退役のJA701J、ファンが米国まで見送り JAL初の「フェリー便に乗れるツアー」
日本航空(JAL)は5月16日、退役するボーイング777-200ER(機体記号:JA701J)を売却先の米国に輸送するフェリーフライトに搭乗できるチャーターツアーを実施した。
JA701Jは2002年7月11日に受領した機体で、8月1日に運航を開始。当初は短・中距離国際線に投入され、2021年以降は国内線に転用された。エアバスA350-900型機への置き換えが進み、今年3月31日の沖縄/那覇〜東京/羽田線のJL922便で運航を終了した。飛行回数は1万6,790サイクル、総フライト時間は6万4,266時間だった。
チャーターツアーは、羽田空港から米国カリフォルニア州に運航されるフェリーフライトに搭乗できるというもので、47名が参加した。前述の通りJA701Jは2021年以降、活躍の場を国内線に移しているため、久々かつ最後の国際線営業運航復帰となった。機体は最終的に“飛行機の墓場”と呼ばれるビクタービルのサザンカリフォルニア・ロジスティックス空港に向かうが、同空港には旅客施設がないことから、参加者はロサンゼルスまで搭乗した。
羽田空港の出発ゲートには777を担当する整備士が登場し、JA701Jとの思い出話を披露した。旅客便としての活躍の場を失ったコロナ禍初期は、ノーパックス(貨物専用)便として運航されていたJA701J。JALエンジニアリング羽田航空機整備センター 機体点検整備部の和田雅洋課長はその間、搭乗整備士としてほぼ毎日JA701Jと飛んだという。「機体ごとに固有のクセがあるが、JA701Jは中距離くらいのレンジが得意で中国便によく使われていた。安定性があり、頼もしい飛行機だった」と振り返った。
▲JA701Jとの思い出話を披露した和田雅洋さん(中央)チャーター便は、普段は旅客便が使用することのない格納庫前の213番スポットから出発。搭乗前には左側のエンジンカウルに寄せ書きをする時間が設けられ、参加者はJA701Jへのメッセージなどを書き込んだ。
飛行中の機内では運航乗務員によるフライト解説や、運航管理者のトークショーが行われた。航空機の位置情報を提供するサービス「RadarBox」によると、チャーター便はサンフランシスコ付近から北米大陸に入り、通常よりも低い高度を飛行してカリフォルニアを遊覧。サザンカリフォルニア・ロジスティックス空港を2回ローパスしてからロサンゼルスに到着した。
▲チャーター便の飛行経路(RadarBoxより)このチャーターイベントは、フェリーフライトの運航乗務員手配を担当する業務企画職の若手社員が提案。約1年かけて準備を進めたという。機内でフライト解説を担当した777運航乗員部の会田雄吾副操縦士は、「売却機は通常の通関手続きと異なるため、ベースから変える必要があった」と実現までに多くのハードルがあったことを明かした。特にビクタービルでのローパスは、米国側の管制当局との調整を経て実現できたという。
▲出発前に参加者にあいさつする会田雄吾副操縦士(右から二人目)と、イベントに携わった運航管理者らなおRadarBoxによると、JA701Jはその後、現地時間5月18日午前9時28分にロサンゼルスを出発し、同10時1分にサザンカリフォルニア・ロジスティックス空港に到着している。
JA701Jの離日により、JALの777-200ERはJA703Jの1機が残るのみとなった。JALによると今後の運用については未定だが、遅くとも9月までには運用を離脱し売却されることが決まっている。
▲左側のエンジンカウルにメッセージを書き込む参加者▲特別デザインのヘッドレストカバーが用意された客室内(JAL提供)▲長距離国際線機材には磁石が示す方向と実際の方角との誤差(磁気偏角)を修正する装置が搭載されているが、JA701Jは短・中距離国際線機材のためこの装置がなく、ETOPS代替空港としてアンカレッジを選択できない。そのため、ミッドウェー島やホノルルに近い南側のルートでロサンゼルスまで飛行した▲参加者に配られた記念品。キーホルダーは777-200ERに使われていた窓をアップサイクルし、JALエンジニアリングの整備士が手作りした▲参加者に配られた搭乗証明書や「旅のしおり」