私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第19回
W杯に潜む怖さを痛感した男の証言〜今野泰幸(3)

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 2014年ブラジルW杯、日本はグループリーグの最終戦でコロンビアに1−4と敗戦。1分2敗という結果に終わり、グループリーグでの敗退が決まった。

 今野泰幸は周囲の期待はともかく、チームに対して大きな期待と自信を持っていた。それだけに、結果が出たあとも「もっとやれたはずだ」という思いが募った。

「代表で攻撃のことを教えてもらうことって、あんまりないんですよ。そんな貴重なことを、(イタリアの)セリエAや世界の舞台を知る監督から教えてもらって、『これをやれば、どこが相手でも点がとれる』と言われ、その言葉を信じてやってきた。戦術的なことに加え、個も重視する監督だったので、劇的に面白いことをやっていたし、W杯でもやれると思っていたんです。

 選手も(2010年の)南アフリカW杯を経験した本田(圭佑)や長友(佑都)、岡崎(慎司)ら海外組の選手がたくさんいたので、質も、意識も、それまでの代表とは違って、ひとつ上のところまで持ってこられた感じのチームになっていた。

 南アの経験者は(チームが)あの状況で予選突破できたということは、(その後の)4年間、ちゃんと積み上げができれば、予選突破はもちろん、ベスト16突破もできると思っていたと思います。実際、そのためにしっかりと準備をして、僕ら選手は『これで勝負できる』と自信を持っていた」

 しかし、4年間をかけて作り上げたチームは、W杯で残酷な結果に終わった。

「こんなことを言うといろいろな人に怒られるかもしれないけど、やろうとしていたことは間違いではなかったと思います。ただ、初戦に負けて、チームが壊れてしまった。こんなに簡単に崩れてしまうんだって思ったし、僕はそれがとても残念でした。

 僕自身はそこで、チームに対して何も言えなかった。さらにその後、コロンビア戦ではPKを与えて、チームに迷惑をかけてしまった。

 あと、世界のセンターバックは2枚の相手FWに対して、2枚のセンターバックで守る。スペースがあろうが2人で守るし、クロスを入れられても2人で跳ね返す。僕にはその能力がなかった。センターバックとして世界で戦うのは厳しいというのを、ブラジルW杯で痛感させられました」

 4年間地道に、結果を出しながら実力を積み上げてきたチームが、たった1試合で崩壊してしまった。「自分たちのサッカー」という言葉に多少酔っていた部分があったかもしれないが、今野自身は自分たちがやってきたサッカーをブラジルの舞台で発揮できたと考えているのだろうか。

「う〜ん、どうですかね......。正直、4年間やってきたものは出しきれなかったです」

 今野は胸の奥に抱えてきたものを吐き出すように、そう言った。


グループリーグ敗退に終わって、がっくりと肩を落とす今野泰幸(左)と長谷部誠(右)。photo by Xinhua/AFLO

 失意のブラジルW杯から8年の時を経て、今年の11月にはカタールW杯が開催される。日本は、ドイツ、コスタリカ、スペインと同じ「死の組」と言われるグループに入ったが、今野は日本が強豪国相手にどんな試合をするのか、「楽しみ」と言う。そして、日本代表で特に注目しているのが、三笘薫だ。

「すごい選手ですよね。過去(の日本代表に)あんな強烈なドリブルができる選手、いました? 状況を一瞬で、それもひとりで変えることができるじゃないですか。あのドリブルがW杯の舞台で、世界を相手にどれだけ通用するのか、期待感はめちゃくちゃあります」

 過去、W杯2大会に出場してきた今野。ブラジルW杯では主力としてプレーして、完成度の高いチームが1試合で壊れたシーンを目の当たりにした。これから日本がW杯でベスト16の"壁"を超えるには、どうしたらいいと考えているのだろうか。

「W杯で勝つために――ということを考えると、個人の成長も大事ですけど、僕は一番大事だなと思っているのは、監督です。

 たとえば、(ジョゼップ・)グアルディオラとか、(代表でもクラブでも)世界一になったことがある監督が指導する日本代表を見てみたいんです。彼がどんな選手を選んで、どんなシステムで、どんなサッカーをするのか、すごく興味があります。

 韓国だって(2002年W杯の時にフース・)ヒディンクを招聘して結果を出したじゃないですか。世界のトップに立った人は見えている景色が絶対に違うし、戦術的な引き出しもすごくあると思う。だから、世界のトップタイトルを獲った人に、いつか日本代表を率いてもらいたいですね」

