月収300万円超、歌舞伎町No.1キャバ嬢が「収入激減でも“プロレスラー”を目指す」意外な理由とは

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 セット料金60分10000円を支払えば一緒に酒が飲める、そんな異色の“現役キャバ嬢プロレスラー”が誕生しようとしている。プロレス団体「ガンバレ☆女子プロレス」は、4月1日の横浜ラジアントホール大会で練習生のリアラがデビューを賭けたエキシビジョンマッチを行うと発表したのだ。リアラは新宿・歌舞伎町で、数多の“伝説”を残すNo.1キャバクラ嬢だ。現在も週3は出勤中という。
 そんなリアラが練習する都内練習場を訪れたが……明るい茶髪をなびかせ、ギャルメイクに汗光らせ、自慢のGカップを弾ませ必死にパートナーと練習を繰り返していた。手首に包帯、露出している部分は痣だらけだ。練習生として入団して8か月、34歳の現役キャバ嬢はなぜ、プロレスラーになったのか。そのルーツから探る。

◆門限は17時。父の拳がすぐ飛んでくる厳しい家庭

――もともとは宮城県出身と聞きました。

リアラ:はい、宮城県栗原市出身で父が警察官、母が銀行員、親せき全員が公務員という厳格な家庭で育ちました。父が家庭内の絶対的王様で、逆らうことは許されない。高校時代の門限17時を守り、1分でも遅れれば拳が飛んでくる。でも、年頃の女の子なのでお洒落がしたい……。髪を染めても、眉毛を剃っても正座させられ叱られる。彼氏がほしいと言えば「そんなの不良のはじまりだ!」と真っ向否定。当時通っていた高校も、校門前で竹刀を持った体育教師が仁王立ちしているし、逃げ場がないな……と思ってましたね。

――なかなかの厳しさです。反発はせず?

リアラ:やっぱり「この野郎!」という気持ちはずっと秘めてました(苦笑)。高校時代に彼氏はいて、門限には帰りますが、深夜2時に家をこっそり抜け出して……朝4時には帰宅するという生活。高校卒業が地元のスーパーに就職し、やっと開放されると思ったのに門限は21時……。まだ「彼氏はいらん!」「化粧をするな!」という小言は収まらない。粘り強く交渉して、仙台で一人暮らしをする権利を獲得しました。

◆仙台引っ越し当日に金髪ギャルに、そしてキャバクラへ

――仙台ではどのような生活を?

リアラ:引っ越し初日に金髪に染めて、キャバクラの面接に向かいました。当時、ギャル雑誌の「小悪魔ageha」を愛読していました。「女子高生のなりたい職業ランキング」でキャバクラ嬢が1位だった時代で、私もその1人。ずっと抑圧された生活すぎて、“変身”したかったのかもしれませんね。彼氏も即出来て、遊び狂った時期です。でも、まだ未成年だったし、成人後もお酒がほとんど飲めなかったんです。

――それでも、No.1になった。

リアラ:No.1になれたのは……22歳の頃。当時勤めていた店のオーナーが、お店のリニューアルオープン時に私を店の“看板”にピックアップしてくれたんです。改めて頑張ろうと決意できて、当時月収は100万円を超えていました。仙台ではなかなか良い暮らしはできましたね。No.1が続けば、新たな目標も出てきたんです。東京進出です。

◆3・11の震災が、彼女を新たな夢に突き動かした。

――東京進出はいつ?

リアラ:3・11東日本震災の2か月後です。私も被災者の1人になって、仕事も一時休業状態に。考える時間ができたときに、やっぱり“東京で勝負したい、歌舞伎町No.1になりたい!”という目標が明確になりました。仙台でも稼いでいたので自信満々だったのですが……歌舞伎町の壁はやっぱり高かった。もう1か月後には仙台に帰りたいと思いましたね(苦笑)。

――それほど差があった?

リアラ:当時、歌舞伎町は“お酒は飲んでなんぼ”のイケイケのお客様が多かったんです。お酒が極端に弱かった私は太刀打ちできない。でも、私にも意地がありました。1年掛けて、お酒を飲めるようになるのに頑張りました。ウィスキー飲んで吐いて、テキーラ飲んで吐いて……。繰り返すうちに徐々に耐性がつくというか……衝撃になれるという意味でプロレスと一緒ですね。もちろん、この克服方法は皆さんにオススメはしませんが(苦笑)。