プロ・ラグビー選手である姫野さんが「スコアボードを見るな」と語る真意とは(写真:Yoshi-da/PIXTA)

日本を代表するプロラグビー選手の姫野和樹さん。2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップでは、攻守にわたってチームを牽引し、日本代表初のベスト8入りに貢献。2021年にはニュージーランドの名門ハイランダーズに期限付き移籍。世界最高峰リーグ、スーパーラグビーでもルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人賞)を獲得しました。

そんな姫野さんが選手として、チームのキャプテンとして、これまでのラグビー人生の中で学んできた、考え方や意識作り、自分との向き合い方、「弱さ」の受け入れ方、目標設定術を書き下ろしたのが『姫野ノート 「弱さ」と闘う53の言葉』。この記事では本書より、ビジネスパーソンにも役立つ「過去にとらわれない」心構えについて綴ったパートから一部抜粋、再構成してお届けします。

スコアボードは「見ない」

ラグビーやサッカーは、テニスや野球などと違い試合時間に限りがあるスポーツだ。

例えば野球は、10点差がついていてボロ負けしていたとしても、最終回に11点を取ってしまえば勝てる。テニスも何度マッチポイントを奪われても、そこから自分が最高のプレーをし続けて粘りに粘っていれば、どこからでも逆転することが可能だ。

ラスト1球、1分1秒まで勝てる可能性がある。

だが、ラグビーはそうではない。前半40分+後半40分=計80分という試合時間が決まっていて、時間内に相手を上回らなければならない。

一方的に押し込まれる試合展開になってしまった場合には、「時間的に絶対に追いつけない点差」「100%負けるとわかっている」中でも、プレーをし続けることになるし、し続けなければならない。

負けるとわかっている試合で何を思うか

「もう、負けるとわかっているのに、そういう時、何を考えてプレーしているんですか?」

そんな直球の質問をされたこともある。結論から言うと、僕は「何も」考えていない。少なくとも、スコアのことは一切考えない。

トゥイッケナム(イングランド)でのイングランド代表戦も、残り時間10分で32点差だった。イングランド代表相手に、わずか10分の間に5トライ獲って5本のコンバージョンキックを決めるのは、現実的に不可能。勝利は絶望的だ。こうした状況は日本代表戦だけでなく、キャプテンを務めているトヨタの試合でも、これまでも数えきれないほどあった。

そんな時、僕はチーム全員を集めて必ずこう伝える。

「スコアボードを見るな」

なぜか。過去は、変えられないからだ。

もちろんキャプテンとして出場している以上は、スコアボードは見ているし頭に入れている。残り時間や点差を常に計算し考えてはいるけれど、それはあくまでも僕個人のキャプテンとしての仕事。選手としての仕事は別だ。

メンバー1人1人が、自分に与えられた役割を80分間まっとうすること。それが選手として課されている唯一の仕事だ。

たしかにスコアは重要だが、それはそこまでの結果。もう過去のことだ。恨めしくスコアボードを眺めていても点差は縮まらないし、タックルミスで失った5点が帳消しになるわけでもない。どんなに頑張っても過ぎ去った時間は取り戻せないし、ここまでの結果はもう変えることはできない。

どうあがいても、過去には自分の影響を及ぼせないのだ。スコアボードは、その過去が書いてあるだけのものだ。

唯一、そこから僕たちの力で影響を与えられることがあるとすれば、それは目の前で起きていることだけ――向かってくる相手とのコリジョン(ぶつかり合い)であり、相手のボールを奪うことであり、1センチでも前に進むこと、それしかない。

自分の力で変えられない、自分でコントロールできないのだから、点差は気にしなくていいものになる。スコアボードも視界に入れる必要がない。

自分の影響を及ぼせないもので言えば、レフリーのジャッジもそう。レフリーも人間である以上、同じルールに基づいて判断していても、解釈や視点によって判断基準は1人1人微妙に違う。前回の試合のあのレフリーではOKだったプレーが、今日の試合のこのレフリーでは反則をとられる、ということもよくある。レフリーの判断と僕たち選手側の「いける」という判断が合わない時、選手は試合中にレフリーの基準に合わせることが求められたりもする。

