「料理人」という夢でスラムを解放する。森田隼人シェフがナイジェリアで始める終わりなき挑戦

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「ナイジェリアで『料理人』という職業を確立させる」

2023年のチャレンジとしてそう語るのは、六花界グループのオーナー兼シェフである森田隼人さん。Rettyでは「焼肉」「日本酒」カテゴリを盛り上げるTOP USER PROとしてもご活躍されています。

森田さんはこれまでにもさまざまなプロジェクトにチャレンジし、成し遂げてきました。ロシアを移動しながら酒造りを行い、アートとして価値ある日本酒を生み出した「旅する日本酒」。和牛と日本縦断の旅をして命の価値を示した「旅スル和牛」。どちらも、あるべきはずの「価値」を見出すためのチャレンジだったように思います。

そして、今回私たちが耳にしたのがナイジェリアでのプロジェクト。なぜナイジェリアなのか、なぜ料理人なのか、なぜそれを森田さんがやるのか。疑問ばかりを浮かべながら、ご本人に話を伺いました。

ナイジェリアには「料理人」がいない

そもそもナイジェリアとはどんな国なのか。人口は日本の約1.8倍の2億2,218万人(2023年4月推計 出典:IMF - World Economic Outlook Databases)。アフリカ州最大規模の人口で、世界有数の産油国。しかし、国内では貧困に苦しむ人が多いといいます。

「ナイジェリアには深刻な貧富の差があります。全人口のたった0.5%の富裕層が、国内の富の80%を有している。ほとんどの国民は貧困層で、しかもその富はオイルマネーや政治的な流用も多く、簡単にはひっくり返らない。

ナイジェリアの人たちが貧困を抜け出すための方法は、主に3つしかありません。アーティスト、ミュージシャン、サッカーをはじめとしたスポーツ選手。でも、どれも才能が必要とされる職業で、誰もが目指せるものではないですよね。

だから、ナイジェリアで『料理人』という職業の価値をつくって、新たな貧困を抜け出す選択肢のひとつにしようと決めたんです」

ごく限られた一部のエリア以外にはレストランもなく、いわゆる「料理人」という職業がナイジェリアには存在しないと、森田さんは言います。ない価値をつくる、そんなことが可能なのでしょうか。

「じつはさっそくゴールデンウィークに現地へ行ったのですが、現地で料理を振る舞ったあとに子どもたちから『ハヤトコール』をもらったんです。ハヤト、ハヤトって飛び跳ねながら……。その景色を目で見て耳で聞いて、確信しました。彼らが料理人という夢を持って、実現して、自分や家族を幸せにする未来がつくれるはずだと。

それこそ料理人という職業が『ハヤト』と呼ばれるくらい、現地の人の考えや文化を変えたいです」

ゴールの見えない永続的な挑戦に駆り立てられた

コロナ禍、森田さんは周りの飲食店や一次産業に関わる方々が苦しんでいる様子を、嫌というほど見てきました。中には命を落とした方もいました。この体験から、森田さんはこれまで以上に「自分の命の使い方」と真剣に向き合うことになります。

「過去のチャレンジはゴールが見えるものでしたが、今回はゴールの見えないチャレンジです。自分の命を賭し、永続的に取り組めることを探して辿り着いた答えでした。

また、僕にしかできないことを模索した結果でもあります。というのも、コロナが落ち着いて活気を取り戻した国々から、『出店しないか』『イベントに来てくれないか』といったオファーが今多数来ているんです。料理人のニーズがものすごく高い。でも、それって僕じゃなくてもいいんですよ。

じゃあ、僕にしかできないことってなんだろうと考えた時に、ニーズのないところにニーズをつくりにいくことなんじゃないかなと思い至りました。ナイジェリアから呼ばれたわけじゃない。日本人の料理人も多分一人もいない。だから、僕がやる価値がある」

