チャンピオンズリーグの大舞台にも「謙虚な姿勢で」。セルティック旗手怜央の自らの指針を決めた、静岡学園時代の出来事
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スコットランドのセルティックでプレーする旗手怜央。初めての欧州サッカー、欧州生活で感じた、発見、刺激、体験を綴っていく。CLの戦いを前に、高校の恩師のひと言を思い出した旗手。そして、自分が今も謙虚な姿勢を忘れないようにするきっかけとなった、静岡学園高校時代のある出来事を明かした。
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うれしかった背番号10伸びかかっていた鼻を思いきりへし折られたのが、静岡学園高校で3年生になって間もない頃だった。
それは自分でしっかりと物事を考え、常に謙虚な姿勢を持ち続ける契機になった。
僕は高校3年生になると、サッカー部のエースナンバーでもある"背番号10"を受け継いだ。
2年生の時に出場した全国高校サッカー選手権で先発に名を連ね、大会で2得点という結果を残せたことで、最上級生になった時には「自分が背番号10をつけたい」と思えるようになっていた。
静岡学園高2年時に高校サッカー選手権に出場した旗手怜央(後列左から3番目)
僕が1年生の時にエースナンバーを背負っていたのは米田隼也さん(現・V・ファーレン長崎)、2年生の時は名古新太郎さん(現・鹿島アントラーズ)だった。その後、自分も同じ道を辿ることになるのだが、ふたりは順天堂大学に進学した選手だった。
先輩たちは誰もがうまかったが、とくに背番号10をつけていた米田さんと名古さんは別格だった。チーム全体を引っ張っていく姿勢もさることながら、ボールを預ければ何とかしてくれる頼もしさがあった。ふたりのプレーを身近で見て、またはともにプレーしていくなかで、自然と彼らが背負っていた番号を自分もつけたいと思うようになっていった。
だから、3年生になり背番号10を渡された時には、心の底からうれしかった。
だが、選手権での活躍もあり、高校選抜に選ばれた自分は、いわゆる天狗になっていたのだろう。
インターハイ予選を目前に控えていた紅白戦で、相手選手からのタックルを受けると、川口修監督から投げかけられた「大丈夫か?」という言葉を無視してしまったのである。詳細は覚えていないが、タックルを受けたことにカッとなり、全く周りが見えなくなっていたのだろう。
振り返ってみると、きっと問題はそれだけではなかったはずだ。おそらく日々の態度も悪かったのだと思う。川口監督には、そうしたひとつひとつの行動や態度が目に余っていたのだろう。
試合に出られなくなった試合後、はっきりと言われた。
「そういう態度を取るような選手をピッチに立たせることはできない」
直後には他チームとの練習試合が組まれていたが、僕は試合に出ることなく、副審を務めただけだった。練習には参加させてもらえていたし、普通にプレーもさせてもらっていた。ただ、試合への出場機会だけ与えてもらえなかった。
ほどなくしてインターハイ予選が始まったが、僕は背番号10をつけるどころか、やはり試合出場はかなわず、ベンチから戦況を見守っていた。
川口監督からは、試合に出場させてもらえない理由を説明されることはなかった。
「どうしたらいいのだろうか?」
「何で試合に出してもらえないのだろうか?」
自分で考える習慣が身についたのは、この出来事があったからかもしれない。自分なりに頭を巡らせ、理由を考え、改善する方法を模索した。自分の考えに煮詰まった時には、コーチが相談に乗ってくれたこともあった。
そして、自分なりに考え、たどり着いた答えが、自分自身の日々の態度だった。
「調子に乗っていたんだな」
「周りへの思いやりも欠けていたんだな」
傲慢な態度がプレーにも表れていたのだろう。
川口監督から直接、答えを聞いたわけでもなければ、理由を教えてもらったわけでもないから、本当のところは今もわからない。ただ、僕は自分で考え、そして初心に返ろうと思い直した。
練習に向かう姿勢やチームメイトをはじめとする周りへの態度、プレーひとつひとつへの丁寧さやこだわり......静岡学園高校に入学した時、周りに追いつき追い越そうと懸命に努力した自分を取り戻そうと、一から自分自身に矢印を向けた。
本来、「謙虚」という言葉は自分から発信するものではないと考えている。だが、調子がいい時ほど、謙虚であるべきだし、結果を残している時ほど、さらに高みを目指す必要がある。
そして僕は自分自身が気づき、変わったところを川口監督に感じてもらわなければと取り組んだ。
自分の態度や行動を常に戒める教訓に県予選で敗退してしまったインターハイが終わり、再び(高円宮杯U−18)プリンスリーグが再開される時だった。静学ではメンバー発表の際、一人ひとり名前を呼ばれ、ユニフォームを手渡される。「旗手」と呼ばれて前に出てユニフォームを受け取ると、「背番号10」が光っていた。
「もう一度、この番号をつけて戦える」
そう思ったことを今でも鮮明に覚えている。
あの出来事は、自分の態度や行動を常に戒める教訓になった。プロになってから今日まで、調子がいい時ほど自分自身を見つめ直し、そしてすべての物事、人に対して謙虚な姿勢で向き合う指針になった。
それを教えてくれた川口監督が言ってくれた、「UEFAチャンピオンズリーグ(CL)に出場するような選手になってほしい」という言葉は、自分の道標になった。
セルティックはリーグ戦と並行して9月6日からCLのグループステージを戦う。8月25日に行なわれた組み合わせ抽選の結果、グループステージではレアル・マドリード、ライプツィヒ、シャフタールと対戦することが決まった。
プロになると決まった時、川口監督が提示してくれた目標に近づくことになる。当時は絵空事だと思っていたが、目標設定を高く持ち続け、そこに向かって進んでいくと到達できるのを知った。
ただし、目標が叶ったからといって、そこがゴールではない。1試合1試合を楽しみつつも、川口監督に教わった謙虚な姿勢で、これからも自分自身を見つめていきたい。
旗手怜央
はたて・れお/1997年11月21日生まれ。三重県鈴鹿市出身。静岡学園高校、順天堂大学を経て、2020年に川崎フロンターレ入り。FWから中盤、サイドバックも務めるなど幅広い活躍でチームのリーグ2連覇に貢献。2021年シーズンはJリーグベストイレブンに選ばれた。またU−24日本代表として東京オリンピックにも出場。2021年12月31日にセルティックFC移籍を発表。今年1月より、活躍の場をスコットランドに移して奮闘中。3月29日のカタールW杯アジア最終予選ベトナム戦で、A代表デビューも果たした。