さて、コンクールデレガンスの各クラスとそのウィナーをまとめてみると以下のようになる。

ラ・ドルチェ・ヴィータ賞 - ランチア・フラミニアGTコンバーチブル・ツーリング(1967年)
ピース&ラブ・クラス - マトラ530 LX (1972)

セックス・オン・ザ・ビーチ・クラス - ガット・プーマ・デューン・バギー(1976年)

フェラーリ・トリビュート・トゥ・ルマン2023クラス:フェラーリ365GTB/4デイトナ(1970年)

ポルシェ75周年記念クラス - ポルシェ911ターボ(1980年)

SUPERCARクラス:ビッザリーニ 5300 アメリカ(1968年)

ラリークイーンクラス:ランチア037プロトタイプ(1981年)

サムシング・スペシャル・クラス - キメラEVO37マルティーニ(2022年)

ベスト・オブ・ショーを獲得したのは1953年フェラーリ340MM(s/n0294AM)であった。コレクターのロベルト・クリッパがサルデーニャに持ち込んだスカリエッティのボディワークを持った美しい個体だ。1953年のミッレミリアに参戦したスクーデリア・フェラーリのワークスカーであり、ルイジ・ヴィロレーシがステアリングを握り、マイク・ホーソーンがシルバーストーンでツーリスト・トロフィーを獲得したという珠玉のヒストリーを持つ。フェラーリに詳しい方なら、このボディスタイルにあれっ?と思われるかもしれない。そう、340MMはピニンファリーナのベルリネッタとトゥーリング、ヴィニヤーレのスパイダーしか存在せず、スカリエッティ製ボディは採用されていなかったはずだ。この個体のヒストリーはスペシャリストにより詳しく分析されており、以下の事実がわかってい。つまり、当初はトゥーリング製のボディが懸架されていたが、レースのアクシデントによりフロント部が大破。車両はフェラーリが引き取り、マラネッロで完全に修復された。その時にボディはスカリエッティ製のモンツァ仕様へとコンバートされたというワケだ。ちなみにその後、北米のインポーターのオーナーであったルイジ・キネッティのプライベートカーとしてしばらくの間、北米に保管されたという。 

このレースにおける素晴らしいヒストリーとオフィシャルとしてファクトリーでボディをコンバートされたというストーリー、それらの希少性に加えて、適切なレストレーションが行われたオリジナリティの高さから、満場一致でベスト・オブ・ショーに選考された。この素晴らしい個体が迫力あるエグゾーストノートを響かせながらVWタイプ2と併走するなどという興味深いシーンをポルトクアトゥ・クラシックの参加者は満喫したのだった。

例によって遅い時間から始まるディナーに引き続いて、深夜のパレードランと表彰式が行われ、主宰のシモーネ・ベルトレロとミッレミリアのコメンテーターとしても有名なサヴィーナ嬢の掛け合いで楽しく進行していく。興奮冷めやらないとはいえ、もう時刻はまもなく午前4時だ。さて、明日の朝のフライトでオルビア空港を発つ筆者としたらどうしたものであろうか。

文:越湖信一 写真:越湖信一、Poltu Quatu Classic
Words: Shinichi EKKO Photography: Shinichi EKKO, Poltu Quatu Classic