大泉洋さんが山田洋次監督の映画に取り組んで感じたこととは?(撮影:長田慶)

北海道生まれのエンターテイナー、大泉洋。俳優、声優、歌手、バラエティータレント、そしてMCとして、多彩な才能を披露してきた。

地元の大学演劇サークルから始まり、1996年に出演した「水曜どうでしょう」でブレイク。“北海道のスター”としての地位を確立した後、全国区に進出。デビューから28年、さまざまな場面で観る人々を魅了している。

子どものころに寅さんのものまねをやって、大人たちを笑顔に変えた。その喜びに触れたことが、今に続く活動の原点だという大泉。その日々の中で、大泉が大事にしていることは何なのだろうか。

プレッシャーを解放して日常のように演じたい

「僕のキャリアの中で一貫しているのは、楽しんで仕事に取り組める環境を作ること。人を笑わせることももちろん好きですから、撮影の間もなるべくスタッフや共演者と話して現場を明るくすることも心がけます。役柄によっては自らを追い込むことも必要だと思いますが、できる限りプレッシャーを解放して日常のように演じたいと思ってます」

見ている側が気づけば笑顔になってしまうような、自然体でリラックスした雰囲気が魅力の大泉だが、日々「我慢」をするような場面はあまりないのだろうか。

「そんなに我慢しないところもあるけど、僕は周りを見てしまう人間でもある。なんか周りに合わせてしまったり、その場の空気を読んで振る舞っていることもあるかもしれない。それを我慢っていうほどじゃないのかもしれないけど、自分の趣くままにやっているというのとも違うだろうし……」


(撮影:長田慶)

「でもいちばんは、やっぱりあれかな。自分の思いどおりにいちばんならないのは」と大泉は、何かを思い出したかのように語りだした。

「やはり父親としての自分ですかね。 家庭の中は、いちばん思いどおりにならないですね(笑)。今は昔みたいに父親がいちばん偉い家庭なんてないじゃないですか。家庭の中ではいろんなことを我慢してんじゃないかな(笑)。仕事場ではいろいろ気を遣って貰える分、家では思いどおりにならないくらいが良いバランスなのかもしれませんね」と微笑んだ。

普段の家族でのエピソードにふれながら、大泉は今回取り組んだ映画での役柄に深く共感したことを語り出した。

体感した山田洋次監督のプロフェッショナリズム


映画『こんにちは、母さん』9月1日(金)公開 ©2023『こんにちは、母さん』製作委員会

2022年の秋、大泉は新たな挑戦をすることになった。それが、山田洋次監督の90本目の監督作『こんにちは、母さん』。悩みが多い現代社会での家族や親子の関係、そして彼らの深い感情を描き出している作品だ。

大泉にとって、映画の舞台である東京の下町は、ただの撮影地ではなかった。大泉が子どもの頃、ものまねをするほど心を奪われていた映画『男はつらいよ』のセットと瓜二つ。

「初めてセットに入った瞬間、『寅さんだ!』と。完璧に再現されていることに息を呑みました。その感動は僕だけ感じたものではなかったようで、そこにいたスタッフさんなどみんなが、下町のノスタルジックな雰囲気に引き込まれていました。初めての体験で、その感動は格別でした」

大泉にとっては、初めての山田組参加という大仕事。しかし、片思い的ではあったが、山田洋次監督作品にオマージュを捧げるようなドラマを作っていた。


(撮影:長田慶)

「昔、北海道でのレギュラー番組で自分たちでドラマ制作をする企画があって、当時は東京で俳優をやっている未来なんか思い描いてなくてね。その中で『山田家の人々』という自らの半生を基につづったホームドラマを作っていたんです」

山田監督作品に強く憧れた過去を持ちながら、初参加した山田組の現場。監督は91歳になっても、90本目の映画を作る中で、「不安や迷いがある」と話していたという。どれだけたくさんの映画を撮っても、その感情は変わらない。つねに最善を尽くそうとする山田監督の姿勢に大泉は深く感銘を受けたという。


©2023「こんにちは、母さん」製作委員会

「監督の『諦めの悪さ』や、つねに『もっと良くしたい』という強い思い。リテイク(撮り直し)が必要な場面でも、僕らに対して真摯に謝る姿など、そのプロフェッショナリズムを肌で感じました。

それから驚いたのは、山田監督の撮影が9時から17時までという計画的なスケジュールだったこと。時間を超えると、監督はスタッフやキャストに『みんなにも生活があるのに申し訳ない』と謝り、夕食を提供してくれるといった配慮をしてくれました。

