優秀な営業ウーマンとしてキャリアを築き、その後も異動した先々で結果を出し続けてきた長嶋由紀子さん。だが、辞表を書いたり、予想外の異動に落ち込んだりしたことも1度や2度ではないという。意気消沈してもまた前を向ける、そんな自分であり続けるための極意とは──。
写真=リクルートホールディングス提供
リクルートホールディングス常勤監査役、長嶋 由紀子さん - 写真=リクルートホールディングス提供

■会社も仕事も嫌いだった

長嶋由紀子さんのキャリアをたどると、そこには輝かしい功績がいくつも並ぶ。最初に配属された営業部門では、早々に優秀な成績をおさめて課長まで昇進し、その後に異動した人事部門では企業内ビジネススクールを創設。社内の人材育成の枠組みをつくり、ブライダル部門に異動後は、あの『ゼクシィ』を日本最大級のブライダル情報サービスに育て上げた。

40代後半からは、執行役員、人材派遣のリクルートスタッフィング社長、そして現職である常勤監査役へと着実にステップアップ。誰もが憧れるような堂々たるキャリアだが、本人は「『落ち込んでは立ち上がる』を繰り返してきただけ」と笑う。実は、辞表を書いたことも1度や2度ではないのだとか。

「入社したばかりの頃は会社も仕事も嫌いで、辞めることばかり考えていました。その後も異動のたびに意欲をなくしてしまい、ひたすらサボっていた時期もあります。でもどの時も、『この仕事の面白みはどこにあるのか』の『どこ』を解明しようとしているうちに、いつの間にか面白い部分に気づいちゃって(笑)。そこを知らないまま逃げ出すと後悔する、そんな思いがあったんだと思います」

最初に辞表を書いたのは、入社してわずか1カ月後だった。出版社志望だった長嶋さん、雑誌や書籍をつくれると聞いて入社したものの、配属されたのは就職情報誌の営業部門。自分の夢とはかけ離れた仕事にがっかりし、加えて当時まだベンチャーの空気を色濃く残していたリクルートの「やんちゃな社風も好きになれなかった」と振り返る。

■「村上春樹論」語る飲み会で翻意

辞表を出したところ、上司と先輩に飲みに誘われた。説教されるのかと渋々向かった先で思いがけないことが起きた。飲み会は長嶋さんが大好きな村上春樹の話題で大いに盛り上がり、それまで上司や先輩に抱いていた「ど根性営業の権化」というイメージが、尊敬の念に変わったのだ。

営業部時代の長嶋さん(写真=本人提供)

「日付が変わるまで延々と文学について語ることができるほど人間のエスプリをわかっている人たちが、なぜこの仕事に心血を注いでいるのか、がぜん知りたくなったんです。彼らが面白さを感じている部分はどこなのか、それを解明してからじゃないと次に行けないな、と」

そこから上司と先輩の仕事ぶりを観察するようになり、「利益を出せる営業」のコツを身につけていく。また、顧客からの叱咤激励をきっかけに会計も学び始め、入社5年目には社内でもトップクラスの営業ウーマンに。仕事の面白さにも目覚め、やりがいも上がっていくばかりだったという。

■「自分のコピー造成」で大失敗

しかし、課長代理に昇進した後、最初の大失敗を経験する。

長嶋さんは、自身が好成績を収めていたことから、「チームの業績を上げるには自分のコピーをたくさん育てればいい」と考え、営業手法から資料のつくり方まですべて、皆が“長嶋流”にできるよう指導した。チームのためによかれと思ってしたことだったが、これが思わぬ結果を招いた。

業績は期待通りには上がらず、さらには部下の一人が欠勤するようになったのだ。心配して家を訪ねた長嶋さんに、その部下は「長嶋さんが言っていることは全部正しい、でもその正しさがつらい」と心情を吐露。一人ひとりの個性を見ず、ただ自分が思う「善」を押しつけていたと気づいた瞬間だった。

