入試すらない「N高」から慶大生が8人も出たワケ
■「社会そのもの」を教師として学ぶ
皆さん、こんにちは。学校法人角川ドワンゴ学園の専務理事で、N高等学校(以下、N高)学校長の奥平博一です。
私は大学を卒業後、公立の小中学校や学習塾を経て、39歳の時に通信制高校へ転職。以来21年間、通信制高校に関わってきました。N高は私とって3校目の通信制高校です。
N高の開校は2016年4月。沖縄県うるま市にある伊計島の廃校を利用しました。開校時の生徒数は1482人。現在の生徒数は2019年10月1日時点で1万1317人。この3年で約7.5倍の規模になりました。
N高はまったく新しい通信制高校です。高校卒業資格の取得にとどまるのではなく、これからの未来に出ていく高校生に向けて、通信制の制度を使った新しい教育を提供する学校です。最大のポイントは「社会そのものを生きた教師としている」という点です。どういうことなのか。順を追って説明してきたいと思います。
■高校生の40人中2人は通信制
少しずつ変化はあるものの、いまだに「通信制高校」に対する世の中の見方は、決してプラスではありません。それは学校に対する目だけでなく、在籍している生徒の皆さんにとっても残念ながら同じと言えます。
個々の生徒を見れば、目標に向かって努力している人、制度を有効活用してさまざまな活動を行っている人、アルバイトなどをしながら自分の責任で在籍している人などが、通信制高校を与えられた学びの場として活用しています。
平成30年の学校基本調査によると、通信制高校の生徒数は18万6502人。全日制高校の生徒数は315万559人ですから、実は高校生の40人に2人は通信制高校生です。
これが、現実です。一人ひとりの選択が、このような数字になってきているのです。
しかし、多くの人は、自分が経験した学校生活がスタンダードであって、それ以外はイレギュラーなのだ、という考えを持っています。これを変えるのは、かなり難しいことです。
■高校は「大学受験」のためにあるのではない
学校の存在意義とは何でしょうか。
学校の使命は、社会に子どもたちを出して、その社会で生き抜く力、居場所を見いだす力をつけてあげることだと私たちは考えています。学校は、学校を守るために存在するのではなく、生徒の皆さんのために存在するのです。
そう考えると、社会が変化していく中で、学校も変化するのは当たり前です。高等学校の場合、大学受験突破力の育成という点では、存在意義はすでに明確かもしれませんが、さらに一歩先を考えた、社会で役立つ力の育成にどれだけの時間を要することができているのかを見ることが、今、一番大切ではないでしょうか。
通信制高校への評価を変えたい。通信制高校のイメージを変えることで、生徒のイメージも変えられるはずだ。そのためには、教育の世界の人間だけの発想ではなく、教育界以外の考え方を取り入れなければならないと、私は考えていました。そんな時に、ドワンゴ取締役の方にお会いできたことで、さまざまな考えや発想がもたらされ、本当に刺激になりました。その考えは、まさに通信制高校のイメージを変えたい、という思いと合致したものでした。そして、教育とはひょっとしたら遠い存在であったドワンゴに事業を推進してもらうことになったのです。
そうやって開校したN高は、現代の子どもたちに受け入れられました。
N高在籍生の44%が東京・神奈川・千葉・埼玉在住で、大阪・兵庫・京都は17%。人口比率を考える必要もありますが、在籍生の約60%はいわゆる都市部の在住です。新しい教育を求める声は、都市部を中心に確実に出てきていると思います。
■「教育はリアルな場でなければならない」のか
しかし、N高は従来の教育界には、すんなりと受け入れられないものでもありました。何が受け入れられないか、それは、「教育はリアルな場でなければならない」という固定観念に対して、N高はイレギュラー感があるからだと考えています。
現代に生きる子どもたちは、リアルとネットの世界をシームレスに行き来しています。リアルなコミュニケーションしかなかった時代では、一緒にいる時間や距離が親密感の尺度でした。しかし、現在の子どもたちは、一緒にいる時間や距離が親密感に比例していません。同級生でもクラスメートでもない遠隔地でも、ネットでつながっている<友人>はいるのではないでしょうか。
狭い限られた地域では一人でも、地区を超えて、全国、いや世界に広げると、きっと自分と価値観が近い友人はいると思います。実はそれは、大人の世界に近いことでもあります。リアルとネットは、もはや区別できない時代にきていることを、教育機関は認めることが必要ではないでしょうか。
