2016年、小林可夢偉がWEC(世界耐久選手権)に参戦することが決まった。

 F1を離れてスーパーフォーミュラに参戦した昨年は、優勝こそできなかったが与えられた状況のなかで奮闘し、2年目のシーズンに向けて手応えを掴んだ。マシンの優劣で勝負が決まるF1ではなく、ドライバーの腕が試されるスーパーフォーミュラで「レースがしたい」という可夢偉。そんな彼が、ル・マン24時間レースで知られるWECにも活動の場を広げるのは、どうしてなのか――。

 WECの最高峰である「LMP1クラス」にトヨタ・ガズー・レーシングの一員として参戦することについて、可夢偉はやはり、「ル・マン24時間レースの存在」を一番に挙げた。

「世界を舞台に戦えることは光栄だと思うし、可能性も広がる。それになにより、ル・マン24時間レースで優勝するということは、このレース界においてとても名誉あることだし、それが大きかったですね」

 昨年はF1ドライバーとしては地味な存在であったニコ・ヒュルケンベルグ(フォースインディア)がル・マン参戦初年度で優勝を飾って時の人となり、改めてF1界での評価も高くなった。2013年に「LMGTE-Proクラス」でフェラーリ458イタリアGT2を駆って参戦した経験を持つ可夢偉も、ル・マン24時間の特別さはよく理解している。

「24時間もレースをするということはしんどい反面、ものすごく大きな達成感を味わえたし、結果がどうであれ自分のなかで納得できるものがあったんですね。去年もニコ(・ヒュルケンベルグ)が優勝して、おそらくアイツにとって今までで一番輝いていた瞬間やったと思うんです。あれを見ても、ル・マン24時間ってすごく重要なんやなと思ったし、そのル・マンがあるWECに参戦することの意義というものを感じましたね」

 世間ではあまり知られていないが、可夢偉はすでに昨年からトヨタのリザーブドライバーとして何度も渡欧し、LMP1車両のテストドライブを経験している。

 可夢偉の言葉を借りれば、今のLMP1はF1に限りなく近い速さを持っている、という。

「本当に、なかなか速いんです。エンジンとハイブリッドシステムを合わせて1000馬力以上あるからトップスピードは速いし、4輪駆動なんで立ち上がりのコントロールが難しいということもなくて、(4輪駆動の利点が生きる)ウェットコンディションでは余裕でF1をぶっちぎれるくらい速いと思います」

 F1と同じように、ターボエンジンに2種類(運動エネルギー&熱エネルギー)のハイブリッドシステムを組み合わせた車両だが、システム仕様や開発の自由度は高く、トヨタの他にポルシェ、アウディがそれぞれの技術でしのぎを削っている。

 そのエネルギー回生システムをきちんと理解した上でドライブする頭脳も必要だと、可夢偉は語る。

「4輪駆動でフロントにもモーターが付いているので、ハンドリングは少し特殊です。アクセルを踏んだほうが(モーターの効果で)曲がることもある。でも、エネルギーを使いたいときに使ったからといってラップタイムが速くなるとは限らないし、ブレーキを奥まで我慢したほうが速いというわけでもないし、どこで我慢してどこでラップタイムを稼ぐか、エネルギー回生の仕方を考えて効率よく走らせないと速く走れないんです。バカでは乗れないカテゴリーですよ(笑)」

 以前からレーシングドライバーとして、「フォーミュラカー以外をドライブすることには興味がない」と明言してきた可夢偉だが、最先端のLMP1の速さと技術、そしてル・マン24時間レースの存在が彼を突き動かしたというわけだ。

 一方、チームとしてのトヨタは2014年にWECのチャンピオンに輝いたものの、昨年はライバルたちのマシン性能を読み誤ってしまい苦戦を強いられた。だが、今季に向けて新型車両TS050ハイブリッドを開発し、逆襲に燃えている。

 すでに欧州ではベース車両のテスト走行が始まっており、システムの完成に合わせて間もなく可夢偉もテストに合流する。

「まだTS050について詳しいことは話せませんけど、ポルシェやアウディに追いつけるように、寝る間を惜しんで頑張っている人たちがいっぱいいます。自分たちに与えられた環境のなかで、できるだけのことはやっています。それに、今年はポルシェやアウディも2台体制になるので、そこも追い風ですね。2台と3台じゃ全然違うし、実際、去年はポルシェの3台目のクルマが勝ったわけですから」

 昨年からテストも十分にこなしていることから、初めて経験するLMP1クラスでの戦いにも不安はまったくないと、可夢偉は断言する。

 ただひとつ、フォーミュラレースと違うのは、ドライバー個人が究極を求めるのではなく、チーム全体としての結果が優先であるという点だ。ドライバー個人として妥協をしたほうが、チーム全体にとってはプラスになることも多々あるという。

「ドライバーが本気で戦うということよりも、チームワークを重視しなければいけないレースだと思います。F1のときみたいにドライバーひとりにすべてが掛かっているというのではなくて、ドライバーが3人もいて、全員でうまくシェアしたり妥協したりしながら、協力して戦っていくことが大切です」

 若手ドライバーが血気盛んに走ろうとしても、それは結果的にチームの総合的なパフォーマンスを低下させることにつながったりもする。それを理解した上で、プロフェッショナルとしての仕事を果たすことが大切なのだと、可夢偉は言う。

「たとえば、誰かが完璧に攻めて走ろうと思ったら、シートポジションから争いになるし、そうするとシートが合わなくてうまく乗れないという人も出てきます。つまり、WECで求められるのは、そういうレベルの争いじゃないんです。そのなかで自分の力を最大限に生かして戦って、『ひとつ欠けてもこういう結果にはならなかったね』と言えるような仕事をしなければいけないと思っています」

 そういう意味ではWECに関して、可夢偉はチームとして勝つことを目標に掲げている。元F1のマーク・ウェバーのような他メーカーのドライバーたちも、チームメイトの中嶋一貴も、可夢偉は意識していないという。

「全然意識してないです。ドライバー同士で戦うようなレースではないし、チームで力を合わせていかに戦うかのほうが大切ですからね。一貴はスーパーフォーミュラで戦えばいいし。極論を言えば、チームにとってはル・マン24時間も(今季のトヨタ2台のカーナンバー)5号車か6号車、どちらかが勝てばいいと思うし。もちろん、僕は勝ちたいですけどね」

 2016年は、スーパーフォーミュラでチャンピオンを目指し、WECでもタイトルを目指す。

「WECでの目標は、チャンピオンを獲ることと、ル・マン24時間で勝つことです。それができれば完璧だと思います。クルマの速さと信頼性次第だとは思いますけど、戦うドライバーとしてはそのくらいの心構えと意志を持ってやらないといけないと思っています」

 F1から日本へ、そしてふたたびWECという世界の舞台へ――。

 その先の将来のビジョンは、まだ何も描いてはいないという。

 新たな世界の舞台で結果を出すことで、新たな可能性が開けることも十分に考えられる。なにより、ファンの胸がすくような可夢偉らしい走りを見せてくれることを期待したい。

 小林可夢偉の挑戦は、まだ終わっていないのだから。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki