LEADERS online /  南青山リーダーズ株式会社

写真拡大 (全6枚)

アメリカ能楽公演が原点に

仙石)分林会長はお父様が観世流の能楽師、お母様が裏千家茶道教授という芸術一家で生まれ、育っていらっしゃいます。分林会長にとって、お能とはどういうものなのでしょうか?

分林 能楽に関して言えば、生まれた時から父はプロの能楽師でしたし、兄は小学、中学、高校に入っても能楽を学んでいて、もう「お能が好きでたまらない」という人でした。

私も小学生の頃は、子方(こがた・子役のこと)として出ていた経験があります。能楽には650年の歴史があり、世界でもこれだけ継続している演劇はありません。そのような意味では、普遍的に続く芸術ではないかなと思います。

創始者である世阿弥は、能の作者、役者としてだけではなく、むしろ残した言葉から考えると、彼は哲学家なのではないかと思います。

転機は大学3年生の時に訪れました。東京で開催されたオリンピックを見た私は「何とかして海外に行って海外から日本が見てみたい」という気持ちになり、どうすれば海外に行けるのかということをずっと考えていました。


当時の大卒初任給は2万円ぐらい。飛行機代が25万円しました。今の貨幣価値で300万円ぐらいでしょう。大学総長等から推薦状をもらい、アメリカで演劇学部がある大学の学長宛に、50通ぐらい手紙を出しました。すると30校ぐらいから、「公演を期待している」という返事が届きました。

そこで私は1年間準備して、貨物船で2週間かけてアメリカに渡り、9月から1月まで、約30州で能楽を公演したのです。日本はまだスーパーマーケットも、外食産業も、もちろんコンピュータ社会もない時代でしたが、私はこの公演旅行を通じて、アメリカで起きたことは必ず日本でも起こるという確信を持ちました。

M&Aにしろ、AI(人工知能)の社会にしろ、結局アメリカで起きたことは日本で起きるのです。このアメリカ公演旅行の経験は、私に大きな影響を与えました。

将来の独立を見据えて、外資系に就職

仙石)立命館大学卒業後、日本オリベッティ(現、NTTデータジェトロニクス)に就職されましたが、そこではどのような経験をされたのでしょうか?

分林 社会人になる前から、将来、独立することしか考えていませんでした。

特にこれからはコンピュータだと思っていましたので、外資系企業に入り、最先端のビジネスの仕方を学ぶつもりでした。

根本にあったのは、「営業は科学である。心理学である」という考えです。私には、日本企業とは違う科学的な手法で営業を勉強したいという思いがありました。マーケティング方法や業種別の展開、ネットワークの組み方を勉強したいと思っていました。なかでも一番影響を受けたのが企業分析です。

私はコンピュータの販売を担当しましたが、受注伝票から最後の入金に至るまで、各企業をフローチャートで分析、現状と問題点を把握したら、その解決策をレポート用紙にまとめて経営者に提案するのです。まさに今、日本M&Aセンターでやっていることと、まったく一緒です。

跡継ぎがいない時代になった

仙石)1991年に株式会社日本M&Aセンターを設立されました。なぜ起業したのですか?

分林 この30年間、日本の出生率は約1.4人でした。つまり、「息子」が生まれる確率は、半分の0.7人です。いよいよ「後継者がいない」という時代になりました。今は豊かな時代です。自分たちの子どもには「好きなことをやっていいよ」という家庭が増えました。

特に経営者でお金持ちの家庭の子どもは、職業として医師を選ぶケースも多くあります。学問を追究して研究者になったり、上場企業に就職し、海外赴任したり、自分の人生に前向きなご子息は、自分の好きな分野に集中することが多いのです。

戦後70年間、日本の人口も市場も拡大し続けました。

ところが、5年前から人口が減少し始め日本市場は大幅な縮小傾向になりました。車でも電機でも、大手メーカーの海外売上高比率は8割を超えています。醤油で有名な大手食品メーカーでさえ、利益の75%は海外です。もはや普通の経営では、中小企業は生き残れないのです。

ある大手製薬会社では、数十年前、得意先の薬品卸業者は350社ありましたが、今は実質4社です。コンビニも大手3社で95%のシェアとなりました。中小企業がそれぞれ単独で生きる時代はもう終わったのです。