しかし、大人は、分断的にしか捉えられないのです。実際の子どもたちと乖離のある発想をしていることにすら気づいていません。だからこそ、開校以来、自分と親和性を感じた生徒の皆さんがN高に「押し寄せている」のです。あまり変化のない既存の学校から、時代とともに変化した子どもたちがN高にやって来る。このことは、自然な流れではないでしょうか。
■学校説明会は「子が親を連れてくる」
では、N高は、正しいのでしょうか。N高の学校説明会には、多くの生徒が親を引っ張ってきます。従来の通信制高校では、保護者の方が、学校探しの中で通信制を考え、生徒を連れてきていましたが、逆の現象が起こっているのです。
N高では、高校卒業要件の学習のみならず、プログラミング学習を中心に、興味のある分野をオンラインで学ぶことができます。これらは、高校卒業要件とは違う、教育課程外のプログラムです。またリアルな活動にも力を入れており、ニコニコ超会議時に行うN高文化祭や職業体験などにも参加できます。
生徒が自分の興味あることから取り組むことは、学びへの意欲を持ち、自分の将来を考えるきっかけになると考えています。
このことが「N高ならやれそう」という思いを生徒自身が持ってくれる要因となっているのではないでしょうか。子どもたちの想いに寄り添った学校になっているという意味で、N高は「正しい」と思っています。
■「自前」だからこそ責任ある教育ができる
N高では、全ての教育課程外の講座を自主作成しています。N高の考えに基づいて制作し、担任のフォローも行き届くようにしています。他の教育機関の講座を使うのではなく、全て自前でやってこそ、責任ある教育、納得がいく教育をできると考えているからです。借り物ならいつでもやめられますが、自前だと吟味し改善していかなければならない責任があります。昨今は、大学受験の講座を予備校に委託する学校も出てきたと聞きますが、N高は、大学受験こそ、自前で行っています。
そしてN高には、通信制高校では珍しく、<クラス>が存在します。オンライン上で<ホームルーム>も展開されます。ただし、全日制のクラスにおけるホームルームとは、異なる空間です。そこには集団ではなく、個の集団が存在しています。この<個>が大切なのです。ホームルームを聞いているだけの生徒もいます。顔を出さない生徒もいます。でもそこに存在し参加しているのです。個を認めることができるのが、N高だと考えています。
■若い教師を採用、働き方改革を実践
教師は、若いほうが良い。単純にこれが私の考えです。若ければ、経験が足りない、知識が少ないと、さまざまなマイナス点が指摘されますが、それでも若い方が良い。もっと言うならば<学校の教師>に染まっていない若者が欲しいのです。
われわれが最も大切にすることは、生徒との程よい距離感であり、志、決意です。
学校の枠に生徒を当てはめるのでなく、個々の生徒の状況に学校が果たす役割を当てはめる、逆の発想をできることが大切です。この考えを浸透させるには、志を持った、真っ白な新任の教師の方が良いのです。
スキルは学べば良いし、経験は積むしかない。しかし志を変えるのは最も難しいのです。教師は、未来に生徒を送り出す役割があります。その意味で、教師こそ<時代の最先端>でなければならないのです。そのためには、さまざまな情報に接し、学校以外の活動にも積極的に参加し、自らも発信していく必要があります。リモートワークの導入など、働き方改革を積極的に行っているのもそのためです。
■教科力よりも「導く力」が必要
固定化した経験は時にマイナスになります。常に変化を恐れない、むしろ変わっていきたいと思える人材にN高に参画してもらいたい。N高は、技術の進化によって、質の高い授業を映像配信して知識の伝授をしています。さらに、通学コースでは「アクティブラーニング」を行っています。情報を解釈し、自分の課題に応用できる思考とスキル、そして自分の考えをより効果的に人に伝え、結果を出せるコミュニケーションスキルを身につけさせることが、教師の役割なのです。
われわれの必要とする教師は、前に立って知識を伝授する人ではなく、コーディネーターであり、コンサルであり、サポーターとなる人物です。これからの教師には、教科力よりもこれらの導く力が求められると考えます。
■「学校に通う」ことだけが学びではない
学校という建物は必要か。もちろん生徒の安全管理面からは、必要であることは異論の余地がありません。しかし、現代の学びが学校という建物の中で完結させられるとは思えません。
インターネットが普及していない時代、学校は、時代の先端の情報基地でした。学校に行くと一般家庭にはないハードがそろい、数少ない高等教育を受けた、豊富な知識を持った教師がいました。
