根本陸夫が常勝・西武を築いた手法とは。メジャー評論家・福島良一が聞いた「独自の組織論」の全貌
根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第36回
証言者・福島良一(2)
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1991年、メジャーリーグ評論家の福島良一が、西武球団管理部長の根本陸夫に初めて面会した。雑誌『エスクァイア』が企画したインタビュー。常勝・西武の陰の功労者たる根本は日本球界で唯一、「ミスター・ゼネラル・マネージャー」と呼べる人物だとして、強いチームをつくり、勝ち続けるためのノウハウと秘訣を聞き出している。
監督時代を除き、根本は自身の手法や考え方はまず明かさなかった。極めて貴重な取材機会となり、もともと根本に注目していた福島は幸せを感じるほどだった。西武の球団事務所で面と向かった際にはその鋭い眼光に気圧されそうになったそうだが、それでも果敢に質問をぶつけていく。当日の記憶を福島にたどってもらいつつ、根本の発言を再現する。
西武の管理部長時代の根本陸夫
「眼光もそうですが、今でもはっきり憶えているのは、間近に見た根本さんの日焼けした顔やシワなどです。あらためて長いキャリアを感じたし、その言葉には、野球に対する厳しさと愛情がこめられていると思いました。そして、どんな質問に対しても的確に答えていただいた。当然、それだけの有能な方であり、偉大な野球人としての風格を感じましたね」
取材直前まで、福島には一抹の不安があった。米球界のゼネラル・マネージャー=GMを熟知した立場から話を聞くにしても、根本がどこまでアメリカ野球について精通しているのかということを知らなかった。本来なら、把握していてもおかしくなかった。なぜなら、福島は当時パ・リーグ事務局勤務のメジャーリーグ通である"パンチョ"こと伊東一雄と接点があったからである。
「僕は子どもの頃からパンチョさんによくしてもらっていて、日本球界の監督や選手と会う機会をいただくこともあったんです。おもにパ・リーグでしたけど、根本さんも広島時代以外はパ・リーグ。それなのに、根本さんの話はまったくと言っていいほどパンチョさんからは出なかった。だから、どの程度の知識をお持ちなのか、わからなくて......。
でも、いざお話をうかがうと、アメリカ野球のことをずいぶん勉強されていて、豊富な知識を持っていらっしゃった。たとえば、外国人選手の調査も、根本さんご自身で現地に出向いて行なっていた。日本とアメリカとを分けないで、有望な選手をスカウティングする場所がたまたまアメリカになったと考えている、とおっしゃっていましたね」
福島は当時の西武が獲った外国人選手に着目していた。87年途中に来日し、88年に38本塁打、90打点を記録したタイラー・リー・バンバークレオ(登録名はバークレオ)。89年の来日1年目から32本塁打を放ち、90年から3年連続本塁打王、2年連続打点王に輝いたオレステス・デストラーデ。投手では91年からプレーした右腕のレイモンド・ヤング。いずれも20代と若く、メジャー経験ゼロ、もしくは実績が乏しい選手だった。
「とくにヤングですね。メジャー経験はなくても、アメリカの『ベースボール・アメリカ』という専門誌が出しているプロスペクト・ブック、若手有望株の名鑑に載っていたような選手を獲ったんです。つまり将来有望な、明日のスター選手ですね。
今では時代が変わって、育成選手枠で外国人を獲るようになりました。でも、今から30年ほど前の日本球界、そういう外国人選手を獲ることはまったくと言っていいぐらいなかったわけです。根本さんのチームづくりはすごいなと思いましたし、先見の明があったんじゃないかと思いますよ」
もっとも、西武がスタートした当初、監督と編成を兼務する根本の方針は違っていた。80年途中にスティーブ・オンティベロス、81年開幕前にテリー・ウィットフィールドと、いずれもメジャーで実績ある強打者を獲得し、打線の中軸に据えた。後任監督の広岡達朗もその起用を踏襲し、82年からの日本シリーズ連覇につなげた。根本は福島にこう説明している。