もちろん可能な限りでチーム全員で修正を図るけれど、結局、合わないものは合わないし、アジャストできないものはできない、僕はそう割り切って考えている。

そういう思い切った割り切り方も必要なのだ。判定に怒りったり焦ったり、イラ立ったりしても、レフリーの下した判定は覆らない。もう自分の影響は及ぼすことができないのに、いちいちレフリーに反論していては、その時間が勿体ない。

限られた時間の中で、自分の意識とエナジーをどこに費やすべきなのか。それを探して、そこだけにフォーカスすることのほうがずっと大切だ。

「今、この瞬間」だけを変える

冒頭のトゥイッケナムのように360度8万人全員が敵、というのは極端な状況だが、アウェーでは心身への負荷がどうしても大きくなる。

観客の声援が大きくて味方同士のコミュニケーションが取れない。相手がボールを持つだけで大きな歓声が起きるのに、自分たちが良いプレーをしても無反応、といった小さなストレスが積み重なると、自分でも気づかないうちにメンタルが消耗していく。メンタルが削られればそれだけ体力も余計に奪われていく。そうなると普段なら止められる相手に吹っ飛ばされるし、まだ走れるはずなのに、息が上がって足が重くなる。

そうした厳しい状況の中で自分自身、チームのエナジーを保ち続ける方法は、たった1つしかない。

周りを見れば敵だらけ。接点ではかなり押し込まれてしまっている。準備していたプレーが上手く出せない。試合時間は減っていく――その時、何よりも大切なのは、

「今、何をすべきか」

「次、どうするのか」

を考えることだ。

目の前だけにフォーカスする

スコアボードと同じように、結果=過ぎ去ってしまった過去は気にしても仕方がない。それよりも今、「ここからどうプレーするのか」=プロセスにフォーカスする。それがめちゃくちゃに大切なことだ。

どんな試合でも、目の前の局面、次のワンプレーの積み重ねだけが勝敗を分けていく。“目の前”“次”を全力で獲り続けていった先に勝利という結果があるわけだ。

そして、僕たちが影響を及ぼせるのは目の前の状況、次のプレーだけだ。
目の前を全力で変え続けても、過去は変えられないが、未来はどのようにも変えることができる。

だから僕にとっては、試合中の点差は関係ない。勝っていようが負けていようが気にしない。逆転不可能だろうが大差がつこうがそれは、今、思い悩まず喜ばず、試合が終わってからゆっくりレビューすればいい。試合中に1つのミスや結果、過去にとらわれていたら、未来を変えるための時間がすぐに流れていってしまう。だからこそ目の前の局面だけにフォーカスする。自分のやるべき仕事だけに、試合終了のホーンが鳴るまで全力を尽くす。

「過去にとらわれない」のは、試合中のスコアだけではない。

例えば前週に大勝した試合にも、逆にボコボコにやられてしまった試合にも一切とらわれない、ということでもある。言ってみれば「切り替えの早さ」だ。

4年前の2019年9月、日本で初めて開催されたラグビーワールドカップ。9大会連続9回目の出場を果たした僕たち日本代表は、その大会で史上初の予選リーグ突破を目指していた。

総エントリー93か国の中から地域予選を勝ち抜いた20の国々は、1組5か国ずつ4グループに振り分けられ、グループ内で総当たりのリーグ戦を4試合行う。5か国のうち上位2か国がベスト8――一発勝負の決勝トーナメントに進むことができる。

日本代表と予選グループ同組は、アイルランド代表、スコットランド代表、サモア代表、ロシア代表の4か国。世界のトップ20が集まる大会だから、どこと当たっても厳しい試合になるのはもちろんなのだが、中でもアイルランド代表とスコットランド代表が、最大のライバルになると考えていた。