しかし、高等教育機関への進学率の上昇とインターネットの普及が進むにつれて、学校が持つ先端性は失われたのです。学校でしか学べなかった知識は、今や誰でも、どこでも、いつでも学べるのです。オンラインで学べるN高の可能性は、このことからも見いだせると思います。
学校を休むことは、罪悪感が生まれる行動です。一部の私学進学者を除いて、誰もが、地区の小学校・中学校に、毎日朝から通うという行為は当然のものでした。通うことこそが学びの保証であるというのは、テクノロジーが進化した現代でも、本当にそうなのでしょうか。
このことを一番理解しているのは、子どもたちです。「学校に行かなくても学びや情報を得ることができる」「自分のやってみたいことがある」「友達は、学校以外にもいる」そんな子どもたちの選択としてN高があるのです。
■入学要件は「中学校を卒業していること」だけ
N高には、入試がありません。中学校を卒業していることだけが入学要件です。
生徒を一人でも多く受け入れることは、教育機関の社会的使命であるとも考えています。それは同時に、教育を行う責任が重くなることを伴います。一般の高校では入口段階で、何らかの学校に望ましい入試を行い、選ばれし子どもたちが自ら切磋琢磨して、結果を残していく。
では、入試のないN高は、学校としての教育の成果をどのようにして創っていこうとしているのか。それは、多種多様な生徒のそれぞれの進路を見いだすために、個々の生徒とともに、学校もできるだけ多くの環境を用意する。教育の原点とも言えるこの考えこそ、N高が大切にしたいことでもあります。
N高は2016年4月に開校してから丸3年を迎え、この春、第1期生1593名の卒業生を送り出しました。卒業生の中から、大学進学を希望した生徒たちの実績として、国公立大学では九州大や筑波大、私立大学では早稲田大、慶應義塾大、上智大などの難関大学の合格者が出ました。
もちろん大学進学だけが子どもたちのニーズではありません。「教育は多様であることを認める」、これも揺るがしようのない大切なことだと考えます。教育は、多様な子どもたちを一枠に当てはめるのでなく、多様な学びのスタイルを認めることが必要です。
■補助金を受けずに運営している
N高運営には、コストがかかります。N高は金もうけ主義だと言う方々もいますが、授業料収入だけで、全てを賄っているのがN高です。一人でも多くの支持を得るために、コンテンツ、指導体制、生徒募集体制に全力を注いでいるのです。
教育も民間事業体と同じとわれわれは考えています。いわゆる学校運営に対する補助金の類は、開校以来、一切受けていません。
頂いた授業料を活用して、生徒の皆さんに教育サービスを還元しています。世の中の、民間事業者であれば当然のことなのですが……。このことが自らを律し、変化していく必要性を常に感じさせる要因でもあります。
学校は、自分たちの教育は、社会に出たときに役に立つのかという視点が欠落していてはダメだと考えます。昨今、高大接続以上に大切なのは、社会と教育の接続です。大学に入ることが最優先、子どもたちの生きる力を伸ばすことには無頓着、保護者も進学実績で学校を選択する。ここには、社会の変化に伴う、学校の自己変革のメカニズムは存在しないのです。
われわれは、決して教育の改革とか大上段に構える気はありません。与えられた枠組みの中で、最大限の努力をし、可能性を信じて変化を恐れず運営していくだけです。
今後、N高は、学習効果の検証、教育の質の確保を行いながら、生徒の進学先や就職先、卒業生の活躍などを通じて、誰もが認める存在になることこそが、われわれの進むべき道だと考えます。何よりも子どもたちが、一人でも多く、自信をもって「N高の生徒です。卒業生です」と言える学校を目指していきたいと考えます。
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奥平 博一(おくひら・ひろかず)
N高等学校校長
大学時代は発達心理学を学び、卒業後は公立の小中学校に教員として勤務。民間教育に面白みを感じ学習塾に職場を移し、小中学生の受験指導、新規教室の開校準備業務などに従事。その後、通信制高校での業務を機に、新たな通信制高校の立ち上げ、拡大に携わる。30年以上にわたる教育関連事業の経験を経て、2014年10月、通信制高校の新たな可能性を信じてドワンゴに入社、すぐに沖縄へ移住し、「N高等学校」の設置・開校準備に奔走する。N高を含め、これまで様々な“子ども”たちを見てきたことで、教育における多様な選択肢の必要性を感じている。
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(N高等学校校長 奥平 博一)