「最初は、ひとつの骨格をつくるために、それに必要な年齢とか技術を考えて採ってきました。今は自分のところのチームの体質に合うかどうかで、日本人と外人を分ける考え方をしていません。日本でのスカウティングと同じような考え方に切り替えたんです」
西武の組織全体がスカウティング部ならば、「日本でのスカウティング」はどうだったのか。「西武の成功のカギのひとつは、スカウト組織の充実によっていい選手を発掘できたことでは?」と福島が尋ねると、根本は次のように答えた。
「うちの場合、全国に組織を持っています。それをまずいちばん先に使ってます。これはもう最初っからです。オーナーの『おい、何かいい情報があったら出せよ』という一声で。そこから、どんな細かい情報でも、直に球団管理部にあげるようにしています。つまり西武の組織全体がスカウティング部という解釈ですね」
西武を退団した元選手から、西武グループの企業関係者から、あるいは地元の野球通から、アマチュア選手の情報がもたらされる。球団のスカウト部だけではカバーしきれない情報が、全国各地から集まる。それだけの"組織"があることで、他球団よりも広範囲に、速いスピードで各スカウトが動けるのだと明かした。
それにしても、「オーナーの一声」から西武のスカウティングが始まっていたとは興味深い。このあたりも他球団との違いではなかろうか。福島はその点、オーナーの堤義明、GMの根本、監督の森祇晶との関係がどうなっているのか尋ねている。戦力補強に関してオーナーは「まったくノータッチ」と答えたうえで、根本は話を続けた。
「現場からは、優勝を前提として、どの戦力が必要か、欲しいかという要求だけは出してもらう。僕たちはどれだけその要求を満たすことができるか、です。フロントは現場からの要求が何割減ったとか、完璧に要求どおりにできたかによって、チーム力の検討ができる。そのへんははっきりしていますよ。要求が満たせたか、満たせなかったかをフロントが計算できなきゃダメですね」
福島は「その部分が、たぶん日本のほかの11球団には欠けているところだと思うんです」と応じた。だが、根本はこの言葉には直接答えていない。そのかわり、毎日戦っている現場の人間が戦力を計算することは難しいのだから、単純に考えてフロント=GMが必要、といった意味合いの言葉を返している。
30年以上も前に練っていた三軍構想では、戦力の計算をするGMとして、強いチームをつくるにはどこから手をつけるのか。強いだけでなく、勝ち続けられるチームをつくるためにはどうするか。これらの質問に対する根本の答えは、相手11球団を完全に調査し、戦力検討をきっちり行ない、相手チームの育ち方によって、補充、補強をどれだけ丁寧にやっていくかというものだった。
とにかく相手球団を調べることが先決であり、何よりも重要視していた。こうした根本のノウハウ、考え方を聞いて、福島はどういう印象を持ったのだろう。
「GMとして、いちばん必要なのは野球の知識ですよね。それがあってこそ、優秀なGMになれるわけであって、相手を徹底的に調べるというのは知識につながります。やはり、それだけ根本さんは1年中、野球のことばかり考えて、自らいろんなところに足を運び、いろんなものを見て研究し、勉強されてきたということが、その時、十分に伝わってきました」
1時間近く続いたというインタビュー。根本が何度も発した言葉が"環境"だった。自身が何度もアメリカで視察した、ファームという恵まれた環境、それに伴う充実した練習施設──。それらを日本球界全体で整備する必要性を説き、二軍が一軍の予備軍になり、選手の育成をアマチュアに依存するような現状を嘆く。根本はこの時すでに三軍を構想していたようだ。
終わり間際、その年にプロサッカーリーグ(=Jリーグ)が誕生することを踏まえ、福島が尋ねた。「プロ野球が停滞しているときだけに不安はありませんか」と。すると根本は「いや、むしろ集団競技のプロリーグができることでいい刺激を受けるのではないかと歓迎しています」と答え、最後にこう語っている。
「プロ野球と競合するのではないかという人もいますが、そういう次元で考える問題じゃない。ぼくは、プロ野球は決してなくならんと思いますよ。企業の所有物である限り滅亡がありますが、大衆の所有物になればなくなることはない。だから、もっとプロとしての高い意識をもって環境づくりをするべきだと思いますね」
つづく
(=敬称略)