「読書感想文を書く意義」とは?(写真:ダイ/PIXTA)

夏休みに宿題として出され、多くの子どもたちを悩ませる読書感想文。「子どもたちに、本を読む楽しさを知ってほしい」と思う反面、「自分も書くのが苦手だったな……」と思う方も少なくないのでは?

そこで東洋経済オンラインでは、プロの書評家・三宅香帆さんが小中高校生の読書感想文の課題図書を読み直し、本気で読書感想文にする企画を実施。「読書感想文のコツ」を届けつつ、「想いを文字にする楽しさ」「本を読む楽しさ」を子どもたちに知ってもらうことを目指します。

約8週間にわたってお届けしてきた短期集中連載の最終回は、「読書感想文を書く意義」について解説します。

読書感想文のいったい何が面白いのか?

さて、長きにわたって読書感想文について書いてきましたが、今回が最終回となります。最後に考えたいのが、「そもそも、読書感想文のいったい何が面白いのだろう?」ということです。

そもそも学校で課せられるものが面白くある必要はあるのでしょうか? 答えはノーです。勉強はエンタメではありません。授業も宿題も、与えられる課題にすぎず、面白くないのは当然です。面白さを目指して作られていませんから。

読書感想文もそれは同様で、面白くないのは仕方がない、のかもしれません。

しかしそれでも、数学を解くたのしさや歴史を知ることができるうれしさをたまに理解できる子がいるように。読書感想文を書く面白さが仮にあるとすれば、一体どこにあるのでしょう?

書評家という、ある意味読書感想文を書くのが仕事、のような人間として、「読書感想文を書く面白さはどこにあるのか」と聞かれたら、私はこう答えます。

自分の体験抜きで、自分の意見を言葉にできる

「自分の考えを、自分の体験抜きに書けるのって、面白い」ということです。どういうことでしょうか。詳しく説明しましょう。

私たちは普段、自分の思っていることを他人に伝えようとします。たとえばお腹が空いた時、お母さんにお腹が空いたと伝える。昨日のバラエティー番組が面白かった時、友達に昨日の番組見た? と聞いてみる。


しかしまとまった自分の考え――たとえば自分がこう生きたいとひそかに考えていることや、昔経験したけれど実は嫌だったことやうれしかったこと、あるいは体験したことを通して培った自分なりの価値観――を他人に伝える機会は、実はあまりありません。

いや、もちろん伝えてもいいのですが、大抵の学生さんにとって、そんな機会はなかなかないのではないでしょうか。それは日本の学校教育が「自分の意見をしっかりまとめて言葉にする」ことをあまり重視していないからです。

たとえば調べたことをまとめたり、聞いたことを要約したりする授業はしばしばあるでしょう。あるいは正解を当てることは普段からやっているはずです。しかし、本当に自分の意見や価値観をまとめて言葉にする機会は、めったにありません。日常会話でも、なかなかないですよね。

だけど、大人になっていく過程で、学生さんたちもいろいろと内心思うことはあるはずです。まとめて言葉にする機会はないだけで。言語化されていない自分だけの価値観や感情が、たくさんある。

では、それらを学校の通常の作文に書けるか? と聞かれると、私はノーと答えたくなります。なぜなら「作文」とは、自分の体験を書くものだとされているからです。

第3回でお伝えした「学校の授業では、基本的に読書感想文を体験込みで書くことを求められている」話も同様ですが、どうにも、日本の作文教育は、「日記」のような体験を言葉にすることを重視しがちです。もちろん自分の身に起きたことを的確に描写する能力は必要ですが、そればっかりだと、自分の体験抜きで自分の意見を言葉にする機会は少なくなってしまいます。

体験ではなく、意見を、書く。――そのような練習が、日本の学校教育だと、先生が意識的にやらせない限り、少なくなってしまっているのです。

「自分の考えを言葉にする快感」を知るチャンス

ですが、ここで少し考えてみてください。

起こったことではなく、考えたことを、書く。それは、実は読書感想文のなかでは可能になるのです。なぜなら読書感想文は「本を読む」という体験さえあれば、どんな考えを書いてもいいからです。

たとえば私たちは戦争を体験していないし、戦争の話を当事者から聞く機会がなくても、本を読めば戦争についての考えを書くことができる。

あるいは社会についておかしいと思うこと、学校で変だと感じたこと、自分がひそかに考えていることの言語化を、本という媒体を通せば、実は体験を書くよりももっと自由に書くことができるのです。

それは間違いなく読書感想文の面白さのひとつです。体験してなくても、自分の意見を自由に書ける。

本はこの世に大量にありますから、学生さんが興味を持つトピックスならば大抵関連書籍があります。その関連書籍を読んで考えたことを書けばいい。

そうして、読書感想文は、体験の描写ではなく、自分の意見の記述を可能にするのです。

もちろん、言語化することそのものが面白い、と思える学生さんは一部でしょう。ふつうはそういうふうに感じられない方が大多数だと思います。ですが、作文を書く中で「自分はこんなことを考えていたのか!」とわかる瞬間が一回でもあれば、しめたものです。

自分の考えを言葉にする快感を、知るチャンス。それが読書感想文の面白さそのものなのです。

「なんで読書感想文なんて書かなきゃいけないんだろう」と思う学生さんはたくさんいるでしょうが。実は学校教育のなかで、自分の体験していないことについて意見や思っていることを言語化して書ける機会は、そうそうない。――と思うと、読書感想文の面白さはまさにここにあるのだとわかってもらえるでしょうか。

読書感想文がもたらす能力は、案外、社会に出てから貴重かもしれませんよ!

(三宅 香帆 : 文筆家)