スタンフォードの博士課程合格後に妊娠が発覚したアグネスさん。「妊娠していても、やれないことはないか」と留学しました。「大変」とわかりつつも挑戦した理由とは(写真:本人提供)

17歳で日本デビュー後、「ひなげしの花」で大ブレイクしたアグネス・チャンさん。トップアイドルとして活動しつつも、上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学に留学。子どもが生まれてからアメリカのスタンフォード大学博士課程で教育学博士号を取得するなど、学業にも力を入れていたことは有名です。

そんなアグネスさんが今までやってこられたのはお父さんの言葉があったからだという。著書『心に響いた人生50の言葉』の中から一部を紹介します。

6人きょうだいの4番目として育った

私は6人きょうだいです。いちばん上が兄、そして姉二人、弟二人です。母は中国の貴州生まれ。結婚して香港に移り住みました。父は香港生まれ。6人も子どもがいるし、親戚の面倒も見ていたので、とにかくいろいろな仕事をやっていたイメージがあります。独立して会社も作っていました。

私は6人きょうだいの4番目ということもあり、きょうだいの中ではいちばん存在感が薄かったと思います。立場が弱いので、何かあると私がいじめられる。子どもの頃はよく「泣き虫」と言われていました。そんな私を、父は一生懸命庇ってくれました。それがすごくうれしくて、私は父が大好きでした。私は完全なファザコンです(笑)。


6人きょうだいの4番目として育ったアグネスさん。前列左端(写真:『心に響いた人生50の言葉』)

中学の時にスカウトされたのですが、最初は父は大反対。その頃、すでに長姉はデビューをしていたのですが、姉はデビュー後あまり勉強をしなくなってしまったんです。父はそれが許せなかったようです。ですから、私はきちんと勉強すること、テストの点数は平均で80点以上取ることを条件に許してもらいました。

香港でデビューしたのが15歳。想像していた以上に売れてしまい、まだ中学生なのに「アグネス・チャン・ショー」というテレビの冠番組を持つようになります。その番組に作曲家の故・平尾昌晃先生がゲスト出演してくださったのを機に日本でのデビューも決まりました。

家族の生活は一変した

日本でのデビュー曲「ひなげしの花」も思いがけず大ヒットしました。ただ、それからはとにかく忙しくて。日本で半年仕事をしたら2カ月香港に帰って香港で仕事をする、という生活をしていました。

その頃、周りの人たちは私の価値を売れるか売れないかで見ていたように思います。ただ父だけは「何もしなくてもいい、アグネスはアグネスでいればいい」って言ってくれました。

父は寝る時間もないほど働いて、大人の都合に振り回されている私を見て心を痛めていたようでした。確かにお金もたくさん入ってきて、周りからは成功した家族のように見られていましたが、家族の生活は変わりました。

姉と母は私の仕事の内容でよく喧嘩をしていました。それが本当につらくて、よく私は泣いていました。父はそんな私を見て、「もうやめたほうがいい」とカナダに留学することを提案してくれたのです。父は口数が多いほうではなかったのですが、私の人生の大きな決断を後押ししてくれたのです。

そんな父は、私が21歳の時に病気で亡くなりました。ちょうど私がカナダに留学している最中でした。

厳しい時代を必死で生き抜き、私を無条件で愛してくれた父は私の花嫁姿を見ることもできずにこの世から去ってしまったのです。

葬儀が終わると、中国の風水により、生年月日が父と相性の良い子どもだけが埋葬に立ち会うことになりました。それが私と弟の二人でした。

棺が土の中に降ろされた瞬間、私は悲しみが大きすぎて、弟の手を握りしめ、天に届くほどの大声で泣きました。

父にはもう会えないんだ、と思うと心に大きな穴が空いたようでした。しばらくは途方に暮れて、まるで幽霊のように過ごしていました。

父からもらった“言葉”

しかし、残された母のためにも、そしてきょうだいのためにも立ち直らないといけないと気づいて、心の穴を埋めるために、父からもらった言葉を必死で思い出すようになりました。それがこの言葉です。この言葉はその後の私の人生の支えとなりました。

「迷ったら、いちばん難しい道を選びなさい」

私はもともと何事に対しても臆病な子どもでした。いつも自信がなく、極端な照れ屋でもありました。何をやるにも戸惑い、迷ってしまう癖がありました。

その性格を見抜いた父は、「やってみなさい」と言うのではなく、「やらないのは簡単、やるのは大変だよ。どうする?」と、ことあるごとに聞いてくれました。

そして、「迷ったら、いちばん難しい道を選びなさい」と言うのです。

「難しい道を選んだら失敗することもあるかもしれない。でも学ぶことは多いよ。もし成功したら喜びは大きいよ。ただしやらなければ喜びも少ないし、後悔するかもしれない」と言うのです。


スタンフォードに留学中のアグネスさん(写真:本人提供)

最初はいちばん難しい道は苦労も多いはずだし、やりたくない、と思うこともありました。でも父は「やってみればきっとわかるよ」と言うのです。

それからというもの、何かを選択する時には必ずこの言葉を思い出して決定をしています。大きい選択でも、日常の些細なことでも、この言葉を思い出すと、選択が明らかになるのです。

例えば、「今日は眠いから歯を磨きたくない」と思ったとします。

簡単かつラクな道は、そのまま寝ること。難しい道は、頑張って歯を磨くこと。

父の言葉を信じて難しい道を選んで歯を磨けばスッキリするし、いい気分になります。「よく頑張った」と自分の行動を褒めたくなります。

スタンフォード合格後に妊娠発覚

大きな決断の時にも使えます。

例えば、私がスタンフォードの博士課程に留学する時のことです。入学試験に合格した後に、次男を妊娠していることがわかったのです。

普通なら留学はやめようと思うと思います。でも、その時も父の言葉が浮かんできました。「難しい道を選びなさい」と。

そう考えると、「妊娠していても、やれないことはないか……」という気持ちになったのです。だからこそ大変、とわかりつつも、挑戦することになったのです。1989年に留学して、1994年に博士号を取得しました。その間に、長男を育て、次男を生み育てました。


スタンフォードの卒業式。1989年に留学して、1994年に博士号を取得。その間に、長男を育て、次男を生み育てた(写真:本人提供)

それをやり遂げた時の満足感は最高でした。

この経験は自分に大きな自信を与えてくれました。難しい道を選んで、本当に良かったと思いました。もしあの時、留学を諦めていたら、きっと次男を見るたびに「妊娠さえしなかったら私は留学できたのに」と思ってしまったかもしれません。それは絶対に嫌です。人のせいにしたくないのです。

どうしてもやりたいことがあれば、それが楽しそうで自分を高められるものであれば、厳しくても挑戦すべきだと思います。

人生は選択の連続です。賢い選択をすれば、人生は明るく、満たされます。

反対に悪い選択をし続けると、人生は乏しく、暗いものになります。それを選択するのは自分です。迷ったら難しい道を選びましょう。きっとそのほうが人生が有意義になるはずです。


(アグネス・チャン : 歌手・エッセイスト)