建築家、公務員、プロボクサーと、さまざまな職業を経て、天職となる「料理人」に出会った森田さんだからこそ、この職業の可能性や魅力を伝えられるのかもしれません。

水上のスラム「マココ」にレストランをつくる

今回のチャレンジの第一歩は、ゴールデンウィークにナイジェリアへわたり、現地の方々に料理を振る舞うことでした。

開催場所として森田さんが目を留めたのは、ナイジェリア最大の商業都市ラゴスにある”水上のスラム” マココ。水路の上に住居が立ち、推定20万人以上いるとも言われる住民はカヌーで行き交います。マココはその存在を「公」には認知されていないエリアで、行政サービスが行き届いておらず、水道・電気などのインフラも脆弱です。

「生水は不衛生なので基本的に使えません。そして、1日の半分は停電しているような場所なので、冷蔵庫もありません。ガスはちょっとした火元がひとつだけ。かなり制約のある中ですが、日本から持って行ったおうどんと牛肉、現地のスパイスで料理をしました。

湯がいた和牛のほほ肉をスパイスで味付けしてうどんの上に載せました。向こうには生のヌードルというものがないので、みんなすごく感動してくれたようです」

マココでのイベント以外にもさまざまな場所で料理を振る舞い、現地の方々と交流を深めた森田さん。これからどのように料理人という夢をナイジェリアへもたらしていくのでしょうか。

「マココに水上レストランをつくります。そこでナイジェリアのシグネチャー・ディッシュと呼べるメニューをつくりたいですね。ひとつは今回のイベントで提供したようなおうどん。もうひとつは牛肉を薄くたたいて油で揚げるクリスピーな肉料理がいいんじゃないかなと思っています。

というのも、現地の人が安心して食べられるのは生水を使わない料理ですから、衛生環境が整うまでは煮込みと揚げ物がいいんですね。『怖いと美味しくない』んですよ。信用はうまみに直結します」

10年後には僕らが育てた料理人がレストランを開いている

まず食事に来てほしいのはマココに住む人たちだと、森田さんは言います。もちろん、そこで雇用するのも現地の人です。

「マココにはレストランが一軒もありません。みんな外食というものをしたことがないんです。そこにはじめてレストランができる。日本人が始めたらしい。しかも、お店を手伝うと安く食べられたりとかする。そうやってマココ内で噂が広がっていく。

そして、その情報がSNSやメディアで広がっていけば、世界中のバックパッカーやNGOの方も来るようになるかもしれない。劣悪な環境の中、しっかり衛生管理をしたレストランがあるぞと。水上で、電気が通っている時間帯だけ営業しているレストラン。賑わいが生まれれば、もしかしたら宿泊施設が立つようになるかもしれません。最終的には意外とリゾート地になったりして」

もちろんそう簡単にいく話ではありません。利権が絡む、政治的な問題も起こるかもしれない。それでも、さまざまな課題を突破してみんなに喜んでもらえるような未来を作れたらいいと語る森田さんの表情は明るく輝いています。

「そもそも今回ナイジェリアにいくこと自体大変でした。ビザは取得が困難ですし、そこからさらにマココへ入るのにも危険が伴いますから。ですが、日本の友人たちやナイジェリアに住む日本人の方々の協力を得て、なんとか辿り着くことができました。これから目の前にする壁も、ひとつずつ乗り越えられるはずです」

最終的にナイジェリアに住む日本人の3分の1と知り合い、マココのトップとされる方ともつながっていった森田さん。

「人とのつながり」はこれまでの森田さんの活動にも見て取れます。森田さんが経営するお店はコロナ禍でも客足が途絶えず、手掛ける畜産業も影響を受けることはありませんでした。それも人とのつながりとチャレンジの気持ちを大切にしてきたからこそ。

「仲間」と「チャレンジ」は、森田さんとは切っても切り離せないテーマなのかもしれません。

「次は9月にロイヤルファミリー(王族)の生誕祭のオーナーシェフを務めさせていただくことになりました。まだまだチャレンジは始まったばかりだし、1〜2年でどうこうできるものだとも思っていません。でも、5年後にはこの取り組みが世界中に伝わっていて、10年後には僕らが育てた料理人が新しいレストランを開いている。そんな景色を願っています」