年末の「大掃除」でやっていた換気扇やエアコンの掃除を、汚れが落ちやすい夏に行うという人も多いのではないでしょうか? そんな風に大掃除のやり方も変化していっている中で、「大掃除自体を手放したらラクになりました」と話すのは、現在50代の整理収納コンサルタント・瀧本真奈美さん。大掃除を手放した理由と、それから5年たってみて感じたことを教えてもらいました。

50代、「大掃除」という概念を手放して5年で気づいたこと

近年では一気に行わず、分散させることも多くなった大掃除。あえて凍えそうな年末に行わず、春や夏にがんばる! という人も多いのではないでしょうか?

【写真】エアコン掃除で出た汚れ

1年分の汚れを一生懸命落とす大掃除は、体力的にも年々難しくなるものです。体力がない、時間がない、上手く進まない、と悩みが尽きることはありませんが、5年前、私はある事柄をきっかけに大掃除という概念を手放してみました。ここでは、その結果気づいたことをまとめてみます。

●1.そもそもの由来

記憶を辿ると子どもの頃、親に叱られながら大掃除の手伝いをがんばった記憶があります。そうして自分も親になったとき、子ども達を叱りながら、イライラした状態で大掃除をこなしていることに気づきました。

そんな風に当たり前のこととしてずっとがんばってきた「大掃除」のルーツは、じつは宮中の行事だったとか。新年の行事である年神祭の準備として、江戸城などでは12月13日に行うものと定められていたそうです(諸説あり)。

それがいつしか一般家庭にも広まったというのが由来で、もしするとどこかのだれかが「家でもまねしてみよう」くらいの軽いノリだったのかもしれないな、と思わずにはいられません。

●2.本当に大切なことはなにかを考えてみた

ちょうど5年前に大掃除という概念を手放したのは、知人が掃除をしてくれない家族へのストレスで爆発しそうになっているのを見たからです。

“新年までになんとか家じゅうをきれいにしないと”という思い込みから、自分も家族も追い込み険悪なムードで新年を迎える、という様子はまさに、自分が子どもの頃から経験してきた、とても残念なものでした。。

年神様は、人々に新年の幸せを与えるための神様とされています。そんな神様を迎える前に、大掃除のことでケンカをしてストレスをため、幸せとは真逆の最悪の状態でお正月を迎えること自体が、非常に無意味だと気づいたのです。

家がピカピカになることに固執するよりも、不要なケンカをやめて笑顔がいっぱいの状態で迎える新年の方がよいという考えに至り、年末の大掃除はもちろんのこと、大掃除という概念も手放しました。

●3.収納を整えれば、キレイは保てる

ものが増えてくると真っ先に疎かになるのが掃除です。床にものがたくさんある、奥まで掃除機が届かない、そもそも掃除機をかけるスペースがないなどで、まずは片づけてから! となると、掃除はどんどんあと回しになっていきます。

このように、収納と掃除はセットのようなもの。なので、ものをある程度の量にして、すっきり片づけておくことさえできれば、日々の掃除は簡単になり汚れをため込んでしまうこともありません。大掃除不要でも、すっきり暮らせています。

●4.できない部分は頼る

とは言え、エアコンの中、換気扇の中、庭の掃除などは、収納に関係なく汚れがたまってしまい、自分で掃除するのはなかなかハードルが高いもの。

これらは、専門の業者に頼るなどで無理なくキレイを保つようにしています。また窓掃除は、掃除ロボットのレンタルなどで対応。いずれも年末の時期には固執せず、料金が少し割引されている時期などを見計らって依頼しています。

●5.大掃除をしなくなって5年経ったけれど

これまでの過去を振り返っても、大掃除をしたからその次の年はすごく幸せだった、逆にしなかったからものすごく不幸だった、という印象はありません。

大掃除を手放し5年たって思うのは、当たり前に固執するあまりストレスが生じていたということ。逆に思い込みを手放してみると、想像以上に気楽に生きられているということ。

もちろん大掃除自体を否定するつもりはありませんが、他人に強要して、家庭内が険悪なムードになるほどにはしなくていいのではないか、というのが今思うことです。

気温が高く、汚れが落ちやすい夏の時季の大掃除も人気になって来ているので、手放してみた理由と感想をご紹介しました。時代が流れ、大掃除が誕生した頃とはいろんなことが変わっていると思います。多くの人がストレスを感じるのであれば、大掃除という言葉ややり方自体も変化するといいのになと思っています。