日本では6割の夫婦が陥ると言われるセックスレス。「田舎なので近所にそういうお店もないし、夫はどう処理しているんだろう」と語るのは、幼少期にかかった麻疹が原因で1型糖尿病と戦い続ける主婦の亜子さん(仮名・46歳)です。キャリアが長いほどコントロールが難しくなるという持病を抱えながらの夫婦生活を赤裸々に語っていただきました。

1型糖尿病の妻「普通の人より死にやすいよ、私」

私には、1型糖尿病という持病があります。きっかけは3歳のときに感染した麻疹でした。自己免疫が自分の膵臓の細胞を壊し、インスリンが枯渇してしまうのです。当時はまだワクチンの定期接種すら始まっておらず。もちろん、ほかのウイルスでも同じようなケースが起こり得るのですが、私の場合は麻疹感染が原因となり、運悪く発病してしまったのです。

●常に「死」と隣り合わせだった人生

子どもの頃からずっと運動と食事のバランスを考え、インスリンの注射を打ちながらの生活を送っています。普通の人でも起こりうる低血糖ですが、1型糖尿病の私にとっては生命維持活動が停止するほど深刻なもの。脱力感に襲われたり、滝のような汗をかいたり、急に頭がぼーっとして、ろれつがまわらなくなってしまうこともあります。

すーっと体が冷えていく感覚に襲われると、もうこのまま死ぬのかなと恐怖を感じるレベルです。私の場合は、自律神経もやられてしまっているので、無自覚に低血糖が起きてしまうことがあるのが怖いところ。

低血糖による不調が、平均で月に3回くらいは起きるような人生だったので、学校の先生や友達はもちろん、親はもう過保護すぎるくらいに私の体調管理に神経を尖らせている状況でした。

そんな私の人生を悲観することもなく、初めてフラットに接してくれたのが夫です。

●「病気というより個性のひとつ」と夫

出会いは、大学時代の落語研究会のサークル活動。みんな笑うのが大好きな人ばかりで居心地のいいサークルでした。初対面のときに、何気ないおしゃべりのなかですぐに病気の話をしたのですが、そのとき「へぇ、そんなに小さい頃からなんだ。病気というより、亜子ちゃんの特性とか個性みたいなものだよね」と言ってくれたのです。

「かわいそう」とか「大変だね」という言葉には慣れっこでしたが、“特性”や“個性”と捉えてこの病気に向き合ってくれた人は今までいなかったので、19歳だった私にとってはすごく新鮮でした。

「ノート見せてよ」くらいの軽いノリで「低血糖がもし起きたときの、対処の仕方教えて」とすごい明るいテンションでいろいろ聞いてくれたので、彼が私の生活の一部として欠かせない存在になるまでに時間はかかりませんでした。

●全部理解したうえで、結ばれた二人

つき合うときも、プロポーズのときも「普通の人より、死にやすいよ」と不安ばかりこぼす私でしたが、夫はそんなのどこ吹く風。「わかってるよ、それでも一緒にいたい」と言ってくれました。

こうして長くゆっくりな交際を経て、25歳のときに結婚。夫にめぐり会えたことは、自分の持っている運を全部使い果たしてしまったかと思うくらい、ラッキーなことでした。1型糖尿病になってしまって苦労をした分、神様が良縁を繋いでくれたのかなと思えるほど。

結婚して親元を離れてから、夫と共に自分の足で人生を歩めるうれしさを日々実感しています。けれど夫婦生活の場面では、やはり低血糖との闘いになってしまって…。

●行為の最中にも死にそうになる

1型糖尿病の患者の中には、運動したことで心臓発作や脳溢血になってしまう人もいるんです。運動量なら自分である程度コントロールできますが、夫婦生活はみんなどうしているんだろうと疑問に思ってはいました。ですが、そういう話を聞ける人もいなくて。

新婚当時、夫と週に2、3回くらい夫婦生活をとっていたのですが、している最中に、いきなり変な風に意識が飛んでしまいそうになることがたびたび発生。快感とは違うおかしな状態になって慌てて「やばい、低血糖かも…、死んじゃいそう」というと、夫はいつも即座に中止して、猛ダッシュで血糖値を計る機械を取りに行ってくれました。

速やかに血糖値を上げるためのジュースを用意してくれるのは、ありがたいけれど申し訳ない気持ちにもなりました。せっかくいいムードだったのに。こんな風に、最後までできないことがちょいちょい起きてしまいました。

●レスのきっかけは夫の転職だった

そんな結婚3年目のときです。夫がヘッドハンティングをされて転職をすることに。いずれ子どもを授かったときの場合や自分たちの老後のことなどを考えると、年収を上げておくことには賛成だったのですが、思っていた以上の激務が待っていました。

そして、長期出張もしばしば入るように。会えない時間が長くなり、一緒にいられるタイミングだからといって、パッと夫婦生活の時間を取ることもできなくなってしまいました。急にというより、じわじわとレスになっていったのです。

一方、私はソーシャルワーカーとして働き始めていました。そこでは性被害にあった女性たちの支援をメインで行っていたのですが、夫婦生活の在り方についても、自分のなかで考えさせられることが増えていきました。次回はそのお話を詳しくしたいと思います。