こうした考え方は海外では一般的かもしれませんが、日本の撮影現場では長時間の作業が当たり前で、特に連続ドラマの撮影では役者の私生活が2、3カ月ほぼなくなることもあります。そんな中、山田監督の考え方はとても素晴らしいと思います。もちろんご自身の体調を考慮していることもあると思いますが、そうしたことも踏まえながらも諦めない姿勢に本物のプロ魂を感じましたね」

現代を生きるサラリーマンたちの葛藤と決断

『こんにちは、母さん』の台本を手にした瞬間、大泉の心には多くの感情が湧き上がった。令和の時代、絶えず変わる社会の中で、山田監督が伝えたかったメッセージは、普遍的な親子の愛の深さと絆だった。


大泉洋演じる昭夫と母・福江を演じる吉永小百合、娘・舞を演じる永野芽郁  ©2023『こんにちは、母さん』製作委員会

「台本に共感できる場面が多数描かれていて。特に、僕が演じる"昭夫"のキャラクターは多面的で、彼の生き様に共感する観客も多いように感じます。日々、会社で神経をすり減らす生活、そして家では妻から離婚を切り出され、大学生になった娘も冷たい。それらの日常、感情が非常にリアルに描かれている。

僕はサラリーマンではありませんが、職場でのさまざまなストレスや困難を経験しています。劇中の昭夫の姿は、多くの人々に共感を呼び起こすと確信しています」


大泉洋演じる昭夫と大学時代からの友人・木部を宮藤官九郎が演じる ©2023『こんにちは、母さん』製作委員会

映画の中で昭夫は、大きな決断をする。自らの同僚を守るために会社を辞めるという選択をするのだ。それは、現代の働き方の変化を象徴しているともいえる。令和の今、長く一つの会社に勤務するスタイルは当たり前ではなくなりつつある。

「昔ならば悲劇とも取られたであろう彼の選択ですが、自分が生き生きと働いていく環境を見つけるのかなとも思ったり。令和という時代の中では新しい扉を開く可能性があるのかもしれません」

大泉は今作の見所のひとつとして、吉永小百合さん演じる恋する母・福江の姿を挙げる。

「好きな人ができた母親の姿にハラハラする場面もあれば、最後は親子が前に進んでいこうとする姿に勇気づけられるようなところもあって……」

大泉にとっても吉永小百合は、芸能の世界で活動する一人として、ある意味、神話のような存在だったという。


©2023『こんにちは、母さん』製作委員会

ところが、撮影が進む中でその気持ちは変化した。彼女の母親としての存在感、母親らしさに触れる度に、本当の母親にしか思えなくなっていったという。これこそが大女優の凄味なのだと大泉は驚いたという。

1972年に公開された『男はつらいよ 柴又慕情』をはじめ、約50年間に渡って数々の山田洋次監督作品に出演し、日本映画界を共に牽引し続けてきた吉永小百合の魅力について、大泉はこう表現する。

「吉永さんの役者としての素晴らしさのひとつは、彼女が持つキャラクターを魅力的に演じきる力です。母親でありながら、恋に落ちる女性の役を、完璧に演じきっていたことに感銘を受けました。そして、その役をとても可愛らしく、キュートなキャラクターとしてまとめ上げる力には、大女優・吉永小百合であることを再認識させられました。とくに仕上がった作品全体を通して見たとき、改めてそれを思い知らされましたね」

大泉が感じる、世代をつなぐ責任と継承の価値

時は流れ、世代が交代する中で、過去の経験を未来につなぐ役目は誰にでも訪れる。大泉もまた、その重要な時を迎えていることを、今作を通じて実感していたようだ。

「50歳という節目に立ち、われわれの世代が見上げた偉大な先輩たち、山田監督や吉永小百合さんのような存在。お二人の背中には力があり、尊敬と学びを感じる。しかし、自分にはそのような背中を若い世代に見せる自信がない。目の前のことで精一杯です。ただ、……。若い人たちのためになることをしていかなきゃいけない年齢だし、“してあげたいな”っていう思いは芽生えています。 そういった意味では、山田監督とずっと昔から付き合っているスタッフの方に話を聞くと、『昔はこんなに若い人と話すことはなかった。もっと現場で気難しかった』っていうんですよ。

でも、今の山田監督は、自分の経験だったりをどんどん若い人たちに伝えていかなきゃいけないって思いがある。例えば現場にも、さまざまな人が見学に来るんです。僕ら役者にしてみたら、ちょっとやりにくい時もあるけれど、山田監督が若い世代に伝えていきたいことがあるんでしょうね。そういうところは僕もやっていかなきゃいけない年齢になってきてるとは思いますよね」

自身の経験を伝え、次の世代にバトンを渡すこと。世代をつなぐ大切な役割を、大泉洋はその背中でこれからますます見せてくれるのかもしれない。


(撮影:長田慶)

(池田 鉄平 : ライター・編集者)