M&Aのあるべき姿とは

仙石)つまり、そのような時代の流れを予測されたと。

分林 私は日本全国の税理士、公認会計士の方々550人に呼びかけました。そのなかの百数十名が株主になり、50社の地域M&A会社を同時に設立してくれました。発足当時の会員数は130名です。1年後には、日本経済新聞に「あなたの会社の後継社を探します」という一面広告を掲載しました。

後継者の「者」を「社」と書いて掲載したところ、月曜日から金曜日までの5営業日で、400件の問い合わせがきました。26年前のことです。私たちは「友好的M&A」を掲げました。

強引なM&Aや乗っ取りなどは中小企業では実際にはありません。しかし、マスコミが囃し立てたこともあり、本当のM&Aが理解されていませんでした。

その後、ホリエモンが活躍したり、ハゲタカ・ファンドのようなところが登場したりしましたが、結局、間違ったものは今は残っていません。M&Aとは、お互いがプラスになるようなものでなければいけない。

売手も後継者問題が解決し、社員の生活も維持され買手グループも共同して発展していくことが理想のM&Aです。

M&Aはゴールではなくスタート

仙石)相乗効果のないM&A、非友好的なM&Aが多いので、M&Aの成功率は3割という評論があります。

分林 M&Aは100%確信できるものしかやってはいけない。

最近、大企業のM&Aの失敗例をよく聞きますが、サラリーマン的な感覚で予算を消化するためにM&Aを実行しても、うまくいくはずがないのです。オーナーが経営してきた会社とサラリーマン経営者が経営する大企業では、まったく「文化」が違うので、その認識がないとM&Aは成功しません。

大切なことは、現状分析をしっかりと行い問題点を発見し、どうすればそれを解決できるのかを売手側と買手側がしっかりと話し合うことが重要です。

2016年、当社ではPMI部門を作りました。英語では「Postmerger integration(ポストマージャー・インテグレーション)」と言います。

M&Aは行うことよりも成功することが大事なのです。買収後、お互いのメリットを活かしながら、事業を発展させるためのコンサルティングを行う部門です。

M&Aは成功させなければ意味がありません。当社で最もM&Aを実施している企業は20社以上買収し、業績を伸ばしています。お客様との間に信頼関係がなかったらこのビジネスは続きません。当社は27期目になりました。信頼関係がなかったらここまで継続はしなかったでしょう。

いい会社であるための4つのポイント

仙石)日本M&Aセンターは経営理念として「企業の存続と発展に貢献する」ということを掲げていらっしゃいます。

分林 私は経営理念を遂行するために、経営を4つの観点から見ています。まず、企業で一番大事なのは収益性です。決算書で言えば、P/L(損益計算書)をよくする。

続いて安定性です。B/S(貸借対照表)が「キレイ」じゃないといけない。リーマン・ショックが起きたり、バブルが崩壊したり、大地震が起きたりした時に、B/Sがきっちりしていないとダメなのです。借金が多い企業やB/Sがいびつな企業はリスクに弱い。

3番目は成長性です。中小企業には「これくらいでいいや」というところが意外と多いのです。上場企業も上場したら、「それでいいや」となってしまうところがある。最低でも、企業は毎年10%ぐらい成長してほしい。

社員100人の企業に入った新入社員は、もし経営者が「100人でいいや」と思ってしまったら、その人はいつまで経っても新入社員です。給与が上がり、地位も上がり、部下ができる。そうならないと企業は発展しません。

最後は社会性です。仕事を通じて社会に貢献するという意義。当社ならば、後継者問題を通じて社会貢献するということ。あるいは、利益を株主に配当しますが、残った分をどうやって社会に還元していくかということも大切なのです。例えば、東北3県の高校生に奨学資金を提供したり、能楽や音楽の文化活動にも積極的な支援を行ったりしています。

事業継承はどうあるべきか

仙石)家族経営が行われてきた企業において、事業承継する際に、第三者承継と親族内承継のどちらがいいのかという議論があります。「老舗企業はできる限り、親族内承継がいい」という意見もありますが、分林会長はどう考えていますか?

分林 世襲そのものを否定するわけではありません。しかし、社員を雇用している企業にはより高い社会的責任が発生していると思います。

経営は固有の技術です。もの作りに向いている人、経理に向いている人、それぞれ得意な分野があります。

経営では、リーダーシップも、信念も、行動力も必要です。ある種の哲学を持ち、企業の顔になれるぐらいでないといけない。多面性を持っていない人は、真の経営者にはなれません。

200年以上続いた新潟の造り酒屋で、20人規模の酒蔵を75歳ぐらいの夫婦で経営していたのですが、二人いる息子さんがとても優秀で、結局二人とも医者になってしまい、後を継ぐ人がいなくなってしまった。

残っているのは職人ばかりでこのままでは潰すしかない。このままでは廃業しかなく、社員の解雇も実施することになってしまいます。居酒屋チェーンを経営している社長が、この酒蔵のお酒を飲んだら「これはうまい」という話になり、チェーンの居酒屋250店舗で売り出したら、売り上げが2倍になりました。

その社長は海外の日本酒ブームに目をつけて、「これは輸出ができる」ということで、フランスの品評会に出品したら金賞をとりました。現在は、海外輸出が急増しています。

仙石)倒産寸前企業が、海外輸出するまでになったという「起死回生」のM&Aですね。

分林 また、島根県に従業員約20人の小さな鉄工所がありました。莫大な相続税を支払ってお父様から引き継いだ社長はまだ40代。お子さんもまだ小さく、将来、子どもに事業承継するときは一体どれだけの相続税を支払うことになるのか。本当に息子は後継者になれるのかということで悩んでいましたが、会計事務所の紹介で上場企業に会社を買ってもらいました。

鉄工所は材料として鉄を仕入れます。仕入れはこれまでは二次問屋でしたが、上場企業の傘下に入ったことで、一次問屋と直接取引することになり仕入れコストが激減しました。また、「あそこ上場企業らしい」と地元で評判になり、いい人材が集まるようになりました。信用力は上がり、設備投資をしても、銀行はなにも言わなくなりました。この鉄工所の売上利益は2年で5割増です。

仙石)企業の成長性、収益性、安全性、社会性を、上場企業とのM&Aが高めたという事例ですね。ところで、日本M&Aセンターでは今後、顧客ニーズに対応するためにどのような準備をされていますか?

分林 私たちは単なるM&A仲介会社ではありません。M&Aはあくまでの経営戦略のツールの一つであり、社員全員が経営戦略のコンサルティングができるように質を高めたいと思っています。

当社の強みは、公認会計士、税理士、弁護士、司法書士といった30名の専門家が社内にいることでしょう。

M&A業界のリーディングカンパニーとして、顧客からの信頼に応えるためには、一つでも間違いを起こしてはいけないと思っていますから、税の問題については税理士、法律問題には弁護士、会計については公認会計士が、内部できっちりと対応できるようにしています。

仙石)最後に読者に向けてメッセージをいただけますか?

分林 私は若い頃から海外を回りました。今の若い人たちには、もっと海外で活躍してほしいと思っています。

宇宙から見た私たちは一瞬しか生きていない存在です。私はやりたいことはすべてやりたい、悔いの無い人生を送りたいと思って生きてきました。若い人たちにも、好きなことをやって悔いのない人生を送ってほしい。ぜひ自分の夢を実現してください。

【プロフィール】
分林保弘(株式会社日本M&Aセンター代表取締役会長)
1943年生まれ。京都府出身。父は観世流能楽師、母は裏千家茶道教授。1966年立命館大学経営学部卒業後、日本オリベッティ(現NTTデータジェトロニクス)に入社。91年日本M&Aセンターを設立、翌92年に代表取締役社長に就任した。現在は代表取締役会長。日本におけるM&A事業のパイオニア的存在として知られ、社会貢献活動なども積極的に行い、公私にわたって活躍している

【会社概要】
社名:株式会社日本M&Aセンター
設立:1991年4月25日
事業内容:M&A仲介、企業再生支援、企業再編支援、MBO支援、企業評価の実施、資本政策・経営コンサルティングなど
本社所在地:〒100-0005東京都千代田区丸の内一丁目8番2号 鉄鋼ビルディング 24階
(国内拠点:大阪支社、名古屋支社、福岡支店、札幌営業所)(海外:シンガポール)
TEL:03-5220-5454 FAX:03-5220-5455
資本金12億円(東証1部・証券コード2127)
代表者:代表取締役会長 分林保弘 代表取締役社長 三宅 卓
HP:https://www.nihon-ma.co.jp/


【転載元】
リーダーズオンライン(専門家による経営者のための情報サイト)
https://leaders-online.jp/