甲州街道改札やバスタ新宿を中心とする新南口側のターミナルビル(筆者撮影)

JR東日本各駅の2022年度の1日平均乗車人員が発表され、1位は当然のように新宿駅となった。定期券客30万9367人、定期券外客29万3190人、合計60万2558人で、対2021年度比15.4%の増加である。通勤などで使う定期券客と、中央東線方面などへの特急利用者や休日に繁華街を訪れる人などが含まれる定期券外客が、ほぼ半々となっているのが新宿駅の特徴だ。

町外れの閑散とした土地が一変

新型コロナウイルス感染症の流行が落ち着きを見せてきたため、定期券外客は2021年度の23万1486人から2022年度は29万3190人と大きく数を回復させている。鉄道の一大ジャンクションであると同時に、新宿そのものが「人を引きつける街」である証拠と言えるだろう。

1885年に開業した時、町外れの閑散とした土地に作られ客も数えるほどだった新宿駅が138年を経て、このような大ターミナルへ成長するとは、当時は誰も予想できなかったに違いない。

とくに駅名の由来である内藤新宿とは反対になる西口側は、家電量販店に名を残す「淀橋」と呼ばれる農村地帯で、浄水場(現在の新宿副都心)や専売局(現在のJT)の工場が目立った程度だった。いずれも広大な土地が取得可能であったからこそ建てられた施設だ。

それが変わり始めたのが、私鉄の乗り入れにより乗換駅として機能し始めた頃から。開業当時、山手線を建設した日本鉄道は現在の東口(ルミネエスト新宿付近)に駅舎を建て、1906年に改良工事が行われた際には、これを甲州街道に面した現在の東南口付近へ移した。その駅舎前にまず1915年に停留場を設けたのが京王電気軌道(現在の京王電鉄)だ。甲州街道を走る併用軌道上の駅であった。

1927年には小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)が西口側にターミナル駅を構えた。京王線が新宿追分から現在地へターミナルを移したのは、小田急ともども東京急行電鉄に強制合併させられていた、太平洋戦争末期の1945年である。戦後はそれぞれにデパートを構え、商業施設を整備。西口側の発展に貢献した。


地下にある新宿駅西口広場(筆者撮影)

西口の地下広場が完成したのは1966年。淀橋浄水場跡地の再開発により誕生したビル街や、各デパート、そして各線の乗り場を結ぶルートが交錯するところとして、さまざまな歴史的な騒乱事件の現場ともなりつつ、新宿駅の一つのイメージを形作ってきた。1991年には東京都庁が丸の内から移転してきて、新宿こそ東京の中心地としての地位も確立している。

再開発計画が進行中の西口側

その西口も今、小田急百貨店新宿店本館だった建物の建て替えを中心とする再開発工事が進んでおり、また姿を変えようとしている。京王新宿駅の上から甲州街道を挟んで南側でも、京王電鉄とJR東日本が共同で再開発計画を進めている。こうした変化については、さまざまに紹介されているが、基本はほかと変わりなく既存の建物の高層化による有効面積の拡大である。

コロナ禍とリモートワーク一般化による利用客減少に見舞われ、名古屋などでは再開発計画の見直しといった事態も発生している中、東京、新宿だけは違うとばかりに、これらの計画は推進中だ。さらには歩行者空間としての西口広場、東口広場の整備、駅上空を通り東西を結ぶ歩行者デッキの建設も構想されており、新宿駅周辺エリアのポテンシャルはまだ高そうである。


小田急百貨店新宿店本館だった建物は解体工事中(筆者撮影)

2000年に始まった甲州街道跨線橋の架け替え工事により先に整備された新南口や、2016年開業のバスタ新宿方面では、歩行者空間が拡大され、従来の錯綜した動線や乗車待ちタクシー、各所に分散したバス乗り場などのよる道路上の混雑も大きく改善。山手線の線路を挟んだ新宿サザンテラスやバスタ新宿南側のSuicaのペンギン広場、タカシマヤ タイムズスクエアなどを結んだルートが整えられ、新宿に新しいにぎわいが生まれている。

ただ、これらのエリアと、現在の西口側のエリアを結ぶルートは、今後の整備待ちといったところ。今は地上の歩道は決して広くはなく、地下街の小田急エース南館や京王モールを通らないと動きづらい。甲州街道の横断もネックだ。西口の再開発によって、これらの改善を期待したい。


バスタ新宿前の拡幅された歩道とJR新宿駅南口駅舎(筆者撮影)

東南口側は、新宿三丁目駅付近にかけて、数多くの飲食店が集まる少々雑然とした繁華街になっている。新宿駅の東南口広場(新宿さくらスクエア)も手狭な感じだ。JR東日本には甲州街道改札や新南改札などがあるものの、東南口からタカシマヤ タイムズスクエア方面へのアクセスも、今ひとつの感がある。

今後は、この辺りの整備が着目されるだろう。ただ池袋でもそうであるが、無機質な再開発は歓迎されまい。ただでさえ新陳代謝が激しい新宿だが、西口側の新宿郵便局周辺とともに、昔ながらの町が残ってほしいエリアだ。そして何より「歩く街」としての繁華街を重く見るべきだろう。


東南口広場は新宿さくらスクエアと愛称が付けられた(筆者撮影)


東南口側にある繁華街の新宿武蔵野通り(筆者撮影)

南側へ広がっているのは駅周辺の街だけではない。新宿駅そのものも、1986年の埼京線開業にともなって現在の1・2番線ホームが新設されてより、旧貨物駅用地も利用する形で南へと広がってきた。現在、1〜4番線には埼京線、湘南新宿ラインが盛んに発着しているが、位置的には山手線や中央線のホームよりかなり南へずれている。北側の最寄り改札口は中央東改札、中央西改札だから東西自由通路方面へ出ようと思うと少々面食らう。

5・6番線ホームはさらに南にずれており、ホーム南端のすぐ目の前には隣駅代々木のホームがある。北端は甲州街道改札の真下付近だ。2003年に新設されたホームで、2008年3月15日ダイヤ改正以降は、成田エクスプレスや東武鉄道日光・鬼怒川温泉直通特急、東海道本線方面への特急などの専用ホームとして使われている。常に混雑している新宿駅の中で、もっとも列車が発着する頻度が低いホームである。

新宿駅にはまだ余力がある

コロナ禍前、忘年会シーズンの埼京線の大宮方面行き最終列車を取材した経験があるが、3・4番線ホームにはこぼれ落ちんばかりの客が集まり、少々危険な状態であった。それに対し、5・6番線ホームは照明も落とされて無人。臨時列車も増発されている状況で活用されていないのはもったいないと感じた。


線路上に建設された新南口と山手線。右端に5・6番線ホームが見える(筆者撮影)

現在は利用客減少から回復しつつある状況だが、いずれ以前の盛況に戻るよう、JR東日本は期待している。その際に、手持ちの設備を活用するなら、この5・6番線ホームに一部の通勤列車を発着させて混雑緩和を図る方法もあるだろう。新宿駅にはまだ余力がありそうなのだ。


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(土屋 武之 : 鉄道ジャーナリスト)