「自分のコピー造成を目指すのはそこでやめました。得意分野や特性は人それぞれなのだから、それに合った育成方法をとらなければと思うようになったんです。それに、一人ひとりの矯正に時間をかけるよりそのまま生かすほうが合理的。以来、鋳型にはめるようなコミュニケーションは一切しなくなりました」

やがて部下たちは伸び伸びと働くようになり、それに伴ってチームの業績もアップ。さまざまな個性が花開いたせいか、社内でも「動物園のようにいろいろな珍獣がいる部署」として人気の部署になった。

■「F1でチャンピオンにならずにF3に行くのか」

ただこの時期、長嶋さんは2度目の辞表を書いている。マネジメントでの成功談が外部にも広がったのか、引き抜きがあったのだ。「かっこいい」外資系企業だし、待遇もいい。心が動いて辞表を出したところ、上司から帰ってきた言葉は「F1でチャンピオンにならずにF3に行くのか」

上司の説明はこうだ。「グローバル企業から見れば日本はアジアの一支社にすぎず、カーレースの世界でいえばF3の扱いだ。F1で勝負しないままでそっちの世界に行くのか」

負けん気の強かった長嶋さんは、この言葉に悔しさが込み上げ、転職は「ここでチャンピオンになってから」と先送りを決めた。

■異動で意欲が急降下、喫茶店でサボる日々

次に転機が訪れたのは入社10年目の1995年。営業部門から突然人事部に異動になり、長嶋さんは大ショックを受ける。楽しい職場から引き離された、事業の最前線から離脱させられた──。そんな思いでいっぱいになり、異動後しばらくはまったく仕事に身が入らなかったという。引き継ぎを理由に人事部に出勤せず、喫茶店で本を読んで過ごしたこともあった。

「そのうちサボるのにも飽きてきて、『リクルートはどういう会社になりたいのかな、そのためには人事は何をすればいいのかな』って考え始めたんです。まずは会社の理念やカルチャーを知ろうと思って、創業者の江副浩正が残した資料を読みあさり始めました」

この時長嶋さんは、段ボール箱5〜6個箱に詰め込まれた資料を片っ端から読破。ベンチャーから大企業になるまでの軌跡、新たなカルチャーの確立にかけた思い、一人ひとりが自分の思いを大切にできる会社にしたいという未来像。そうした資料をすべて読み終えた時、入社以来初めて「何だか会社が愛おしくなった」のだという。

この頃のリクルートは、1988年のリクルート事件による信用失墜、それに続くバブル景気崩壊などにより、巨額の負債を抱えていた。

しかし長嶋さんは、「この会社を将来も存続させていきたい、そのためにはまず目の前の債務超過解消と、未来を担う人材の育成が必要」と結論づけた。前者には経営層の判断が欠かせないが、後者は人事が進めていける仕事。人材育成こそが人事の仕事、自分の役割だと「ドーンと腹落ちした」と語る。

そこからの活躍はめざましかった。当時はまだ珍しかった企業内ビジネススクールや、社員を国内外の先進企業に送り込むビジネスインターンプログラムなどを次々と立ち上げ、自社のグローバル化を目指して役員の英語研修プログラムも開始。今に受け継がれる、リクルートの人材育成システムの土台を築いたのだ。

■取り返しに行った「3度目の辞表」

しかし、こうした仕事が一区切りついた頃、長嶋さんは3度目の辞表を提出する。友人が立ち上げた、次世代リーダーの育成活動を展開するNPOに誘われたのだ。

上司の返答は「辞表は1週間預かっておく」。その週末にNPOで打ち合わせをした長嶋さんは、リクルートで自身の体に染み込んだスピード感とは合わないことに気づく。そして思い直し、上司のところに辞表を取り返しに行った。「その時の上司には、いまだにその時のことを持ち出してからかわれるんです。『辞表を取り返しに来たんだよな』って」

「結局、3度とも退職せずに済んだのは、『この仕事はどこが面白いのか』を解明したい性分に加えて、上司のおかげが大きかったと思います。辞表を出した時の上司は皆、こちらの琴線に触れるコミュニケーションができたり、私の行動を先読みする洞察力があったりする人でした。本当にありがたいですね」

