から殴られたり、精神的に追い詰められたり。あとは見た目のことをすごく責められたり、食事を作ってもらえなかったりというのはありましたね。私は4人きょうだいの一番上なんですけど、下の子たちにはそういうことはなかったので不思議には思っていましたけど、それが当たり前だったので辛いとか思ったことはなかったです。


ーーでも当然、痛かったりするわけですよね。

遠野 はい。鼻血が出るまで、ずーっと殴られ続けたりとかしていたので…。でも痛いというより、常に母親の愛情を求めていたんですね、私。だから、その時間だけは母親に構ってもらえるという、ちょっと歪んだ愛の求め方をしていました。

ーーそれを愛情だと思われていたんですか。

遠野 思っていました。殴られた後に、鼻血がポトポトポトポトって出て、床が汚れちゃうじゃないですか。汚いからって、バケツを渡されるんですけど、私はそのバケツに血がたまっていく様子を見ながら恍惚とした気持ちを抱いていたような気がします。

ーーお母さまは、どうして遠野さんだけに暴力を?

遠野 私のことを女として見ていたんじゃないかなと思いますけどね。私は6歳から子役をやっていたのですが、母は私を女優にさせて、成功すると人に自慢したいんですけど、それと同時にうらやましくて引きずりおろしたいという部分もあったみたいで。母を擁護する気は一切ないですけど、彼女自身もそういうところで苦しんでいたり、葛藤があったんじゃないかなと、今は思いますけど。


ーーそんなに小さい遠野さんを見て自分を投影させてしまっていたんですかね。

遠野 そうだと思います。周りはそんなことは想像しなかったと思うので(虐待のことは)分からなかったと思います。すごくかわいいお洋服を着せられて育てられてましたから。お誕生日会とかがあると、張り切って他の子どもたちを呼んで、ケーキとか作ってくれましたし。そういう完璧なお母さんを演じたかっただけだったと思いますね。

崩壊する家庭を守りたかった

ーー虐待されたとき、お父さまは助けてくれなかったんですか。

遠野 父は大工の仕事をしていたんですけど、お酒好きで夜はあまり帰ってこなかったんです。私が母に何をされているのか知っていたのかな、というぐらいの距離感でしたね。夫婦げんかも絶えなかったですし。お金を持ってどっかに行っちゃうし。もう家庭崩壊ですね。

ーー助けを求めたい気持ちもなかったですか。

遠野 私は、家族を守りたかったんです。だから父のことも、どうしようもない人だけど、守りたかったし、私が間に入ることで、全員を守ってあげられるんだったら、それでいいと思っていたので。助けを求めたりなんかしたら、もっとばらばらになってしまうと思ったし。私さえ我慢すればという思いが強かったんだと思います。

ーー家庭が大変だと気付いたのは、いつぐらいでしたか。

遠野 小学校高学年になってからです。父と母が離婚して、母が再婚して。母は、私が子役だったので、その現場のスタッフの人と再婚しました。再婚して一番下の妹が生まれて、わりとすぐに母から「好きな人がいるの。私不倫してるの。ダブル不倫してるのよ」って打ち明けられて。そのあたりからこの環境はおかしいと気付き始めましたね。

ーーそんなこと、お母さまに言われるんですか。

遠野 どういうふうに不倫しているか、初めてのキスはどうしたかとか、いろいろ聞かされて。週に1回、母親がラブホテルに行く日があるんですよ。そういう母がいないときに限って、相手の奥さんが乗り込んでくるんです。

「いるんでしょ。隠さないで出てきなさい」って。だから私が「いません。ママはいません」って。下の子たちが怯えているから守らなきゃいけないし、(留守の間は)ご飯を食べさせなきゃいけないし。ちょっと地獄だなって思いました。

「私は醜い・・・」今も続くトラウマ

ーー虐待はその後も続いたのですか。

遠野 中学生に上がった頃には、私に力もついてきたから、言葉による虐待になりましたね。「醜い」とか。「身体醜形恐怖症」っていうんですけど、私は今も、お化粧するとき小さい鏡でしか自分の顔を見られなくて。リハビリはしてるんですけど、自分の顔が気持ち悪くて…。モンスターみたいに見えるんです。

ーーおきれいなのに。

遠野 最近は「きれいですね」って言われたら「ありがとうございます」って言うように気をつけているんですけど、心の中では「本当はブスだと思ってるんでしょ。気持ち悪いと思ってるんでしょ。化け物みたいだと思ってるんでしょ」って思ってます。それぐらい「あんたは醜い」って、ずーっと言われ続けてきたので卑屈になっちゃうんです。

