夏目漱石のオマージュ?正岡子規の代表作「柿食えば…」には元ネタがあった

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秋と言えば、実りの秋。秋を代表する果物と言えば、柿ですよね。そして柿と言えば、明治の俳人・正岡子規(まさおか しき。慶応三年(1867年)〜明治三十五年(1902年))。

「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺(ほうりゅうじ)」

若くして世を去った子規が、34歳の生涯で遺した20万以上の俳句の中でも特に有名なこの句は、松尾芭蕉(まつお ばしょう)の「古池や 蛙(かわず)飛びこむ 水の音」と並んで俳句の代名詞ともなっています。

本作の初出は明治二十八年(1895年)『海南新聞』11月8日号ですが、実は子規のオリジナルではなく、オマージュではないかとする説があるようです。

もしそうだとするなら、いったい誰のどんな俳句だったのでしょうか。

元ネタは鎌倉の建長寺?二人の友情が生んだ名句

正解は同世代の夏目漱石(なつめ そうせき。慶応二年(1867年)〜大正五年(1916年))が詠んだ、こんな一句。

「柿食えば 鐘がなりけり 建長寺(けんちょうじ)」

あれ?子規の句だと奈良県の法隆寺だったのが、こちらは鎌倉の建長寺になっています。

漱石ともゆかりの深かった建長寺。

実は病気で日清戦争(明治二十七年(1894年)〜同二十八年(1895年))から松山へ帰郷した子規が、ちょうど赴任していた漱石の下宿に転がり込んだ時、この句を見て柿の名産地である奈良県を連想。

そして奈良を代表する名刹の一つである法隆寺を当てはめた(※)のが大ヒット?現代に至るというのです。

(※)子規の法隆寺参詣については諸説あり、中には当時の病状から奈良へ旅行したこと自体を疑問視する指摘もあります。

漱石は参禅(さんぜん。禅の修行)のため鎌倉に滞在していたことがあり、こと思い出の深かった建長寺について他にも

「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」

という句も詠んでおり、これらの作品が子規の感性を刺激した可能性が指摘されています。

鐘の音を聴きながらかぶりつく柿はまた格別

子規と大の親友であった漱石が彼の句を知らなかった筈はないでしょうが、決して盗作などと騒ぎ立てることはなく、むしろ「あれほどの柿好きによりよく詠まれて、俳句も本望であろう」と笑っていたことでしょう。

今日も愛され続けるこの句は、子規と漱石が育んだ友情の賜物と言えるかも知れません。

※参考文献:
原田寛『知れば楽しい古都散策 鎌倉謎解き街歩き』実業之日本社、2014年9月
坪内稔典『正岡子規 言葉と生きる』岩波新書、2010年12月