全米騒然の「中国スパイ気球」 実はWW2の日本が“先祖”? 仕組みソックリな「ふ号兵器」とは
アメリカ上空で、軍事目的と見られる中国の気球が出現し、戦闘機により撃墜されました。実は「軍事目的で気球をアメリカへ飛ばす」というこのミッション、第二次世界大戦下の日本も、よく似た作戦を実行していました。
「風船爆弾」とも
2023年2月、アメリカ上空に中国から飛来したとみられる高々度監視気球が出現し、翌3日にアメリカ空軍のF-22戦闘機によって撃墜されました。中国側はこの気球を「民間のもの」としていますが、実際のところは、中国が軍事的な偵察を目的として飛ばしたものと見られています。
実はこの「軍事目的で気球をアメリカへ飛ばす」というミッション、第二次世界大戦下の日本がまさに同じようなことをしていたのです。
米国側で撮影された「風船爆弾」(画像:アメリカ政府)。
アメリカ合衆国は、本土を空爆されたことがないことがひとつの誇りとされていますが、実は、第二次世界大戦中に日本陸軍が飛ばした気球による空爆を受けたことがあります。これが俗にいう「風船爆弾」と呼ばれるものです。
そもそも日本でこの兵器案が考えられたのは、昭和初期。中国大陸での使用を前提に、風船に爆弾を搭載して兵器とする案があったそうで、その後、風船爆弾として研究命令が出されました。
そして第二次世界大戦に突入すると、風船を利用して、遠い距離まで爆弾を運ぶ気球型兵器「ふ号兵器」開発が始まりました。その大きさは直径約10m、重さは小型爆弾を含め約200kg。アメリカ本土爆撃を目指し、日本陸軍が実用化を目指します。
この「ふ号兵器」を日本で放球する拠点として、太平洋沿岸部の茨城県・大津(北茨城市)、千葉県・一宮(一宮町)、福島県・勿来(いわき市)が選ばれました。そこで放たれ上昇した「ふ号兵器」は、上空1万mの高さを飛びながら、偏西風に乗り、無誘導でアメリカ本土に向けて2日間ほど飛行したのち、搭載物とともに落下し、爆発する――という仕組みでした。
実は結構すごかった? 米をビビらせた「ふ号兵器」の能力
「ふ号兵器」の仕組みはとてもシンプルに見えますが、当時としては先進的な科学技術を取り入れていると筆者は分析しています。
たとえば日本からアメリカ本土に向け高々度を定常的に流れている偏西風を利用していることももちろん、大気圧の変化を利用した風船の高度維持装置を搭載していました。風船の制作に学徒を動員し、他の兵器製造に支障がないようにしていたことなど、各所に工夫が凝らされていたのです。
千葉・一宮の「風船爆弾打ち上げ基地跡」(種山雅夫撮影)。
「ふ号兵器」は戦中、約1万発が放球。アメリカの記録によると、そのうち約250発が本土まで到達したとされ、なかには西海岸の都市で爆発し、アメリカ国民に被害を及ぼしたとも記録されています。このほか、小さな山火事として報じられたものの、実際には「ふ号兵器」の爆弾が原因である可能性がある事象も発生しました。
また「ふ号兵器」は爆弾による基地攻撃だけでなく、アメリカ全土が目標で、この爆弾で森林火災などが発生することで、アメリカ国民に対し自らの生活が脅かされる心理的負担を与える効果を狙ったそうです。なお、爆弾の代わりに、軽量で効果が大きい細菌兵器を搭載することも検討されたものの、このアイデアは昭和天皇によって却下されたとも伝えられています。
ちなみに実のところ「ふ号兵器」表皮の材質は、和紙をベースにしていたそうです。これは当時の日本では、ゴムが軍事品として貴重品であったからかもしれません。ただ、和紙では中に詰めた水素が漏れてしまうため、和紙にコンニャクを塗り付けたものを表皮としています。当時の日本の状況と、開発の苦労がうかがえるエピソードのひとつといえるでしょう。