過去も未来も「全部、捨てる」

当時、日本代表の世界ランキングは9位。対してスコットランド代表は7位、アイルランド代表は2位だ。特にアイルランドは大会が始まる直前まで世界1位にランクされていて、優勝候補筆頭として日本に乗り込んできていた。

もちろん、どちらも“ティア1”だ。

“ティア”とは、2023年5月まで存在した世界のラグビー界における“グループ分け”のようなもので、世界ランキングとはまた別のカテゴライズだ。ティア1は、序列の中の最上級に位置するラグビー強豪国を指している。現在はティアという呼称は廃止されて、新しい5階層のグループ分けに改編されティア1も“ハイパフォーマンス・ユニオン”と呼ばれることになった。

2019年当時、このティア1には10か国、それに準ずるティア2には13か国が属していた。当時の日本代表はティア2という位置付けだった。ティア1と2の間には、相当な力の差がある。2015年までのワールドカップで、ティア2からベスト8入り=決勝トーナメント進出できた国はフィジー、サモア、カナダのたった3か国だけだった。つまり、ワールドカップ予選突破すら許されないくらいにティア1の壁は高く、厚いのだ。

日本代表が目標とするベスト8に確実に進むためには、そのティアでも世界ランキングでも格上の2か国を倒さねばならなかった。しかし、その時点までの戦績はというと、日本代表はスコットランド代表に1勝10敗、アイルランド代表には1度も勝ったことがなかった。

アイルランド代表は予選リーグ初戦で、世界7位のスコットランド代表をノートライに抑える完璧な勝利を挙げていた。1戦目のロシア代表戦に勝利した日本代表の次の相手は、そのアイルランド代表だった。

日本中、いや世界中の誰もが「勝てる」と思っていなかっただろう。ラグビーというスポーツを少しでも知っている人ならなおさらだ。

というのも、ラグビーは“アップセット”番狂わせが最も起きにくい、「強いほうが勝つ」スポーツだからだ。体と体を直接ぶつけあいながら、ボールを手で持って運ぶという確実性の高い得点方法で競い合うため、サッカーや野球よりも運や偶然の入り込む余地が少ないのだ。

当然、僕の周囲は「どうやっても勝てるわけがない」という声が多勢を占めていた。

そのチームにどう挑んで、どう勝つのか。僕たちが最初にしたことはシンプルだ。ロシア代表戦の勝利もアイルランド代表との対戦成績も、意識の中から消し去ることから始めた。

目の前にある局面、次のプレーに全力で

勝ったことは素晴らしい結果だが、次の瞬間からそれはもう過去のこと。過ぎ去った結果の余韻に浸っていても、次には繋がらない。同じようにアイルランド代表にこれまで勝ったことがないのも、すでに過去のこと。今の自分にもチームにも無関係だ。良い過去も悪い過去も、未来も全部まとめて捨て去って切り替える。

そして、同時に先を見ることもやめた。まだ始まってもいないアイルランド代表との勝負の行方を心配する必要もないからだ。例えるなら、

「大きな病気になったらどうしよう」

「明日、交通事故に遭ったらどうしよう」


と、起きると決まってもいないことに、ビクビクしながら生活するようなもの。

心配したところでアイルランド代表の強さは変わりようがないのだから、それよりも、どれだけチームの力を1つにしていけるか、ということにフォーカスしたほうがずっといい。自分たちが最高の準備をするために時間を使わなければいけないし、集中しているか、していないかの差で結果に大きな差が生まれるのは、グラウンドの上でも同じだ。

過去と同じように未来も、直接自分の力が及ぶものではないけれど、ただ、未来が過去と違うところが1つだけある。今、目の前にある局面、次のプレーに全力で自分の影響を及ぼし続けていくことで、未来はいくらでも書き変えることができる。

実際に、僕たちはそれを証明してみせた。

19対12。

日本代表はアイルランド代表を倒したのだ。

11戦目で初めての勝利だった。

(姫野 和樹 : プロ・ラグビー選手)