カリフォルニア大学バークレー校の授業で「失敗してみよう」と学生に要求する真意とは(写真:mits/PIXTA)

カリフォルニア大学バークレー校で大人気の授業「Becoming a Changemaker」。講義を担当するアレックス・ブダク氏は、「あえて失敗する授業は、学生たちにとりわけ好評」だと話します。著書『自分の能力が変わるカリフォルニア大学バークレー校超人気の授業』より、授業と学びの様子を取り上げます。

エリートほど「戦線恐々」としている

失敗と健全な関係を築くこと、すなわち失敗を変化の障害物ではなく、触媒と見なすことは本講義の中心テーマだ。

この講義で私が学生たちに課す演習の内容は、カリフォルニア大学バークレー校のキャンパスで広く知られるようになっている。

私は「失敗」についての講義の終盤、賢明なリスクテイクに関する研究や、シリコンバレーの失敗を前向きにとらえるカルチャーなどの話をしたのち、たった2単語からなる文をスライドに表示する。

「Go fail (失敗してみよう)」

学生たちはソワソワしながら不思議そうに笑みを浮かべるが、次のスライドが表示されると、その笑顔はすぐにパニックの表情に変わる。私が冗談を言っているのではないと気づくからだ。

そのスライドには、「いますぐ教室を出て、誰かに頼み事をして、拒絶されること。制限時間は15分」と書かれている。つまり、意図的に誰かから拒絶される(積極的に失敗する)ことを体験するのだ。

どんなに馬鹿げた依頼であれ、相手がそれを承諾したらやり直し。相手にきっぱりと断られるまで、キャンパス内にいる誰かに頼み事をしなければならない。

内容はなんでもかまわない。ルールは2つだけ。違法なことや危険なことは頼まないことと、これが講義の一環であると相手に知らせないことだ。

エリートの多いカリフォルニア大学バークレー校の学生たちにとって、意図的に失敗し、拒絶されるのを想像するのはとてつもなく難しい。顔は真っ赤になり、額に汗が浮かぶ。若くして多くを成し遂げてきた優秀な彼らにとって、拒絶されたり失敗したりするのを想像するのはとても怖い。

私は励ましの言葉をかけ、これから15分間でどんなことが起きるか戦々恐々としながら教室を出る学生たちの幸運を祈る。

演習を終えた学生たちが続々と戻ってくると、教室の雰囲気は一変する。皆、満面の笑みを浮かべるのだ。

出ていくときは重たく引きずるようだった足取りは、高揚し、弾むものになっている。誰もがたった今体験したことを笑いながら熱っぽく語っているので、とても騒がしい。隣の教室の教授から静かにしてほしいと苦情を言われたことがあるほどだ。

学生たちが興奮しているのは、人生を変えるほど重要な教訓を学んだ手応えを感じているからだと聞いたことがある。彼らにとってこの演習は、新しく健全な視点で失敗をとらえるための経験になった。失敗は恐れるものではなく、望む変化を実現するために欠かせない手段だと理解し始めたのだ。

その後、授業の残り時間を使って各自の「拒絶された体験」を振り返り、そこから得た気づきを話し合う。この議論を通じて、必ず浮かび上がる教訓が2つある。

「何も求めない」のが最大の失敗

1つ目は、「人は失敗を恐れるあまり、求めているものがはっきりしているにもかかわらず相手に何も求めないことが多いが、実は何も求めないことこそ本当の失敗である」という教訓だ。学生の4割が、まったく馬鹿げていると思うことを頼んだにもかかわらず、相手に受け入れられた体験をしていた。

ある学生は、雨の日に、傘を持っていた見知らぬ学生に、次の授業がある教室まで傘を差しながら一緒に歩いてくれないかと頼んだ。驚いたことに、相手はそれに同意してくれた。その教室まで往復すれば30分近くもかかるのをわかったうえでだ。

他の学生は近くのカフェに行き、オレンジジュースをタダで飲ませてほしいと頼んだ。なんと、店は要求に応えてくれた。拒絶されるまで教室に戻れないのでさらにもう1杯リクエストすると、店はまたタダでオレンジジュースを出してくれた。最終的に「ノー」と断られるまで、この学生は6杯のジュースを手にして教室に戻ってきた。

キャンパス内のトレーニングジムにいる全員に「ハッピーバースデーの歌」をうたってもらった学生もいた(「今日は自分の誕生日ではない」と伝えたにもかかわらず)。

人は、「どうせ拒絶されるだろう」という理由で、欲しいものを求めないことが多い。だが、「どうせ失敗する」と考えるのは、失敗する準備をしているのと同じだ。私たちは、求めていないものは手に入れられない。学生たちはこの演習を通して、人間はどんな行動が拒絶されるかを予測するのが下手で、それを確実に知るには実際に試してみるしかないという真実に気づくのだ。

失敗は頭で考えるほど「致命的」ではない

2つめの教訓は、「失敗の痛みは、頭で考えているほどたいしたものではない」だ。

この演習で、近くで作業していた建設作業員にブルドーザーを運転させてもらえないか尋ねた学生がいた。このリクエストはきっぱり拒絶された。だがこれをきっかけに、建設作業員に不動産開発の業界話をあれこれ尋ねることができた。結果、学生はこの作業員の勤務先の会社でインターンとして働かせてもらえることになった。

とても恥ずかしがり屋の別の学生は、演習の最初の14分間、勇気を振り絞って誰かに声をかけようとしながら、それができずに不安な気持ちで廊下を歩き回っていた。残り1分になったとき、彼女はおそるおそる通りすがりの女性に、履いている靴を履かせてほしいと尋ねた。「申し訳ないけどお断りしておくわ……なぜかはわかってくれるでしょう?」とその女性は冷静に答えた。


学生は初め、拒絶された瞬間に自分が泣き出すと思っていた。ところが、逆に重圧から解放されて心が軽くなった。相手はこの馬鹿げたリクエストに、丁寧かつユーモアを交えて答えてくれた。猛烈な恥ずかしさを感じると思っていた学生は、深呼吸をし、笑顔で女性に礼を伝え、教室に戻ってきた。

その後、この学生はカリフォリニア大学バークレー校の学生自治会の役員に立候補して当選した。勇気を出し、失敗は致命的ではないと学べたからこそ、引っ込み思案な彼女は自治会の選挙に立候補するという大胆な道を切り開けたと話してくれた。

幾度もの失敗を経ずに有意義な変革が実現したことはない。

変革を導く「チェンジメーカー」であるとは失敗することであり、失敗を受け入れることにほかならない。大事なのは失敗という存在とどう向き合うか。失敗するのは、何か意味のあることに取り組んでいる証だ。失敗がなければ進歩は決して生まれない。

(アレックス・ブダク : 社会起業家、カリフォルニア大学バークレー校教員)