斉藤慶子

 ヨーロッパの洋館を思わせる瀟洒な佇まいの「レストラン マダム・トキ」。1978年に開店すると、多くの著名人が本格フレンチの味を楽しみ、松本幸四郎(現・松本白鸚)が主演したドラマ『王様のレストラン』(1995年、フジテレビ)などドラマのロケ地としても使われてきた。

 斉藤慶子は「久しぶりなので、とても懐かしいです」と重厚なドアを開けて店内に入り、案内された個室でアンティークの椅子に腰を下ろした。

「九段にこちらのマダムのご主人が経営していた『ラ・コロンバ』というイタリアンがあり、若いころはそちらで楽しい時間を過ごさせていただきました。

 芸能界の若い方々も多く華やかなお店でしたが、再開発で閉店することになり、こちらに伺いました。お客様のテーブルをしなやかに、泳ぐようにまわり挨拶をするマダムの姿はとても印象的でした」

■夢だった “飛行機” が縁でモデルに

 学生時代に斉藤が抱いていた夢は、キャビンアテンダントになることだった。

「実家の近くは学習塾がないので、学校の先生からは『風呂に入る時間も惜しめ』と1週間に50時間くらい自宅学習をさせられました。熊本大学教育学部に入学したときは『これでゴールだ』と思ったほどです」

 ドラマ『アテンションプリーズ』(1970〜1971年、TBS)で主演を務めた紀比呂子さんのようになりたいと思っていた斉藤だったが、大学に入学して間もなく芸能界へ飛び立つことになる。

「熊本に『鶴屋百貨店』という大きなデパートがあり、遊びに行ったら百貨店のスタッフさんから『モデルのアルバイトをしませんか』と声をかけられたんです。新聞の折込み広告などのモデルです。楽しそうなのでお受けしたら秋のキャンペーン用のCM撮影を東京の新宿でやることになり、上京しました」

 この撮影でヘアメイクを担当した女性が、斉藤のスナップ写真を芸能プロダクション関係者に見せた……。

「熊本に帰って間もなく『夏休み、気軽にオーディションを受けに東京に来ませんか?』と連絡があったんです。

 東京では何がなんだかわからないうちにいろいろなオーディションを受けさせられました。結果は全部、落ちました」

 だが、東京観光を楽しみ、熊本へ帰った斉藤に再び「東京へ来てくれませんか」と連絡が入った。

「JALの沖縄キャンペーンガールに決まった方が、決定前に全国版の広告などのお仕事をしていたため『未経験』という条件に引っかかり、最終組10名でオーディションをやり直すことになったんです。

 それで私が選ばれました。このときも、何がなんだかわからないという感じでした」

 撮影は月に1回、沖縄・オクマビーチでおこなわれた。斉藤の小麦色をした健康的な素肌が、すぐに話題になった。

「私より以前の方は全身にファンデーションを塗って日焼け肌にしていたそうです。

 だけど水着がズレて色ムラができてしまうため、私はメイクさんと撮影の3日前にオクマ入りして、ビルの屋上で本物の日焼けをしました。私、日焼けしやすい肌なんです」

 熊本大学の3学年先輩に「ミノルタ」のCMでブレイクした宮崎美子がいる。それに続くCM出演は話題になったのではないだろうか。

「それが、JALは当時熊本空港に飛んでいなかったんです。私が『日本航空』と言っても『日通航空?』とか友達に言われてしまって(笑)」

 こうして芸能界の仕事が増えていった斉藤は、1982年に火曜サスペンス劇場『名無しの探偵 愛の失踪』(日本テレビ)でテレビドラマに初出演した。

「JALがスポンサーだったので出演させていただけた感じです。緒形拳さんが主演で、私は沖縄の空港で働くグランドホステス役。緒形さんが『○○行きのチケットある?』と私に聞いて、私は『少々、お待ちください』と答え、再度振り返ったら緒形さんはすでに走り去っていたというシーンでした。

 かとうかず子さんも出演されていて、休憩時間に『女優のお仕事は大変ですか? 楽しいですか?』と伺ったら『まあまあね』とチャーミングにお答えになったのが印象的でした」

 同年には『もの想いシーズン』で歌手デビュー。翌年には『いとしのラハイナ』で初の映画出演。さらにはラジオ番組『ミスDJリクエストパレード』(文化放送)で1年間のレギュラーパーソナリティも務めた。

「よく『演技の勉強をしていなかったのに大丈夫でしたか?』と聞かれますが、演技は現場で勉強しました。

 逆にいろいろなことが新鮮でした。ドラマも放送順に撮影していくものだと思っていたらバラバラですし、それと幸いにも “いじめ” にあわなかったので」と笑う。

 しかし、忙しさから大学との両立が難しくなってしまう。

「3年生までは単位を落としても進級できましたが、さすがに4年進級時に留年。翌年には同級生が卒業しますから『知っている友達がいなくなるんだな』と思い、退学を決めました。でも、2017年には慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科に入学して再び学生になったんですけどね」

 女優の仕事を続けるうちに、演じることが「楽しさ」から「怖さ」に変わっていったという。

「演技には『正解』がなく、1+1=2ではなく無限に答えがあるということに気づいてしまったんです。それからはずっと(演技に)自信がありません。特に普通の生活を演じるときが難しいんです。その人(役)の “らしさ” をどう出したらいいのか。たとえばお風呂上がりのシーンで『いつもの私ならこうするけど、この人はどうするだろう』と台本に書いていないところまで考えると、本当に悩んでしまいます。

 だけど弁護士だったり医師だったり、『別の誰かになれる』という楽しさは代え難いですね。制服も好きですし(笑)」

 JALのキャンペーンガールになってから40年が過ぎた。

 斉藤は「今思うと、運がよかったなとつくづく思います」と振り返る。

「JALのオーディションに合格したからこそ、こうして芸能界でお仕事を続けていけるんだなと。

 今では芸能界でお仕事をするチャンスが多方面にありますが、田舎に住んでいた私にはテレビのお仕事はすごく遠くのこと。まさか私がそのテレビに映る人になるなんて考えたこともありませんでした。そんなことを考えると『まだまだ元気だから頑張らないと』と思います。60歳で水着になり、グラビア撮影もしましたしね!」

さいとうけいこ
1961年7月14日生まれ 宮崎県出身 1982年、「JAL沖縄キャンペーンガール」に選出され芸能界へ。映画『東雲楼・女の乱』で日本アカデミー賞助演女優賞などを受賞。NHK大河ドラマ『秀吉』(1996年)、NHK連続テレビ小説『天うらら』(1998年)、『弁護士・迫まり子の遺言作成ファイル』(1999〜2003年、TBS)などに出演。『クイズダービー』(1976〜1992年、TBS)では1983〜1985年にレギュラー解答者として出演。2019年に慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科を修了して話題に

【レストラン マダム・トキ】
住所/東京都渋谷区鉢山町14-7
営業時間/ランチ12:00〜15:00、ディナー18:00〜22:00
定休日/月曜

写真・野澤亘伸
ヘアメイク・赤間久美江