2016年2月23日、ホンダのF1総責任者に就任したばかりの長谷川祐介は、2008年11月以来となるバルセロナ・カタルーニャ・サーキットにやってきた。ホンダが突然、第3期F1活動から撤退したあのとき、参戦するはずだった翌2009年に向けたテストを最後に行なったのが、まさにこの地だったのだ。

「思ったよりもブランクは感じませんでした。『あぁ、戻ってきたな』という感じです。当時と今とではF1のテクノロジーも大きく変わっていますから、まだわからないことはたくさんありますけど、F1界全体の雰囲気という意味で言えば、まさに"戻ってきた"という感覚でした」

 BARホンダから、最後はフルワークスのホンダF1チームとして活動した第3期のF1活動で、長谷川はジャック・ビルヌーブや佐藤琢磨のエンジン側レースエンジニアを務め、最後はチーフエンジニアとして現場運営を統括していた。

 もともとレース志望ではなく、根っからのレース屋でもないという長谷川。だが、いつしかF1の世界にどっぷりと浸かっていた。本社からの突然の撤退の報せに感じたのは、悔しさと寂しさだったという。

「結果が出せなかったという悔しさと、やめなければならなかった悔しさと、その両方がありました。勝っていたらやめてもよかったのかというと、きっとそれはそれで悔しかったと思うんです。どちらかといえば、F1の世界から去らなければならない、一緒に戦ってきた仲間たちと別れなければならない寂しさのほうが大きかったのかもしれないですね」

 そして翌年、ロス・ブラウンが継承したチームは、ブラウンGPとしてダブルタイトルを獲得した。

 ホンダがあと1年、続けていたら......。世間ではそんな疑問がいまだに問い掛けられるが、長谷川は、「それは言わないことにしています」と苦笑する。

「我々が培(つちか)ってきた技術が、ブラウンGPの勝利に貢献したのは間違いないでしょう。ですが、それがイコール、ホンダがやっていたら勝てたかというと、レースっていうのはそのときのオペレーションが重要な要素を占めていますし、いい技術があれば勝てるというものでもないと思います」

 それは、長年F1の世界で戦ってきた長谷川が痛感したことだったのだろう。

 技術がなければ勝てない。しかし、技術だけでも勝つことはできない。レースに必要なすべてが揃わなければ、勝つことはできない。

 2004年のアメリカGPで、自身が担当する佐藤琢磨が3位表彰台に上がった。F1活動を通じてもっとも印象に残っているのが、そのシーンだと長谷川は言う。では、それ以外は苦しい思い出ばかりだったのかというと、「大変だったけれど、それを嫌だと思ったことは一度もなかった」と。いつしか、長谷川はF1の魅力に取り憑かれていた。

「レースは、とにかく勝たなければ意味がない、目的がシンプルだということですね。それに加えて、F1は技術の頂点であるということ。すべての準備が整っていなければ勝つことはできないし、負けるには負けるなりの理由がある。技術をそこまで磨いていかなければ頂点を極めることはできないわけで、技術者としてはその世界で戦っていくことで自分たちの技術を磨き、自分たちの技術力を証明するということに非常に大きな価値があると思っています」

 量産車の世界も、本来はそうだ。だが、量産では性能以外にも、コストやデザイン性などさまざまな要素が共存しなければならない。しかし、F1は違う。だからこそ、「ホンダにはF1をやる意味がある」と長谷川は言う。

 そして、技術者然としたその態度や言葉の端々からは、「ホンダの一員」であるということに対する誇りや魂のようなものが感じられる。

「これは個人的な意見ですけど、『ホンダというのは、やっぱりF1をやっていなきゃ』という気持ちが社内全体にもあると思うんです。ファンの方々にもそう思っていただけていると思います。そして、やるからには勝たなきゃいけないという気持ちがありますし、それが当たり前のことだと思っています」

 2008年12月5日のF1からの撤退発表後、長谷川は日本に戻ってレースから離れ、本田技術研究所でハイブリッド技術やEV技術の研究開発に従事してきた。その間、たまにテレビでF1を見ることはあっても、それほど熱心にフォローしていたわけではないという。

 しかし、またしても突然の辞令でひさびさに舞い戻ったF1の世界は、すんなりと長谷川を迎え入れてくれた。2015年から始まったマクラーレン・ホンダとしてのF1活動でも、現場では第3期でともに戦ったスタッフが何人もいたからだ。