ーーそういう辛い日々の中で、毎日どんなことを考えていらっしゃったんですか。

遠野 これがね…愛してほしいって思っていたんですよね。憎いとか嫌いとか、そういうことは一度も思わなかった。一度でいいから抱きしめてほしいなって、それしか思わなかったです。

ーー抱きしめられた記憶がないんですか。

遠野(首を横に振る)だからね、虐待って本当に罪深いですよね。この歳になっても泣けてきてしまうんですもんね。

ーー愛されたかったんですね。

遠野 そう。だから人を愛したことが今までなくて、人間を愛するという気持ちがわからないんですよね、今も。愛されたことがないって、愛する気持ちがわからないということなんだなって。愛し方がわからないということになるんだなっていう。それって人の人生を左右することだから、母のしたことは罪深いなと思いますね。

死ぬことばかり考える日々

ーー16歳から6畳1間のアパートで1人暮らしを始めたそうですが、どうしてですか?

遠野 一度、縁を切って逃げなきゃと思ったんですよね。お薬を大量に飲んでしまって、現場に行けなくなっちゃった日があったんです。救急車で運ばれたのかどうかは記憶が飛んでいるんですけど。仕事を1回休まなくてはいけないとドクターストップがかかってしまって、それを機に、1人暮らしを始めました。

ーー薬を飲んだのも、虐待が起因していたんですか。

遠野 もう全部が嫌になっちゃったんだと思います。母の気を引きたかったのか、死にたかったのかもわからない。いろんな薬を飲んじゃって、座ると頭がハンマーで殴られるみたいに痛くなっちゃって、ぷつっと意識が飛んじゃって気付いたら病院のベッドの上でした。でも目が覚めたら母もいないし、マネージャーがいて「仕事よ」みたいな状態だったから、絶望しかなかったですよね。

ーー精神的に不安定なときはどんなことを考えていましたか?

遠野 もちろん死ぬことばかり考えています。今でも考えますよ、最悪死ねばいいんだって。最後の切り札として。だから頑張ろうって。でも実際はね、人に迷惑もかけたくないし、明日には笑っていられるかもしれないと思えば、そんなことは実行しないし、大丈夫ですけど。

ーー20代の最後にお母さまと縁を切ったそうですね。

遠野 私はたまに電話をして母を責めることもあったんですけど、最後の最後で不倫相手に電話を取られて「うちのやつが過呼吸を起こしたじゃないか」とか「謝れ」とか「もう二度とかけてくるな」って言われて。そんなこと言われたら、もう私からは怖くてかけられなくなっちゃってそれっきりですね。それから十数年、音信不通でしたね。

ーーその後、気持ちは楽になりましたか?

遠野 気にしないときはなかったです。舞台とかやると、絶対にいるわけないのに、客席を探しちゃったり。母は絶対来るような人じゃないのに、ばかですよね。どっかで期待しちゃうんですよね。

生きてさえいれば、いいことがある

ーー昨年、お母さまが自死されたそうですね。

遠野 最後までやってくれたなって思いましたね。自分のことしか考えない母らしい死に方だなと思いました。不倫相手が病気で亡くなった翌日に後追いしたらしいんで。私は1週間くらい泣き続けましたね。「悲しい」とか「寂しい」じゃなくて「悔しい」「ふざけんな」の涙でしたね。葬儀には参列しませんでしたし、死に顔も見ていません。


ーー虐待とかネグレクトとかで苦しんでいる子どもたちにメッセージをお願いします。

遠野 難しいな…。虐待、これはね、難しいんですよ。きれいごとを言えば、きれいごとのメッセージが伝えられるんですけど、本当の本音を言ってしまえば、殺されてでもそばにいたいんですよね、親の。離れたくないと思いますよ。

ーー児童相談所に相談してみるとかは難しいですか。

遠野 例えば、内縁の夫、義理のお父さんに虐待を受けていても、お母さんがそばにいてくれたり、あとでかわいがってくれたりするならその子はたぶん、お母さんと離れるよりはそっち(誰にも相談しないこと)を選ぶと思うんですよね。そういう心理って複雑なんですよね。だから一概に「すぐ逃げて、児童相談所に行ってね」とか「おまわりさんのとこに行ってね」とは言えないな、私の口からは。

ーー虐待されていたころの自分に伝えたいことはありますか。

遠野 うーん、あんまりポジティブなことが言えない…(笑)。でも、そのまま生きていれば、今の私は43歳になって、素敵な恋をしたりとか、素敵な友達ができたりとか、素敵なお仕事をこういうふうにさせていただいたりとか、笑顔になれたり楽しいことが待ってるよって言ってあげたいかな。

取材 たかまつなな/笑下村塾

監修 林浩康(日本女子大学人間社会学部社会福祉学科教授)