 その時はコーチ? と聞くと、「無理、無理」と今野は笑った。

 今野は今年から、関東1部リーグに所属する南葛SCでプレーしている。

「南葛に入って、監督の戦術とか、非常に面白くて、また新しいことが吸収できるなって思いましたし、そこでまた自分が変われるなという思いもあります。目標も、最終的にはJリーグですけど、今年はJFL(参入)とはっきりしています。(グラウンドが)人工芝とか、いろいろと大変ですが、プレーするのは楽しいですね」

 ガンバ大阪時代の終盤、さらにジュビロ磐田の最終年は、なかなか出場機会が得られず、サッカーができないことで気持ちが滅入ることもあった。しかし今は、その頃と違ってプレーできる環境にあり、表情は明るい。

 今野の実力であれば、関東1部でなら余裕でプレーできると思ってしまうが、本人は「そんなに甘くない」と語る。「そりゃ、Jリーグとはサッカーの質は違うけど、レベルは低くないですよ」と言って、こう続けた。

「ボランチの選手もみんな、すごくうまいですからね。(JFLの奈良クラブから南葛SC入りした)布施(周士)や、かつてロアッソ熊本にいた相澤(祥太)、昨季までFC今治でやっていた玉ちゃん(玉城峻吾)に、セレッソ大阪に所属していた秋山大地、それにイナさん(稲本潤一)がいる。

 僕は(ガンバから)ジュビロに行った時、センターバックとかやっていましたけど、最後はボランチでプレーしていたんです。南葛でもボランチをやりたいと思っていたんですが、チームに合流したら、監督からの要求がものすごくて、しかも(他のボランチは)みんなうまい。だから、すぐに『ボランチはやりたくない』って、監督に言いました(笑)」

 今野は南葛SCで、今はセンターバックとしてプレーしている。3つ年上で、仲のいい遠藤保仁はいまだジュビロでレギュラーとしてプレーしており、今野自身、新しい環境で、新しい指揮官のもとで、さらに成長しようと意欲的だ。

 だが、来年には40歳になる。現役引退について、考えたりすることはあるのだろうか。

「カズ(三浦知良)さんのようには無理だけど、体力と情熱が続く限りは(現役で)やりたいです。現役を終えたあとのことは、未定です。解説? 僕、うまく喋れないですもん(笑)。

 ユーチューバー? いいと思うけど、僕はやらないです。本当に今は(引退後のことは)全然思い浮かばなくて......そのうち、自分がやりたいことが見つかるといいんですけど(苦笑)」

 今野ほどのキャリアを持つ選手であれば、引退後の選択肢として最初に挙げられるのは指導者だろう。元日本代表で、W杯経験者でもある。実績は申し分ない。

「いや、指導者というのは考えていません。指導者って、かなり大変な仕事のわりに、うまくいかないとすぐにきられてしまうじゃないですか。それでも、やりたいという人はやればいいと思うけど、僕にはそこまでの情熱がないんです。

『だったら、コーチをやれば』って奥さんは言うんですけど、僕はいろいろなチームで、さまざまなコーチを見てきているんです。能力の高い人もいれば、(監督を)持ち上げるのがうまい人もいる。監督とのコミュニケーションもあるし、『そんなに甘くないよ』って、奥さんには言っているんですよ」

 指導者に自らのベクトルが向かないのは、厳しい世界をずっと見てきたからこそ、だろう。日本代表の森保一監督がメディアなどで痛烈に批判されているのを見ると、指導することが楽しそうに見えない時があるとも言う。

 また、指導者という選択が頭にないのは、人に厳しいことが言えない今野の優しい性格が多分に影響しているようにも見える。

「僕みたいに、批判されたり、すぐにクビをきられたりするのが嫌だと思う人は、指導者はやらないほうがいいんですよ。高校生の指導? う〜ん、僕の言うことは聞いてくれなさそうですね(苦笑)。

 でも、小中学校とかなら、自分が教えたことで選手がうまくなったり、自分が修正したことでチームが勝ったりして、そういうのが積み重なっていけば、指導者って面白いなって思うかもしれない。

 まあ、何をするにしても、サッカーにはずっと携わっていきたいですね。サッカーしかできないんで(笑)」

「無理」「嫌」から始まってやり遂げるのが、今野のサッカー人生でもある。はたして、次は何に挑戦する姿を見せてくれるのだろうか――。

(文中敬称略/おわり)

今野泰幸(こんの・やすゆき)
1983年1月25日生まれ。宮城県出身。東北高卒業後、コンサドーレ札幌入り。すぐにレギュラーの座をつかんだ。その後、Jリーグを代表するボランチとなって、FC東京、ガンバ大阪、ジュビロ磐田で力を発揮した。世代別代表でも奮闘し、2003年ワールドユース(UAE)、2004年アテネ五輪に出場。A代表でも長年活躍し、2010年南アフリカW杯、2014年ブラジルW杯に出場。現在は関東リーグの南葛SCでプレー。