10年に一度の“最強寒波”が日本列島を襲った2023年1月下旬、地方空港から羽田空港へ向かう便に実際に乗ることができました。そこでは、航空会社のスタッフが遅延を抑えるべく、取り組んでいました。

雪の日本海側空港で

 10年に一度の“最強寒波”が日本列島を襲った2023年1月下旬、筆者はとある日本海側の地方空港にいました。この日、さらに羽田空港でバードストライク(鳥と機体との衝突)があったそうで、雪に加え、定時性の維持が難しい状況におちいります。遅れは20分ほどでしたが、そのようななか、少しでも遅れを取り戻そうとした航空会社などの働きを見ることができました。


“最強寒波”下のとある日本海側の地方空港の様子(加賀幸雄撮影)。

 この日はすでに“最強寒波”のピークを過ぎた、とされていましたが、日本海側は引き続き、雪に見舞われています。空港では、東京からのジェット機での到着便が「20分ほど遅れる」とアナウンスされました。筆者はこの東京便の折り返し便に搭乗予定でした。

 その機が到着するはずの駐機場を旅客ビルから眺めると、福岡空港へ向かう別のプロペラ機がまだ駐機している状態です。

 この時、遅れの理由まではアナウンス放送していませんでしたが、筆者は、到着便の遅れは、やはり雪に見舞われた別の地方空港からの羽田到着が遅れた、“玉突き”のためと思っていました。羽田空港でのバードストライクがあったことを知ったのは、その後です。

 一方、プロペラ機運航の福岡行きの便が遅れた理由は分かりませんが、30分間近く出発が後ろ倒しになっているようでした。小型のプロペラ機のため搭乗橋は接続できず、乗客は雪の下、足早に機内へ乗り込んでいます。航空会社の地上スタッフが荷物を積み込んだり、翼に防氷液をかけたり――。フード付きコートや防寒着姿でしたが皆、それでも寒そうでした。

 先述のとおり、プロペラ機が出発準備を行っている駐機場は、遅れているとはいえ羽田からの便がまもなく到着します。スタッフたちは荷物室のドアが閉まっていることを確認し、傘や除氷用の用具を積んだカートなど動くものが周囲にないか見渡し、福岡行きを送り出しました。その後、入れ違うように、羽田からのジェット機運航便が駐機場へと入ってきました。

いよいよ出発…通常便とどう違った?

 そうして折り返し便としてジェット機運航の羽田行きの便に乗りました。出発後同便は、太平洋側へ出ると伊豆半島南端を過ぎて、やや進んだ後に左へ旋回し、そのまま三浦半島の東側をかすめるようにして、羽田空港の第1ターミナルと第3ターミナルのあいだにある、A滑走路へ着陸しました。

 筆者の経験上、この路線では大方、伊豆半島を過ぎて大島上空を通過後、房総半島を横切るルートが多かったと記憶しています。そのため、着陸後、客室乗務員に「遅れを取り戻そうとショートカット(近回り)をしたのですか」と尋ねました。そのとき初めて、地方空港への到着の遅れは、前便の羽田空港出発前、ほかの便でバードストライクがあったためと知りました。トラブルが重なると遅れは雪だるま式に増えていきますが、悪天候での運航でも円滑な地上の支援態勢を築いていたために、遅れは最小限で済んだのでしょう。


筆者搭乗便の出発前に防氷液をかける様子(加賀幸雄撮影)。

 ショートカットについて、客室乗務員の答えは「前便での羽田離陸後、3分間は遅れを取り戻せると操縦士から伝えられましたが、折り返しの便で近回りをするとは聞いていません。着陸機が少なかったからできたのでしょうか」でした。

 筆者が興味深かったのは「3分間」という答えです。遅れを取り戻す時間を客室乗務員はきちんと把握していました。たとえ、わずかでも遅れを取り戻すことができるなら、乗客のいら立ちも少しは収まるでしょうし、乗客へのサービスの段取りを組み立てる目安になります。近回りも操縦士が機転を利かせたのかもしれません。

 降雪と寒さの下、福岡行きのプロペラ機、羽田行きのジェット機ともに、これ以上遅れさせないよう動いた地方空港の地上スタッフの働きも、遅れの拡大を防いだでしょう。悪条件下でも定時性を保つためには、彼ら・彼女らは日頃の業務の積み重ねも、大いに貢献しているでしょう。