 そこで長谷川が目にしたのは、予想以上にチームと一体化して、"ワンチーム"として働く彼らの姿だった。

「言葉を選ばないで言うなら、BARホンダの最初のころは結構苦労したんです。チームに溶け込むのに時間がかかっていました。それに比べて今のメンバーは、すでにチームとの一体感がある。それはマクラーレンというチームの特性なのか、ホンダ側も第3期でやってきたメンバーが多いからその経験によるものなのかはわかりませんけど、この1年でずいぶん一体感ができているんだなと感じました」

 3月1日付けの人事異動を前に、長谷川はすでに2月22日からのべ8日間のバルセロナ合同テストで、F1総責任者としての任務をスタートさせた。ピットガレージやピットレーン、エンジニアオフィスなどあちこちへ足を運び、現場のエンジニアやメカニックたちと積極的に話し合い、現状を把握することに努める姿が見られた。

「まずは、現場で何が起きているのかを正確に理解することが一番重要ですから、それを彼らに聞いているところです。それに対して『じゃあこうしましょう』っていうことを一緒に相談して決めていっています」

 第3期に現場のチーフエンジニアを務めたときと、開発から運営までF1活動のすべてを担う総責任者となった今と、それほど意識は変わっていないという。

「意識はあんまり変わっていないんですよね。ついついデータをチェックしたり、仕様をチェックしたりしちゃいますから。自分でそういったところまで目を向けて、より現場に近い目線でやっていくことで見えてくることや、前に進んでいくこともあると思っていますから。まぁ中村(聡/チーフエンジニア現場総責任者)は迷惑だと思っているかもしれませんけどね(笑)」

 これまでになく、現場に近い総責任者――。それが長谷川の描く新しいホンダのF1総責任者像だ。

 そして、F1の現場で戦ってきた人間だからこそ、マクラーレンに対して遠慮することなく発言するし、彼らが正しければ"名"よりも"実"を取る。技術者として、ハッキリとした筋が通っている。

「僕はマクラーレン・ホンダが勝つために必要なことであれば、それがなんであっても言いたいと思っています。ホンダが上に立つとか下になるとか、そんなことはどっちでもよくて、チームが勝つために言わなければいけないことは言うし、マクラーレンが言っていることが正しければ、その通りにしたって全然構わないと思っています。大切なのは結果を出すことですから」

 長谷川は自分のことを、「保守的な人間」だと表現する。保守的であることは、技術者としてプラスなのか、マイナスなのか? そう問い掛けると、長谷川はこう答えた。

「まさにそこが試されるんだと思っています。自分が判断して投入するものが、勝負に勝てるのか勝てないのか。保守的すぎて結果が出なければ、それが自分の短所だということになるでしょうし、逆に安全に走れて良い成績が収められれば、長所だということになる」

 ただし、どうやら生粋のホンダマンが考える"保守的"というのは、世間一般の人が思うそれとは大きく異なるようだ。

「今までも僕は散々エンジンをブローさせてきましたし(苦笑)、保守的だからってブローさせないってわけじゃないんです。世間で言うところの"保守的"というのとは、基準が違うというべきかもしれません。もちろん、無謀に回しているわけではないですけどね。途中で止まってしまうようではレースに参加する資格はないと思いますが、ただ参加することや完走することに意味があるとも思っていませんから」

 レースは勝たなければ意味がない。それが長谷川の信念だ。

「F1参戦までの準備期間の短さなど、苦戦の理由はあります。しかし、それを言い訳にしてはいけない。我々は追いつき、追い越さなければならないんです。それをやる気がないのなら、もしくはそれができないのなら、F1をやるべきではないんです」

 長谷川の言葉には、派手さはなくとも説得力がある。技術者らしい実直な言葉は、安心して聞いていられる。

「自由という言葉が当てはまるかどうかはわかりませんが、自分で決めることがすべてマクラーレン・ホンダの勝利に影響するんだ、というふうに思っていますから、勝っても負けても自分の責任だという意識のほうが強いですね。責任の大きさを痛感しています」

 総責任者という立場になった今、長谷川はすべてを思い通りに操ることができる。しかし、現場に近いホンダの新しい総責任者は、権力を振りかざすのではなく、自分に与えられたすべてを勝利のために捧げようとしている。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki