小室圭さんを育てたシングルマザーの苦労「ひとり息子に“いい教育を”」
7月8日に秋篠宮家の長女・眞子さまとの婚約を正式に発表する予定だった小室圭さん。
「母子家庭」というハンディキャップを乗り越えるため、母・佳代さんは必死の思いで、ひとり息子を支えたようだ(現在は母方の祖父も同居)。
「圭さんは3歳ごろからバイオリンを習っており小学校は東京・国立にある音楽大学附属の学校に通っていました。
しかも自宅の横浜から国立は遠いので、一時は国立に住んでいたほどの教育熱心さでした。それはお父さんが亡くなってからも変わりません。
ひとり息子に“いい教育を”というお母さんの思いは強かったようです」(横浜の小室家の近所の住民)
小学5年生まで小室さんを指導していたバイオリン講師の山内純子さんの話。
「お父さまが亡くなられてからすぐは、お母さまが料理教室の先生をしたり、フラワーアート(造花)のお店への作品の売り込みや、自然食品店で働いていたと聞きました。
5月の婚約報道直後、私の話が新聞に出た翌日に、お母さまから電話がありました。
“お騒がせしてすみません”“いま働いているケーキ店にも報道陣がたくさん来ていて、店からしばらく来ないでくれと言われました”と話していましたよ」
そんな母親の懸命の働きで小室さんは、中学から高校までは東京・品川区にある「カナディアン・インターナショナルスクール」に。
大学は眞子さまと出会った「国際基督教大学」(ICU)と、決して学費が安くない学校で学び続けることができた。
母親の苦労を知る小室さんは、大学生になるとアルバイトをかけ持ち。学費の足しにしようと頑張っていた。
ICU時代の同級生が証言する。
「小室さんは学生時代、自宅近くのフランス料理店、塾の講師、江の島の中華料理店などをかけ持ちしていました。
自宅は横浜で大学は東京なので、大変だったと思いますが、家計の助けになるために頑張ったのだと思います」
ICU卒業後は、いったん「三菱東京UFJ銀行」に就職したが、ほどなくして退職。一橋大学の大学院生と法律事務所のパラリーガル(弁護士の業務補助)の“二足の草鞋”で頑張っているなかでの今回の婚約発表となった。
「圭くんは、国際弁護士になるという目標をあきらめきれなかったようです。お母さんも圭くんの意思を尊重して、ケーキ店での仕事を続けるつもりだったのだと思います」(前出・同級生)
両陛下も見守られる1年後のおふたりの「華燭の典」で、佳代さんは15年間の「シングルマザー」としての苦労が報われることになる。