今、イタリアのサッカーはその歴史のなかでもどん底の状況下にある。これまではイタリア代表の最大の失態として、1966年のイングランドW杯で、北朝鮮に1−0で敗れた試合が挙げられてきた。しかし、これからは違うだろう。少なくともあの時はW杯に出られていたのだから。

 カタールW杯ヨーロッパ予選プレーオフ。私事になるが、イタリアが北マケドニアに敗れた時、まず、自分の子どものことを思った。もしイタリアが2026年のW杯(アメリカ、カナダ、メキシコの共同開催)に出場できたとしても、多くの子どもたちは、自国の代表がW杯でプレーする姿を知らずに育ってしまう。そう思うと不憫でならなかった。

 最後にイタリアがW杯でプレーしたのは2014年の6月のこと。その年に10歳だった子どもは、少なくとも22歳までW杯の興奮を味わうことができないのだ。そう考えると、イタリアを襲った悲劇がどれほど大きいかがわかるだろう。

 イタリアが2大会連続でW杯に出場しなかったことはこれまで一度もない。2018年のロシア大会を逃しただけでも最大の悪夢と思われていたが、それを再び繰り返すなど、あらゆる悪夢の限界を越えたようなものだ。


北マケドニアに敗れ、顔を手で覆うジョルジーニョらイタリア代表イレブン photo by Maurizio Borsari/AFLO

 矛盾しているかもしれないが、一番の問題はユーロ2020の優勝にある。なぜならあの勝利で、イタリアの国中が信じてしまったからだ。イタリアはまたヨーロッパや世界で主役を張れる国に戻れる、正しい道筋に戻ることができた。W杯の優勝候補、ヨーロッパの強豪......。

 それはクラブチームにおいてもあてはまると考えていた。しかし、ウェンブリー(ユーロ決勝会場)の勝利から8カ月後、チャンピオンズリーグからイタリアのクラブはすべて姿を消し、イタリア代表は敗退し、イタリアサッカーはあらゆる面で再建が必要なのだと知ることになった。

 こうした状況を揶揄する投稿がSNSにはあふれかえっているが、最も多いのはこんな言葉だ。

「本当に知りたいのは、どうしてW杯を逃してしまったかではなく、どうやってユーロで優勝したかだ」

ユーロ優勝から闇に落ちていった

 真の問題は、プレーオフでFIFAランキング67位のチーム(イタリアは6位)に敗れたことではない。まず、イタリアはプレーオフに回るべきではなかった。グループ予選では、少なくともダイレクトにカタール行きを決める2度のマッチポイントがあったが、それをどちらも、ものにすることができなかった。その大きなチャンスをPK失敗の形でドブに捨ててしまった。

 ウェンブリーの決勝は分水嶺だった。ユーロのイタリアが優秀だったのは事実だ。スター不在でも驚くべきプレーを繰り出せるチーム、批判好きで沸点の低い国民性にもかかわらず、チームワークの力を見せ、自らが楽しみ、見るものを楽しませ、限界を超えることのできるチームだった。私はユーロに同行し、その一部始終をこの目で見てきたが、あのチームは本当にいいグループだった。

 しかしその後、イタリアは闇に落ちていく。まずは典型的な"満腹状態"に陥り、その後は結果が出ないことで恐れをなし、パニックを引き起こす。ユーロで優勝して以降、8試合の代表戦があったが、そのうち2試合でしか勝利していない。北マケドニアと対戦したのは、ミスをすることに、W杯を逃すことに極度に怯えるチームだった。その恐怖は、昨年夏に彼らを飛翔させた自由な軽やかさを、完全に奪ってしまっていた。

 堅牢と思われていた城が崩れるには、たった8カ月で十分だった。イタリアでは今、当然ながら批判と罵倒の嵐が始まっている。サポーターはサッカー連盟のトップたちのクビのすげ替えを声高に求めている。もちろんその筆頭はガブリエレ・グラヴィナ会長だ。だが、彼はこの試合の前から、「たとえ負けても辞任はしない」と表明している。

 他の者に比べたら、非難の矛先が鈍いのは、おそらくロベルト・マンチーニ代表監督だろう。チームをヨーロッパの頂点に導いた功績もあるが、誰もが、失態の真の原因が監督にあるのではなく、イタリアのサッカーシステムの不全にあると気づいているからだ。

選手のレベルが低下した理由

 今のイタリアにはレベルの高い選手が少ない。本当に少ない。今回の北マケドニア戦に限ってみても、30本以上のシュートを打って1本も入らないというのは、根本的になにか大きな欠陥がある証拠だ。W杯に出るか出られないかの重要な試合の終盤の攻撃を、クラブの目標が1部残留のチームの選手(ドメニコ・ベラルディとジャコモ・ラスパドーリはサッスオーロ、ジョアン・ペドロはカリアリ)に託さなければならない、それはやはり根っこにある問題が非常に大きいということだ。

「W杯行きを決め、そこで優勝しよう」

 そう言い続けてきたマンチーニは、今、自らの身の振り方を考えているところだろう。何が起こるかはわからない。連盟の幹部たちは残留を望んでいるが(契約は2026年まで)、伝え聞くところによると、彼にあまりその気はないようだ。

 もしマンチーニが代表監督の座を放棄した場合、次にチームを率いるのはファビオ・カンナバーロで、マルチェロ・リッピがテクニカルディレクターに就くのではないかという声が強い。そのほかではアントニオ・コンテやジェンナーロ・ガットゥーゾの名前も挙がっている。

 ただ、イタリアはまだ先のことが考えられる段階にはない。今は傷を舐め合い、原因究明と称してあらゆることで罪のなすりあいをしている段階だ。

「クラブチームにとって、代表チームはただの邪魔ものでしかないのだろう」

 グラヴィナ会長はそう怒りをあらわにしているが、これは代表関係者が皆、感じていることでもある。なぜなら、プレーオフの前にリーグ戦を休んで、マンチーニのためにいいコンディションの選手を提供しようなどと考えるチームはひとつもなかったからだ。W杯を失った場合の経済的な損失は、スポンサーや放映権などを含め1億ユーロ(約130億円)を下らないし、何よりイタリアサッカーのイメージが地球規模でダウンする。クラブチームにも影響がないわけがないのに、それでもクラブは協力を望まなかった。

 イタリアのサッカーシステムは何十年も前からほとんど進歩なく、ヨーロッパの他の強豪国にならって再建されることもなかった。スタジアムは古く、チームが保有するものはほとんどない。育成部門はお粗末で、成功しているのはほんの一部のチームだ。自前のスタジアムがなければ興行収入は少なく、投資に金をかけられない。自前で才能を育てず、外国の市場ばかりをあされば、イタリア人選手は育たず、決定的な試合で32本のシュートを放ちながらゴールを奪えないことになる。そしてこれらは何年も前から問題視されているのに、一向に改善が見られない。それこそが最大の問題なのである。

 最後も子どもの話で締めよう。4年に一度のW杯は、子そも時代の節目、節目であった。あのW杯の時には何があった、このW杯の時は何をしていた――サッカーが人生と密接につながっていた。イタリアの子どもたちに、早くそんな日を取り戻してあげたいと、心から願ってやまない。