意欲喪失や退職の危機を、持ち前の“解明したがり”な性分と上司のおかげで乗り越えてきた長嶋さん。この性分は、次の異動先であるブライダル事業でも真価を発揮する。

■華やかな「ピンク色の世界」への異動

突然の異動に、最初はまたしても大ショックを受けた。営業や人事と違い、ブライダル部門は媒体も目にする資料もすべてがピンク。もともと女子感全開なものが苦手で、しばらくは周囲の感覚とのギャップに苦しんだという。

しかし、自分の苦手な世界を好む人はどこに魅力を感じているのか、ビジネスとして成立しているのはなぜかと疑問を持ち、その解明に挑戦。『ゼクシィ』の読者1000人以上にインタビューする、本人いわく「カスタマー1000本ノック」を敢行した。

リクルートスタッフィングを離れるときに、社員からもらった色紙(写真=本人提供)

「皆さんの夢や思いを聞いて、ピンクや派手婚を嫌っていた自分は何て傲慢だったんだろうと恥ずかしくなりました。この事業の意義や伸びしろに気づけたのも、お客様の声があったからこそ。『カスタマーファースト』の大切さを知り、価値観がガラッと変わりましたね」

価値観の変化を経て、長嶋さんは執行役員に、次いで人材派遣会社「リクルートスタッフィング」の社長に就任する。ここではリーマンショックによる派遣切りや派遣法の規制強化などにも直面したが、持ち前の行動力でビジネスモデルの構築やロビー活動に取り組み、たびたびの困難を乗り越えた。

もちろん、経営者としての悩み苦しみも味わった。業績回復のためにあえて厳しい施策を選んだ時は、寝ても覚めても「本当にこれでいいのか」と考え続けた。最終判断を下すのも自分なら、責任をとるのも自分。結果的に業績を上向かせることはできたが、この時期は経営者の孤独を心底実感したという。

■あえて「居心地の悪さ」つくり挑戦を続ける

こうした大仕事を経て、「もう十分に仕事させていただいたからリクルートを卒業しよう」と考えていた矢先。長嶋さんは、リクルートホールディングスの常勤監査役にという打診を受けた。「リクルートは本気でグローバルナンバーワンになりたいんだ。そのために監査役として見守ってほしい」──。峰岸真澄社長(2021年4月に会長就任予定)からそう言われて、思わずホロっとしたと振り返る。

「財務などの専門知識がなかったので猛勉強しましたが、こうした緊張感を与えてもらえるのは幸せなことだと思います。新たな挑戦をせざるを得ない環境こそが、私の“次への着火点”。あえて『居心地の悪さ』をつくることが、次の挑戦への原動力になるんです。今後も慣れた環境に安住することなく、自分をアップデートし続けていきたいですね」

■役員の素顔に迫るQ&A

時折、週末に自宅で開くバーベキューパーティー。中央で焼いているカルダモンとクミンのきいたチキンマサラは十八番(写真=本人提供)

Q 好きな言葉
自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ
「入社当時の社訓です。キャリアを積むにつれ、機会を創ることの大切さを知り、今ではこの言葉に出会えてよかったと思っています」

Q 愛読書
『ぞうのホートンたまごをかえす』ドクター・スース
「幼い頃から何度も読み返している絵本。ほかの人からは奇異に見えても、自分の信念で卵を温め続けるゾウの姿や思いに共感しています」

Q 趣味
ゴルフ、料理、食べ歩き

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長嶋 由紀子(ながしま・ゆきこ)
リクルートホールディングス 常勤監査役
青山学院大学法学部卒業。1985年、リクルート(現リクルートホールディングス)入社。営業部を経て人事部に異動し、社内ビジネススクールなどを立ち上げる。その後、ブライダル事業に異動し事業成長をけん引。執行役員、リクルートスタッフィング代表取締役社長を経て2016年より現職。
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リクルートホールディングス 常勤監査役 長嶋 由紀子 文=辻村 洋子)